第5話

 港、波止場の北の宿。


 いかにもっ、てな格好で男が呟いた。

「俺に惚れちゃあ、いけねぇぜ」

 そして、答える女。

「……はぁ?」


 少々男の時代錯誤は大き過ぎたようだ。女は冗談で返すことも、いや、受け止めることさえできなかった。


「あのぉ、お客さん」

「お客だなんて野暮な言い方は良くねぇな。俺の事は、ボギーって呼んでくれ」

 チッチッチ、と舌打ちまで鳴らしている。当然、トレンチコートにくわえタバコだ。

「……じゃあ、ボギーさん。もう一度言いますけど、料金の支払い、溜ってるんで払っていただきたいんです」

 嘆息混じりに、女。やっと男の種類がわかったようだ。

 種類、ナルシスト。完全に世界を履き違えている勘違い男。


「……支払い?」

 男の細い瞳が鋭く光る。女が一瞬、たじろいだ。男は、ふっ、と小さく笑い、言った。

「……俺は一文無しだ」


 ……、


 一瞬、静まりかえる、場。そして、女の顔がみるみるうちに赤く染まりだした。爆発、五秒前である。

「……何ですって?」

「だから、金はない」


 五、


「……お客さん、今日になったら金が入るって言ってませんでした?」

「そうか?」


 四、


「いいましたよね?」

「言ったかもしれん」


 三、


「じゃあ、」

「当てが外れたんだ」


 二、


「……」

「人生、そんなこともある」


 一、


「……つまり?」

「踏み倒しだ」


 0!


 チュドォォォンッ


 大爆発。それは、女が怒った爆発などではない。実際に、宿が爆発したのだ。

 崩れる、壁。

 吹き飛ぶ、屋根。

 血まみれの、女。

 唯一、男だけが平然と風を避け、その場に立っていた。衣服の乱れもない。手の中には小さなスイッチが握られていた。


「ふん、馬鹿が」

 目の前で絶命している女に向け、呟く。その瞳は鋭く、冷たい。

「……に、しても、」

 見事に廃虚と化した宿を一望し、男が言った。厳しい口調だった。

「ハルの奴、どうして来ないんだ?」


 港近くの古びた宿屋。周りにあるのは倉庫ばかりで、この時間は人通りなどないに等しかった。これだけの爆発が起きたというのに野次馬ひとり見受けられないのがいい証拠だ。爆発のせいでか、火の手が上がり始める。発見されるのも時間の問題だ。

「こっちから出向くしかないか」

 苛立たし気に歩き始める。後を振り向くことなど、一度もなかった。




『幼稚園バス襲ってGo!』


 白いボードには、確かにそう、書かれていた。

 デオドルラヴィーセウルコーポレーション第一基地、全員が揃っての作戦会議である。

 大体、悪の大結社なのになんでコーポレーション会社なのだ? 長ったらしい意味のない会社名といい、とにかくやってることに一貫性がなく、めちゃくちゃなのだ。


「……あのぉ、社長?」

 ラ・ドーンがボードを指差し、言った。

「社長ではないっ。今は総帥と呼べっ」

 偉そうにソファにふんぞりかえっているのは、サカキ。黒のタキシードに、怪し気な仮面を付けている。仮面は『大人の玩具 いじっ亭』で買ったもので、サカキに頼まれたラ・ドーンが購入した。タキシードは、サカキの一帳羅である。


「じゃあ、総帥。今日の会議の項目は、これで合ってるんですかぁ?」

 野太い声を目一杯可愛らしく演出し(ているつもり)ラ・ドーン。

「……不服か?」

「いえ、あの、不服っていうかぁ、あたしたちってぇ、世界征服を目的とする悪の大結社なんですよねぇ?」

「いかにも」

「じゃあ、どうして幼稚園バスを襲うんですかぁ?」

 隣でレイナもうんうんと頷いていた。どうやら二人とも、納得がいかないようだ。


 サカキが立ち上がった。ボードを指差し、そして早口で捲し立てた。

「ばっかもん! 世界征服を企む輩は昔っからこうしておる! お前、小さいときヒーロー番組見なかったのかっ」

「……変身魔女っ子ララリィなら見たけど」

 ぽそり、呟くレイナにラ・ドーンが同意する。

「きゃぁっ、懐かしいっ。あたしも見たわぁ、ララリィ。可愛いくって、大好きだったのぉ」

「えぇ? ランも見てたのぉ?」

「当たり前じゃなぁい。あたし変身シリーズで見なかったのってないものぉっ」

「じゃあさ、あれは? 魔法少女ネネ!」

「見てた見てたぁっ! あったしぃはー かわいいまほうつぅかぁいいー、って奴!」


 二人はわなわなと震えているサカキなど完全に無視して昔見たアニメ番組の話で盛り上がっていた。大体において、レイナとラ・ドーンでは年齢差が十以上あるというのに、どうして同じ番組の話で盛り上がれるのだろう?


「……しゃあらぁっぷっ!」


 ダンッ


 テーブルを叩き付け、サカキ。騒いでいた二人もその音に驚き、ようやく口を閉じた。女二人集まるとどうしてこうもうるさいのだろう。と、そこまで考えて、気付く。


(ラ・ドーンは男だっつーの)


「……でも、総帥、ヒーロー物の悪役たちって結局は負けてるじゃないですか。そんな人たちの真似をして、本当に世界を征服できるんですかね?」

 レイナが尤もなことを言う。さすがのサカキもこれには言葉が詰まった。が、言い返した。変なところで負けず嫌いなのだ。


「……悪しき者たちはいつも正義を振りかざす偽善者どもにしてやられてきた。その散り際はいつも壮絶たるものだった。彼らを思い出す度、私は今でも目頭が熱くなる。いいか、レイナ、悪を、悪を絶やしてはいかん。絶対にいかんのだぁぁっ!」


 ぐぉぉぉぉ


 拳を握りしめ、語る。それを見るレイナの目は、いつの間にかまたしてもハートマークへと変わっていた。


(社長……かっこいいっ)


 なぜそう思うのか、彼女の思考回路がどうなっているのかは知らない。

 ラ・ドーンだけが一人、取り残され、つまらなそうな顔をしていた。

「どうした、ラ・ドーン」

「あたしは嫌だわ。ちぃーっとも素敵じゃないし、」

「何を言うっ。私たちが送った予告状を見て、カルロは緊急会議を開くほどにびびっているというのにっ」


 キラリ、ラ・ドーンの瞳が光った。


「カルロ様が?」

 ミーハーなのだ。

「そうとも。いいか、ラ・ドーン。私たちはカルロに追われることになるのだぞ。あの、カルロに、だ」

 サカキがラ・ドーンの心に火を放つ。ラ・ドーンはサカキの思惑通り、俄然、やる気を起こし始めた。


(カルロ様に追われる……)


 ラ・ドーンの頭の中では壮絶なドラマが生まれていた。

『こらこら、待てよラ・ドーン~』

 カルロに追われる自分。

『あはは~、捕まえてごらんなさぁい♡』

『よぅし、いくぞ~』

 あの、カルロが自分を追い掛ける図。

 二人の周りには色とりどりの花が咲き乱れ、蝶が舞う。悪と善との、結ばれぬ恋。


「ス・テ・キ」


 ほわぁ~


 遠くを見つめているラ・ドーンを見、サカキがニヤリと笑った。動機はどうあれ、やる気を起こしてくれたことに間違いはない。今はそれだけで充分だ。


「どうだ?」

 再度、気持ちを確認すべく、サカキが問う。二人は無言で頷いた。もはやサカキの馬鹿らしい企みを止める人物は、誰一人いなくなったのだ。


「で、いつ実行するんですぅ?」

 完全に燃え上がってしまったラ・ドーンの質問に、サカキは笑顔で答えた。

「……明日、だ」

 ……早い。即断即決だ。……なぜか? それは、ひと月後のクララの発表会に支障を来さないためであった。あくまでもクララが第一なのである。


「緊急会議までして待っているカルロを待たせるわけにもいくまいて」

 顎を撫で付け、適当なことを言う。大体、カルロはラ・ドーンの書いた予告状などこれっぽっちも気に止めてはいないのだ。

「どこの幼稚園バスを狙うんです?」

 レイナが地図を広げ、言った。


 マクレ三番都市には大小ざっと三十近くの幼稚園がある。エスカレーター式に進学可能な有名幼稚園から、生徒数が十人足らずな小さなものまでだ。狙う

 なら、断然金持ちの多い幼稚園だろうと踏んだのだが、


「さくら幼稚園だ」

「さくら幼稚園?」

 サカキの口から出た幼稚園は、どちらかというと地味な、どこにでもあるような幼稚園の名だった。

「……あの、五丁目の?」

「そうだ」

 今あるサカキの会社から、歩いて数十分の場所。郵便局とタバコ屋の並びだ。

「どうしてです?」

「決まっておる。……近いからだ」


「……」

「……」

「……」


 三人は沈黙した。さすがのサカキも、さくら幼稚園を狙う理由に説得力がなさ過ぎると感じたのだろう、反省しているのか、額にうっすらと汗がにじむ。


「総帥がそうおっしゃるんでしたら、私はそれでいいです」

 顔色一つ変えず、レイナが言った。こうなればラ・ドーンとて文句を言う事はできない。要はカルロの気を引ければいいのだ。例え地味な幼稚園だとしても、別に構わないのである。騒ぎを起こせればいいのだから。

「……よし、決まりだ」


 ばさぁっ


 サカキがマントを大きくなびかせた。きびすを返し、出口へと向かう。


「総帥、どこへ?」

 決定したのは明日、さくら幼稚園の送迎バスを襲う、ということだけ。詳細については何も話されていない。


 サカキがピタリ、と足を止めた。

「……おトイレ」


 ばさぁっ


 カツ、カツ、カツ、カツ、


 格好良く決めている後ろ姿ではあるが、耳まで赤くなっている。


(言うんじゃなかった……)


 後悔先に立たず。

 そして決戦は、明日。

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