第697話 閑話 その頃の義元


 織田信長の活躍は駿府の今川義元の元にも届いていた。


「ほぉ、単独で織田信友を討ち取ったか。見事なものよな」


 義元の賞賛に軍師太原雪斎も同意する。


「まことに。あのときよりもさらに兵を鍛えているようですな」


 あのとき、とは信長が信秀の救援のため出陣し、今川義元と一騎打ちをした戦のことだ。


 信長の見事な武者振りを思い出しながら、信長につけられた顔の傷をそっと撫でる義元。ここまで目立つ傷をつけられたのなら恨んでも良さそうなものだが、むしろ義元にはそれを誇るような気配すらある。


「信友を排除。美濃との同盟はほぼ確定。さらには長島までも制圧したか」


「順調に周囲の勢力を排除しておりますな。まことに見事なお手前で」


「ほぉ、御師様が素直に褒めるとは珍しい」


「次代の尾張守護まで確保されては、これはもう褒めるしかありますまい」


「で、あるな。あとの目下の敵は佐治水軍と――織田信広(信長庶兄)」


「さすがに船を作るのは時間が掛かるでしょうが……これは陸から佐治の本拠地を攻め落とす方が早いでしょうな」


「後顧の憂いがなくなれば、是非もなしか」


 ここで言う後顧とはもちろん今川から見た場合となる。尾張北部から西部、南部の敵対勢力を排除したのだから、これからは『正面』――つまりは今川家に注力できるようになるだろう。


 今川義元も北条と和睦をし、武田とも悪くない関係なのだから織田との戦に注力することはできる。だが……。


「……やはり和睦を前提として動くべきか」


「然り。何をするか分からない男ほど恐ろしいものはありませんからな」


「となれば、現状の国境くにざかいで停戦したいところではあるが」


「問題は岡部ですか」


「うむ」


 岡部真幸は元々今川義元の信頼厚い武将であったが、先の戦において織田方に捕らえられ――信長の器の大きさに感銘して降伏。今では織田方の武将として三河の上和田砦を任せられ、城としての拡張普請(工事)を始めたという。


「しかし、寝返ったばかりの岡部に我らとの最前線の砦を任せるとは……いかなる了見だろうか?」


「いくつか考えられますが……あえて今川に近い砦を任せることにより、裏切らないかどうか試しているのかと」


「それで裏切られてしまっては、苦労して手に入れた上和田砦を失ってしまうというのに?」


「そうですな。ですから信秀か信長は岡部を信頼しているものの、他の家臣たちが疑っているのであえて任せたという可能性も」


「ふ~む……」


「あるいは、今川に縁深い岡部を配置することにより、我らとの和睦交渉の『きっかけ』となることを狙っているのかと」


「我らが岡部に接触すると見越して、か?」


「おそらくは」


「う~む……。今川に戻ってくる気があれば岡部の方から連絡をしてくるか……」


「ここは誰か使者に立ててみてはいかがでしょう? 裏切り者を前にしても激高しないような人物を」


「うむ、そうするか」



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