第537話 閑話 少年はゆく
証如の死から数日後。
虎寿――のちの下間頼廉は新法主・顕如に呼び出された。
この数日、顕如は明らかにやつれたように思う。まだ少年だというのに、実の父の壮絶な死を目にしたのだから当然と言えば当然か。
だが、虎寿としては呆れるしかない。
本願寺を守るという名目で実の父を軟禁したのは顕如ではないか。あの腹黒い蓮淳を迎え入れる決断をしたのも顕如ではないか。
結果として証如様は軟禁生活で病を悪化させ、自分の手での本願寺再建を断念せざるを得なかった。
あの老獪が戻ってきたせいで、今も信者十万が一つの城にかかり切りとなり、飢えに苦しんでいるという。
帰蝶という人物が川の流れを変えたというのなら、まずはそれを元に戻してもらえるよう交渉するべきだったのだ。だというのに堺を攻め、淀城を攻め、交渉の糸口を自ら潰してしまっている。
そう、今の本願寺の苦しみは、元はといえば顕如に原因がある。
すべては顕如が悪いのだ。
それを、帰蝶なる人物に責任転嫁するなど……愚かにもほどがある。
そんな愚かな少年が期待を込めた目で虎寿を見つめる。
「虎寿。我らは帰蝶を打ち倒し、父上の仇を取らなければならぬ」
「……はっ、必ずや」
ここで感情にまかせて糾弾しないだけの理性を虎寿は持ち合わせていた。
「帰蝶なる者は怪しげな術を使い、10万の兵でも攻めあぐねているという。――化生の者を調伏するは、仏僧の使命。我らは負けるわけにはいかぬ」
「ははっ」
「いくら蓮淳様の権勢が凄かろうと、寿命には勝てぬ。永遠に本願寺を牛耳ることができぬ以上、
「……承知しまして御座います」
粛々と頭を下げる虎寿。そんな彼の態度に満足したのか、顕如は虎寿を下がらせたのだった。
虎寿が、胸中でどんな『覚悟』を決めたか知る由もなく。
◇
翌、早朝。
虎寿は必要最低限の荷物を纏め、本願寺の門を潜ろうとした。
「おい、どこへゆくのだ?」
そう声を掛けてきたのは、まだ年若い僧兵。
虎寿には見覚えがあった。かつて証如様がお堂に軟禁されていたとき、護衛という名の監視役をしていた僧兵。そして、証如様が身罷られたときにも、あのお堂の中にいた男だ。
……彼からの「悩みすぎるなよ。あまり悩むと、人というのはとんでもないことをしてしまうからな」という助言は今も鮮明に覚えている。
とんでもないこと。
今の虎寿がしようとしていることは……おそらく、とんでもないことだろう。
誤魔化しを口にしてもよかった。
顕如様のお遣いで外に行くと嘘を付いてもよかった。
だが、虎寿には不思議な確信があった。
「本願寺を、正さねばなりません」
「……証如様の御遺志か」
どうやらこの僧兵にも証如の遺言は聞こえていたらしい。
「はい」
「それは、本願寺の中にいてはできぬことか? おぬしは将来的に顕如様の側近となるのだから――」
「――あの男では、無理です。僧籍にありながら、八つ当たりの復讐に囚われているあの男では」
尊敬する証如の、実の息子に対する辛辣な言葉。微塵も迷いのない瞳。これが齢十にも満たない少年の態度かと僧兵は嘆息してしまう。
少年が、少年らしい日々を過ごせる時間を、本願寺という場所は奪ってしまった。
本願寺に籍を置く者として、僧兵も責任を感じてしまう。
「……虎寿」
僧兵が懐に手を入れ、何かを虎寿に投げてきた。
虎寿が受け取ったのは、古ぼけた巾着袋。その中には――少なくない銭が入れられていた。
「今宵の酒代だが、おぬしに預けよう。路銭の足しにするがいい」
「しかし……」
驚くほどの大金ではないが、一晩の酒代にしては多すぎる。ましてや普段から持ち歩くなど……。まるで、
訝しげな目を向ける虎寿に対して、僧兵が不敵に笑ってみせる。
「なぁに、
もしも。
本気でそう考えているのか。あるいは当てのない旅に出る少年を
どちらにせよ、この好意は受け取るべきだと虎寿は判断した。
「……ご高配、ありがたく」
「いいからさっさと行け。上には顕如様の遣いであると申しておったから通したと報告しておく」
「はは、では、いずれまた」
「もう会わない方が平和でいいのだがな」
そんな憎まれ口を叩く僧兵に別れを告げてから、虎寿は本願寺をあとにした。
※近況ノートに書いておきましたが、帰蝶様の大活躍(意味深)はR-18Gになったので自粛(未投稿)したんですよね。
そうしたら伏線一つ消えてしまいましたので、前話(第536話 そういうところやねん)に追記しておきました。3月7日11時頃更新済みです
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