第531話 閑話 天下人


「――ほぉ! 堺もずいぶんと様変わりしたものよのぉ!」


 兵庫から船に揺られ、はるばる堺へとやって来た男は喜色の声を上げた。


 この男、まだ年若く、いかにも優しげな風貌をしている。虫の一匹も殺せないような、戦国の世においてはいいように食い物にされてしまいそうな……。


 だが、そんな彼の側に侍るのは、梟雄・松永久秀。それだけで、この男が只者ではない証と言えた。


 そんな彼は、少年のように目を輝かせながら堺の大桟橋と、そこで荷下ろしをする船を指差した。


「ほぉ……。久秀、あれがおぬしの語ってくれた大桟橋というものか?」


「は、左様で御座います」


「あんなにも大きな船が横付けできるとは、何とも便利そうではないか!」


「はは、あの大桟橋ができてからというもの、堺における荷の扱いも増えたそうで」


「う~む、いいなぁ、西宮や兵庫津にも欲しいなぁ」


「……帰蝶様に依頼すれば、即座に作ってくださるでしょう。無論、相応の銭を支払わなければならないでしょうが」


「お、帰蝶。噂は聞いておるぞ? 久秀が惚れた女の娘だったか?」


「い、いえ、惚れたなど、そんな……」


「はははっ、誤魔化すな、誤魔化すな。おぬしの浮き足だった様子を見れば容易に察せられるというものよ」


「いや、まったく、困りましたな……」


 久秀からしてみれば、目の前の男は親子ほども年が離れている。だというのに、からかわれても不機嫌になることなく、困ったように笑うだけ……。それだけで男と久秀の良好な関係性が透けて見えるようであった。


「う~む、しかし、相応の銭か。そろそろ戦も近いだろうから、中々に難しい。こう、分割で支払うことはできぬだろうか?」


「ぶ、分割で御座いますか……?」


「うむ、五年くらいで分けて支払うのは駄目だろうか?」


「それは……」


 久秀が驚くのも無理はない。証文を書いて借金をすることならこの時代にも行われていたが、支払い自体の分割など、本来なら江戸時代に入って割賦販売が導入されてからの話なのだから。


 あまりに時代を先取りしている主君の発言に、久秀はらしくもなく冷や汗をかいてしまう。


 そんな久秀の反応から難しさを察したのか男はそれ以上無理強いをすることなく、堺の町に降り立った。







「ほほぉ、以前よりさらに活気が出てきたな。一向一揆めに襲われたと聞いて心配していたが」


「大桟橋と新たなる淀川のおかげでさらに人も物資も集まっておるようでして」


「お、淀川か! なんでも帰蝶とやらが一晩で作ったというではないか! 龍退治もしたという噂だが……どこまで本当なのだ?」


「は、拙者も実際に目にしたわけではありませんので……。ただ、あの御方の娘であれば、やりかねないでしょう」


「ほぉ」


 男としては『龍退治』よりも久秀が『あの御方』と呼ぶ女性の方が気になるのだが……。問い詰めたところで容易には口を割らぬだろう。あと一人くらい攻め手・・・がいれば何とかなるのだが……。


 それはともかく。せっかく淀川が話題に出たのだし、ということで男は久秀に案内されて堺の町を通過し、町と周囲の土地を仕切る土塀へと移動。門の近くに立っていた櫓に登り――大坂平野を見渡した。


「おぉおおおっ!」


 男は思わず目を見開き、感嘆の声を上げた。


 堺を取り囲む、非常識なまでに広い水堀。

 そして、内陸へ向かって真っ直ぐに、どこまでも真っ直ぐに伸びる新淀川。

 今は一向一揆が川沿いに布陣しているせいか船の動きはほとんどないが、平時ともなれば何隻もの船が京都を目指し新淀川を遡上することになるのだろう。


 こんな川は今までなかった。

 男が前に堺を訪れたときから作り始めても、とてもではないが完成させることはできないだろう。……普通ならば。


 これが『真法まほう』の力か!


「これはよしみを通じておかねば……。久秀、大桟橋について帰蝶殿に相談したい。すぐにでも会えないか?」


「す、すぐにですか……?」


 先ほどの分割払いは無茶振りをしなかった男であるが、此度は真剣さが違っていた。


「うむ。帰蝶殿にも予定があるだろうが、なるべく堺にいるうちに顔を合わせたい。できるか?」


「……今井宗久殿に相談してみます」


「うむ、ぜひにも頼んだぞ」


「は、ははっ」




 久秀に無茶振りをしたこの男性。名を、三好長慶という。


 出自すら分からぬ松永久秀を見出した人物にして――後の世において『戦国最初の天下人』と称された男である。




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