第582話 閑話 三好宗三
堺の豪商・津田宗達は三好宗三(政長)の元を訪れていた。件の、三好長慶が排除するために動き出した人物だ。この三好宗三の息子が後に『三好三人衆』の一翼を担うこととなる。
そんな宗三の元へとやって来た津田宗達はすでに息子・津田宗及に天王寺屋を譲っている楽隠居なのであるが……「やはり大事な話は宗達殿に」という人間はまだまだ多い。
今日の訪問先である三好宗三もそんな人間の一人なのであるが……今日は宗達の方から面会を求めたという点が珍しかった。最近の宗達は意識して人との交流を減らし、宗及への代替わりを促進させようとしているが故に。
何が目的なのやら。
訝しみながらも、長年の付き合いから「不利益にはならぬだろう」という確信があったし……なによりも商売を抜きにしても趣味の合う友人同士であったので快く迎え入れた宗三である。
一通り茶を楽しみ、名物を語り合っているうちに、話は自然と最近の堺の発展へと移り変わった。
「近頃は堺も益々発展しているようじゃな」
「えぇ。大桟橋もできましたし、京へと繋がる運河も完成しましたからな。すべて帰蝶様のおかげです」
「帰蝶……。話を聞く限り噂に尾びれが付いているようにしか思えぬが……実際のところはどうなのじゃ?」
「そうですなぁ。噂程度では帰蝶様の凄まじさは推し量れぬでしょう」
「ほほぉ」
堺の豪商として数々の戦国大名や公家、豪商らとやりあってきたのが津田宗達という男である。そんな彼にそこまで言わせるとは……。
これは本物か。
そう確信した宗三に対して、津田宗達は僅かに身を乗り出した。
「その、帰蝶様に関することなのですが」
「…………」
これが今日の本題か、と察した宗三は居住まいを正した。
「――曜変天目を、帰蝶様が欲しておりまして」
「なんと、」
愚かなことを。
反射的に怒鳴りつけようとした宗三は、なんとか耐えた。この宗達が曜変天目の価値を知らぬはずがないし、知りながらもなおそのようなことを口にしたからだ。
「曜変天目……。その帰蝶とやらは、価値が分かっておるのだな?」
「はは、それはもちろん」
「で、あろうな」
価値が分からずに「有名だから」という理由で求めるような人間を、津田宗達が取り合うはずがない。それがたとえ神仏としか思えぬ『力』を持った存在であろうとも。
普段は商売のことを最優先としながらも、通すべき筋は通す。だからこそ津田宗達は堺随一の豪商となれたのだし、こうして隠居後も宗三と交流を保つことができるのだ。
「帰蝶様は相当な数寄者でありまして」
「おぬしがそのような話を持ってくるからには、そうなのであろうな」
「帰蝶様も曜変天目を手に入れるためならば銭を惜しまぬとのこと。いや、手前が腰を抜かすほどの銭を前金として渡されましてな」
「ほほぉ? 銭に目が眩んだか?」
そんなことはないと知りながらも宗三は冗談半分に問いかけた。いくら銭を積み上げようとも渡すことができない。それが曜変天目という名物である。
「……曜変天目が手に入るとなれば、帰蝶様も宗三様の『御味方』となってくださるでしょう」
「ほぅ?」
帰蝶の噂を信じるならば、山ほどの大きさの龍を退治し、堺に巨大なる桟橋をたちまちのうちに作り上げ、さらには堺から京にまで繋がる大運河を掘り、しかも大坂本願寺を焼き討ちしたという。
俄には信じられぬが、宗達ほどの人物が語るのだから事実――いや、事実よりも過小に語られているのだろう。
そんな人物が味方となれば……。宗三が三好一族の『本流』になるだけではなく、細川晴元を廃して京を制することすらできるだろう。
それは逆に、今の宗三が置かれた立場の危うさを示しているとも言えた。古くからの友人である宗達が、帰蝶への助力を勧めねばならぬほどに宗三の旗色は悪くなっているのだろう。
しかし、
「舐めるな、宗達。この儂が、我が身可愛さに曜変天目を手放すような男に見えたか?」
「ですが、宗三様……っ!」
下手をすればこの場で手討ちにされる危険もあるというのに、それでも食い下がろうとする宗達。
その目から読み取れるのは商人としての利益ではない。ただ、古くからの友を案じる良心のみ。
その目に、宗三は負けた。
「……相当な数寄者といったな? ならば、帰蝶とやらと語り合うのも悪くはあるまい」
「っ! では、帰蝶様にもそう伝えておきます。お忙しい方なので接触するのも難しいですが……」
「噂以上の力を持つのなら、当然よな。……勘違いするなよ宗達。儂は曜変天目を売り渡すつもりはない。ただ、女人でありながら曜変天目を求める帰蝶とやらに興味を抱いただけのこと」
「はは、肝に銘じまする」
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