24.サマーデイズ~山茶花 千尋④~



「………………あちぃ」



 ジリジリとした太陽からの熱線に焼かれる砂浜の中で、俺――山茶花さんざか 千尋ちひろはソワソワと落ち着き無く、待ちぼうけをしていた。


 祖父母の家から歩いて数分程度の場所にある海水浴場での行楽は、毎年の恒例行事である。

 海に入れる機会なんて帰省した時だけだし、俺も泳ぐのは嫌いじゃない。



 ……だが、俺が何よりも心待ちにしているのは――



「チーちゃんっ! お待たせっ!」

「……っ!!」


 背後から聞こえてくる待ちわびたアイツの声に、俺は身を固くしてぎこちなく振り返る。


「お、おせぇぞ。レイ――」



 振り返った俺は今度こそ完全に固まってしまった。



「あはっ、ごめんごめん。慣れない水着だから、ちょっと着るのに手間取っちゃってね」


 レイの着ている水着は、去年まで彼女がよく着ていた上下一体のワンピースタイプではなく、トップとボトムに分かれた所謂ビキニタイプの水着だった。

 ワンピースタイプのそれよりも必然的に増えた肌の露出、それに先日の一件から目に焼き付いて離れない彼女の臍を凝視しそうになるのを、俺は歯を食いしばって堪える。


「チーちゃん? どうしたの?」


 そんな俺の気持ちを知ってか知らずか、レイが固まっている俺の顔を不思議そうに覗き込む。


 さて、以前も説明したと思うが、俺の身長はレイよりも大分低い。

 そんな彼女が俺の顔を覗き込もうとすれば、必然的に前にかがむような姿勢になる訳で。


 去年辺りから、急に女らしい体つきになってきたレイの胸の谷間が視界に――



「――な、なんでもねえよっ! そ、そんなことよりもさっさと泳ぐぞ! レイを待ってたから暑くて仕方ねえんだっ!」

「こーら。ダメダメ、まずはちゃんと準備運動しなきゃ」


 色々と不味いことになりかかってる下半身を隠すために、さっさと海に入りたいのだが、レイが至極まともな正論で止めに入る。


「ん~~っ」


 レイが身体の筋をほぐすように、グーッと両手を頭上に挙げて、上半身を逸らすように伸ばす。


 む、胸が……腋が……臍が……ッ!! 

 もうどうにかなりそうである。誰かこの無法女をどうにかしてくれ。


「……もうっ、チーちゃん? ちょっと見過ぎ」


 流石に俺の邪な視線に気付いたのか、レイは少し怒ったような顔をして身体を手で隠す。全然隠せてねえよ。むしろ余計エロいわ。


「――はっ!? あ、い、いや、これは……」


 言い訳も出来ず、しどろもどろになっている俺を見て、レイが困ったような微笑みを浮かべた。


「チーちゃんも男の子だもんね。女の子の身体に興味を持つのは悪い事じゃないけど……あんまりジロジロ見てたら好きな子に嫌われちゃうよ?」

「うぐっ」


 暗に自分が彼女の恋愛対象外に置かれている言葉が、俺のハートにぐさっと刺さる。


「……でも、せっかくだからチーちゃんに聞いておこうかな?」

「な、何をだよ?」

「この水着、どうかな? 結構頑張ってみたんだけど、男の子的には"グッ"と来る?」


 滅茶苦茶刺さってるよ。もう俺の体力バーは赤くなってるよ。

 そんなことを正直に言える筈も無いので、俺は曖昧な言葉で誤魔化した。


「ま、まあ、レイにしてはいいんじゃねえの?」

「ちょっと引っかかる言い方だけど……まっ、さっきあんなにジロジロ見てたんだから、悪くは無さそうだねー?」

「お姉さま、後生ですから先程の醜態は忘れて下さい」


 ニヤニヤとからかってくる従姉妹に、俺は砂浜の上で土下座した。膝と額が熱いぜ。



「……ふふ。この水着、ユウくん喜んでくれるかな……」



 ――その言葉に、俺の脳髄が急激に凍てつく。


 またか。

 またあの男か。


 視線を上げると、好意を寄せている少女が、俺ではない男を想って頬を赤らめている。



「――ッ!」

「きゃっ! チーちゃん?」


 俺は思わず乱暴に彼女の手を掴むと、波打ち際に向かって駆け出す。


「――い、いつまでペラペラ喋ってんだよ! 目の前に海が有るんだから、いい加減泳がせろ!」


 醜い嫉妬心を、子供みたいな言い訳で誤魔化して、俺はレイを無理やり水面に引きずり込んだ。


「わぷっ! こんのーっ! やったな!」


 黒髪を濡らした彼女が、ケラケラ笑いながら両手ですくった海水を俺に飛ばしてくる。


 そうだ。

 今、お前の前に居るのはユウとかいう男じゃない。俺なんだ。

 よそ見なんかしないでくれ。


 心に溜まった淀みを吐き出すように、俺は必要以上にはしゃいで彼女と水遊びを楽しむのだった。



 ***



「……ふぅ」


 海遊びを満喫する最中、喉が渇いたというレイに、俺は自販機へとパシらされていた。

 まあ、俺の分も奢ってくれてるし文句は無いが。

 レイと俺の分を合わせて2本のスポーツドリンクを手に、俺は砂浜へと戻る。


「……ん?」


 遠くに見えるレイの側に、見慣れない人影が居た。どうやら若い男の二人組のようだ。

 レイと何やら話しているようだが、どう見ても知り合いとは思えない。


「…………」


 嫌な予感を感じた俺は、駆け足で彼女へ近づく。

 男達の片割れが、馴れ馴れしくレイの肩へと手を回そうとする寸前に、俺は男達の前に立ちはだかった。


「待たせたな、レイ。行くぞ」

「チ、チーちゃん?」


 そのまま強引に彼女の手を掴んで、俺はその場を離れようとする。


「ちょ、ちょい待ち~。キミ、弟クン? 俺ら、ちょっとオネーサンと話が……」


 軽薄そうな男の言葉に、俺はレイへと視線を向ける。

 僅かにだが怯えた表情を覗かせた彼女を見て、俺は男達に向かって言い切った。



「悪いな。俺のカノジョ・・・・、疲れてるみたいだから休ませてやりたいんだ。それじゃ」



 俺の言葉に、男達がポカンとした表情を浮かべる。

 その隙に、俺とレイはその場を後にするのだった。



 ***



「……あー、わり。頼まれてたスポドリ、置いてきちまった」

「う、ううん。それは別にいいんだけど……」


 レイに絡んできた男達の姿が見えなくなった所で、俺は気まずい空気を振り払うように口を開いた。


「一応聞いとくけど、さっきのアレは知り合いだったか?」

「まさか。ただのナンパだよ。ちょっとしつこくて困ってたの。……チーちゃんが来てくれて助かったよ」


 絡まれた時の恐怖を思い出したのか、繋いだ手が僅かに震えている。

 そうだよな。普段の天然な様子から忘れそうになるが、こいつだって普通の女の子なんだ。自分よりデカイ男二人に囲まれて、怖くない訳が無いんだ。


「……もう大丈夫だから、安心しろ」

「――えっ?」


 レイを安心させるように、俺は彼女の頭を軽く撫でた。

 僅かに背伸びをする姿は、外から見たら非常にみっともないだろう。身長の低い身体が本当に恨めしい。

 だが、それでもレイの気持ちを軽くすることは出来たみたいだ。

 彼女は気持ちよさそうに微笑みを浮かべて、俺に撫でられるままにされる。


「やっぱり男の子だねー。ちょっとドキッとしちゃった」

「……ハッ、今日は随分大人しいじゃんかよ。何企んでるんだ?」

「ふふ、冗談じゃなくて本当に思ってるの。チーちゃんカッコイイなーって。『俺のカノジョに手を出すなー』なんて、女の子なら一回ぐらい言われてみたいもの」



 ……本当にこの女は。どうしてこう人の心を揺らすのが上手いのか。




「……ふふ、うんうん。チーちゃんは、本当に、本当に――――    





「ん? わり、何か言ったか?」

「チーちゃんの恋人になる女の子は幸せだなーって言ったの」

「へえへえ、そりゃどーも」



 こうして、とある夏の一日が終わっていくのだった。


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