第538話 閑話 堺にて
堺に到着した三好長慶は、まず顕本寺を訪れた。
顕本寺とは『南西国末寺頭』とされ、法華宗の西国布教の拠点となっている寺であり――三好長慶の父、三好元長が自害して果てた場所だ。
元長は最初念仏寺で自害しようとしたが、断られてこの顕本寺で命を絶った。
ゆえにこそ、長慶はこの寺を元長の位牌所として庇護を与えてきた。
今はまだ『時機』ではないから大坂本願寺と良好な関係を築いている長慶であるが、彼は本来法華宗徒。さらに本願寺の一向一揆は父元長が自害する直接の原因となったのだからいずれ倒すべき『敵』であった。
しかし、それもいつかの未来の話。今日の彼は顕本寺に祝言を述べに来たのだ。
「お上人。このたびは真に目出度く――」
顕本寺の属する日隆門流(本門流)の大本山は本能寺。その本能寺が天文法華の乱で焼き討ちに遭って以降、ここ顕本寺を本山としてきた。
そしてやっと帰洛が許され、京都に本能寺が戻ることになったのだ。
長年の悲願が叶うおかげか、上人はどこか安堵した様子であった。
「いや、正直助かりました。近頃は堺も居心地が悪く」
「ほぅ、そういえば、一向一揆めが再び攻め寄せたのでしたか。まったくあの連中も……」
「いえ、それもあるのですが……近頃の堺には急速に『吉兆教』が広まっておりましてな。うちの僧の中にも吉兆様に手を合わせる者が出てくる始末で」
「ほほぉ?」
新興宗教が出てきたのなら、まず寺の焼き討ちを考えるのがこの時代の宗教というものだろう。そこまでは行かなくても、法論などを繰り広げて相手の布教を邪魔するのが通常。別の宗教が堺に広まっているという危険な時期に、京都に戻れることを喜ぶような口ぶりをするとは……。
「正直申しまして。拙僧もこれ以上ここにいては信仰が揺らぎそうでしてな」
「お上人が、ですか?」
「えぇ。――あの御方の『力』は、まさしく御仏の奇蹟。おそらくは本物の薬師如来がこの地へ遣わせた存在なのでありましょう。ですが、この歳になるとそう簡単に宗旨替えはしがたく……」
「……薬師如来の化身、でありますか」
「えぇ、まさしく化身でありましょう」
「…………」
三好長慶も、法華宗を通じて堺に対する影響力を拡大しようとしてきた男だ。奈良の外港である堺。三好氏の本拠地である阿波。淡路。そして新たに影響下においた西宮や兵庫津……。それらを合わせ、いずれ本願寺を大坂の地から追い出して『瀬戸内海経済圏』を作り出すのが長慶の構想だ。
その重大拠点の一つである堺で急速に勢力を伸ばす帰蝶と吉兆教。
さらには、吉兆教が淡路島のすぐ近く、友ヶ島を影響下においたという報告もある。
堺。そして友ヶ島。
これらを線で繋げれば瀬戸内海から伊勢湾、関東に繋がる海路を抑えられてしまう。
長慶の考える瀬戸内海経済圏にとって、大いなる障害となりうるのだ。
「…………」
偶然ならば、それでいい。
だが、帰蝶という女がすべてを理解しながら行動しているとしたら……?
(マムシの娘。そして久秀が目を掛けているほどの女、か。やはり一度会わねばならぬか)
その優しげな風貌の中に鋭い眼光を宿しながら、三好長慶は静かに決意した。
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