90.絶望の宴は今から始まる


「いらっしゃい、ユウくん。ほら、上がって?」

「お、お邪魔します……」


 入学式から数日後、僕――立花たちばな 結城ゆうきは、レイちゃんの部屋に招かれていた。


「もうっ、そんな緊張しなくてもいいじゃない。部屋に来るの初めてじゃないんだし」

「いや、レイちゃんの部屋にお邪魔する時って、大体フユキくん達と一緒だったし……」

「それに、今はお父さんとお母さん居ないし」

「……レイちゃん。それ逆効果です」


 僕が苦笑いしている様子に、レイちゃんはコロコロと笑いながら立ち上がった。


「えっと……お、お茶。取ってくるね。少し待ってて――」

「レイちゃん」


 部屋を出ようとする彼女の手を掴んで引き止める。


「………………好きです」

「あっ……」

「レイちゃんが好き、です」

「……はい」


 僕に手を握られたまま、レイちゃんがぺたんと床に座り込む。


「その、この間はなんだかんだで、ハッキリと言葉にしてなかったから。ちゃんと言っておきたくて」

「……うん」

「自惚れかもだけど、レイちゃんよりも先に言いたかったんだ」

「………………うん」


 今日、レイちゃんが僕を部屋に招いた理由は先日の――僕の告白に対する返事をしたいというのが理由だった。


「……今のままでもいいんじゃないかなって、何回も思った」


 緊張で喉がカラカラに乾いていくのを感じながら、僕は独白じみた言葉を続ける。


「レイちゃんの笑顔が近くで見られるだけで十分だって」


 でも。


「この間のサトリさんの時に思ったんだ。レイちゃんの隣に居るのが僕以外の誰かになると思ったら……すごく、悲しくなったんだ」


 自分勝手で、我儘なことだけど。


「恋人になることが、大切な人の隣にずっと居られることだとしたら、僕は――」


 レイちゃんの光り輝くような、澄んだ瞳をじっと見つめた。


「僕は、レイちゃんとずっと一緒にいたい」


 最後にもう一度だけ深呼吸。


「――僕と、付き合ってください」


 無言。

 数秒程度の沈黙が、まるで永遠のように感じる。

 多分、レイちゃんからの返事は分かっている。それでも、不安と恐怖で心臓が潰れそうになる。もう後戻り出来ない一歩を踏み出してしまったのだから。

 彼女の唇が、ゆっくりと開いた。




「………………ごめんなさい」

「――――――ぁえっ?」


 一瞬、その言葉の意味するところに、僕は全身が砂になって崩れていくような錯覚を覚えた。



 ……しかし、柔らかく微笑む彼女の顔を見て、その言葉が僕の考えている意味合いとは異なることを理解し、ギリギリなんとか自我を保つ。


「私、この間ユウくんに『頑張ってほしくなかった』って言ったの、覚えてる?」

「え、ああ、うん」

「……怖かったの。ユウくんが素敵になる度に、私じゃユウくんと釣り合わなくなる気がして……ユウくんが、私の側から離れていっちゃうような気がして」

「そんなこと――」


『絶対に無い』と言う前に、レイちゃんの指が僕の唇を押さえた。


「でもね、私もユウくんと同じだったの」

「僕と同じ?」

「そう、同じ」


 彼女の言葉の意味が分からず、僕が頭上にはてなマークを浮かべていると、彼女は小さく笑って続けた。


「……私ね、ユウくんに会う時はいつもオシャレして、お気に入りのお洋服を着て、丁寧に髪を巻いて、変なところが無いか鏡の前で何回もチェックして……少しでもユウくんに『かわいい』って思ってもらえるように、いつも張り切ってたの」

「えっ……そ、そうだったの?」

「……やっぱり気づいてなかったんだ」


 不満げに頬を膨らませるレイちゃんに、僕は慌てて弁明をする。


「ご、ごめん! ……その、レイちゃんはいつでも可愛かったから……」

「ふふっ、ありがと。……だからね、私もユウくんと同じなの。ユウくんに好きになってもらいたくて、お洒落も勉強も運動も頑張って、表面を精一杯取り繕って……『こんなに頑張ってるんだから、ユウくんは私を好きになってくれるよね?』って、みっともない事考えてた」

「そんなこと……」

「それなのに、ユウくんが頑張ろうとするのは止めて欲しいなんて、すごく自分勝手な言い方だった。……だから、ごめんなさいって、ちゃんと謝りたかったの」


 そこまで聞いて、僕は少し気まずいような、ホッとしたような気持ちになりながら、レイちゃんに尋ねた。


「……えっと、実は僕達って案外似たもの同士だったってこと?」

「ふふ、そうかも。二人して好きな子に素直になれない見栄っ張り。高校生にもなって恥ずかしいよね?」

「ぐうっ……」


 図星を突かれて呻く僕に、レイちゃんは少しだけ笑った後で、その眼差しを真剣なものへと変えた。


「私は――音虎ねとら 玲子れいこは、見栄っ張りで、幼馴染の男の子に10年以上好きって言えない臆病者で、ユウくんが思っているような純粋無垢な女の子じゃないかもしれません」

「……うん」

「それでも、こんな私で良ければ――」

「僕は、レイちゃんじゃないと嫌だよ」

「――――――ッ」


 僕の言葉に、堪えきれないとばかりに彼女の瞳から雫が零れ落ちる。

 好きな女の子を泣かせてしまったが、今回だけは大目に見てほしい。

 悲しい涙と嬉し涙の区別がつく程度には、僕だって自惚れているのだから。


「ユウ、くん……気持ち、伝えてくれて、ありがとう……っ」


 ぐいっと手で涙を拭った彼女が、弾けるような笑顔を見せる。


「私で良ければ、よろしくお願いしますっ」


 その笑顔はまるで光り輝く太陽のように、僕の目に眩く映った。


「私も、ユウくんが大好きですっ!」



 ***



「……それじゃあ、また明日」

「うん、また明日」


 夕暮れ時。レイちゃんの両親が帰ってくる前に、僕は彼女の家からお暇することにした。

 別にやましいことをしていた訳では無いが、両親の留守に年頃の娘が男と二人きりで部屋に居たというのは、あまり外聞の良い話では無いだろうし。

 ……頃合いを見て、レイちゃんの御両親にちゃんと報告したいなぁ……


「……えっと、その、ユウくん」

「ん、どうしたのレイちゃん?」

「あのね、その……私達、恋人同士になったんだし……お別れのハグぐらいはしてもいいんじゃないかな……」

「ぇうっ……あー、うん……レ、レイちゃんがいいなら、僕としては大歓迎だけど……」


「んっ」とレイちゃんが両腕を広げて、ハグ待ちのポーズをしているので、僕は壊れ物を扱うように彼女を優しく抱きしめる。

 レイちゃんの体温と感触、鼻腔をくすぐる甘い香りにクラクラしていると、胸の中の彼女はくすぐったそうに小さく笑った。


「ふふ、嬉しい……ユウくん……もう、絶対に、絶対に……






 逃 さ な い か ら ね ? 」

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