115.白瀬由利は戻れない

「とうちゃーくっ!」

「イェーイ!」


 電車に揺られること1時間弱。

 私達は目的地である海浜公園の最寄り駅へと到着していた。

 微かに感じる海の匂いと波の音に、テンションの上がった来島くんとレイちゃんがハイタッチをしている。


「フ、フユキくん。レイちゃんも少し静かに……」

「海、楽しみだねー! ユリちゃん!」

「レイちゃん聞いて?」


 立花くんの苦言にもどこ吹く風で、レイちゃんはキラキラと瞳を輝かせながら周囲を見渡す。

 海水浴には些か早すぎるが、大型連休ということもあって駅から海へと続く道はそれなりに賑わっていた。


「昼飯にはちょっと早いけど、何か食い物買っておかないか?」

「コーイチの案に一票。昼時になると混雑しそうだし、買い出しだけ先に済ませておかないかい?」


 神田くんと新城さんの言葉に同意した私達は、道すがらにテイクアウト出来そうな飲食店を物色していく。


「このおにぎり美味しそう! すいません、これ6つくださーい」

「おっ、このサンドイッチいいなー。おばちゃん、このミックスサンド6個で!」

「た、炭水化物セット……二人共もうちょっと野菜とかさ……」

「はは、高校生ならこれぐらい問題ないさ。とはいえ少しタンパク質が欲しいかな……お姉さん、そこの唐揚げと卵焼きのパックを貰えるかな?」

「新城さんまでドカ食い組なの!?」


 ワイワイと楽しそうにしている皆を、私は一歩後ろに下がって見守る。


 ……私は、本当にここに居ていいのかな。

 純粋に行楽を楽しんでいる皆の姿に、私は一人罪悪感を感じていた。

 レイちゃんと一緒に居たいという下心。

 立花くんを勝手に敵視している嫉妬心。

 そんな身勝手な自分を心底軽蔑している自己嫌悪。

 全てが混じり合って、私は自身の心を制御する方法が分からなくなっていた。


「――ユリちゃん!」

「ぁえっ?」


 暗い思考に沈んでいた私に、レイちゃんが声をかける。


「どうしたの? そんな隅っこに行っちゃって。一緒にごはん選ぼうよー」

「そうそう、何か食べたいものは無いのかい?」

「え、えっと……わ、私は何でも大丈夫だよ。どれも美味しそうだから」

「そうか? 何か気になったのが有ったら言ってくれよ」

「うん。ありがとう神田くん」


 みんなの空気を壊さないように、私は精一杯の笑顔を作って返事をする。

 大丈夫だろうか。不審に思われていないだろうか。

 そんなことばかり考えている私に、レイちゃんが紙袋を持って近づいてきた。


「……ユリちゃんユリちゃん! これ、さっきそこで買ったの」


 広げられた紙袋を覗き込むと、そこにはフワリと甘い香りを漂わせるワッフルが入っていた。

 道すがら目にした商品の中で、実は少し気になっていたのだが、言い出すタイミングを逃していた焼き菓子の姿に私は目を丸くする。


「あっ、美味しそう……」

「でしょー? ユリちゃん、こういうの好きそうだなって! 後でみんなで食べようねっ」

「っ! ……う、うん!」


 彼女が自分のことを考えてくれている。

 そんな些細なことだけで、私は心の靄が少しだけ晴れたような気がした。


 ***


「うおっ! つめてぇ~!」

「あはは、流石にまだ5月だしね。でも日差しが強くて温かいから気持ちいいね」


 砂浜に到着した私達は、レジャーシートを広げて荷物を置くと、靴を脱いで波打ち際で足を海水に浸す。

 シーズンオフということもあり、ビーチで遊ぶ人影は少なかったが、逆にそれが解放的で心地よかった。


「気持ちいいね~ユリちゃん」

「うん。今の時期だともっと肌寒いかと思ったけど、人混みもないし正解だったかも」

「次に来るなら夏休みかなぁ。こういうのも楽しいけど、やっぱりどうせなら泳ぎたいし!」

「ふふ、そうだね。また、皆で――」


 ふと視線を上げた先。

 青空が反射した真っ青な海面に、見惚れるようにレイちゃんが佇んでいた。


「綺麗だね、ユリちゃん……」

「……そうだね」


 応える私の視線は海ではなく、レイちゃんの横顔を見ていたけれど……彼女はその事に気づく様子は無かった。

 私は、楽しそうにしているレイちゃんを見るのが好き。

 立花くんの隣で幸せそうなレイちゃんの横顔を見ているだけで、私は大丈夫。満足している。


 ……本当に? 


「ちょっ、レイちゃん! 水かけるの止めて……!」

「あはは、海に来たのにこれをやらないのは無しでしょー」


 二人の幸せな光景に胸が締め付けられる度に、私は自分が怖くなる。

 この膨れ上がっていく身勝手な想いが抑えきれなくなった時に、私は彼らを――レイちゃんを傷つけてしまうのでは無いかと。


「ユリちゃーん! ユリちゃんもこっちに……」

「………………」

「……ユリちゃん?」


 私は、本当にここに居てもいいの? 


 ***


「ごちそうさまでしたー」

「ふぅ、どれも結構美味かったな」

「それじゃ、腹ごなしにもう少し遊ぼうか。ビーチボール借りてきたよ」

「タフだなお前ら……しゃあねえ、付き合ってやるか」


 海という非日常の空間で元気が有り余っているのか、食後早々にみんなが波打ち際へと向かおうとする。

 しかし、私は慣れない環境と、暗い思考に頭を支配されていた疲れから、少し休まないと立ち上がれそうになかった。


「ごめんなさい。私は少し休んでるから、皆は先に行っててくれる?」

「ユリちゃん大丈夫? 私も一緒に居ようか?」

「少し遊び疲れちゃっただけだから。レイちゃんも気にしないで遊んできて」

「ん~……分かった。何か有ったらいつでも呼んでね?」

「うん、ありがとう。レイちゃん」


 そう言って彼女を見送ると、私は波打ち際で遊ぶ友人たちをボンヤリと見つめていた。


「ふぅ、少し休憩」

「……立花くん」


 しばらくして、軽く滲む汗を手で拭いながら、立花くんがこちらへとやって来る。

 レジャーシートの上に座り込んだ彼に、私は飲み物を手渡した。


「どうぞ、立花くん」

「ありがとう、白瀬さん」

「……レイちゃん達、楽しそうだね」

「そうだね……」


 二人で紙コップを傾けながら、お互いに独り言のような会話を呟く。


「……白瀬さん」


 コップの中身が空になったタイミングで、立花くんが意を決した様子でこちらを見つめた。


「どうしたの、立花くん?」

「……その、何か悩んでいることが有るなら、僕で良ければ教えてくれないかな?」

「……えっ?」


 図星をさされたような感覚に、私はギクリと動きを止める。


「……どうして?」

「今日の白瀬さん、何だかずっと様子がおかしかったから。何かあったのかなって」

「………………」

「その、話したくないなら別にいいんだ。無理に聞いたりしないよ。……でも、僕が力になれる事なら相談して欲しい」

「………………どうして?」


 同じ言葉を繰り返す。

 立花くんは、怯まずに答えた。


「白瀬さんは、友達だから」

「………………そう」


 ああ、立花くんは本当に良い人だ。

 瞳を見れば分かる。

 嘘偽り無く、完全な善意で、彼は私を心配している。

 それが私には――


「立花くん」


 それが、私には堪らなく憎らしかった。


「レイちゃんと、別れてくれる?」

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