第143話 道三、轟沈


 ――稲葉山城。


 場所を改め。麓の御殿において美濃と尾張の将来を決める重要な会談は始まろうとしていた。


 この場にいるのは実質的な美濃の国主である斎藤道三と、尾張代表としての平手政秀。そして、当然のような顔をして帰蝶も臨席していた。


 普通なら(いくら自身の結婚が懸かっているとはいえ)帰蝶が同席するなどありえないが、道三も平手も、あえてそれを指摘することはしなかった。そもそも指摘したとして、誰が帰蝶を追い出せるというのだろうか?


「…………」


 帰蝶のことはあえて意識の外に追いやった道三は、悩んでいた。


 平手の話は単純明快。帰蝶と信長の婚姻。それに伴う美濃と尾張の和解・同盟。


 美濃にとっては悪い話ではない。

 道三は美濃国主として振る舞っているが、美濃全体を統一できたわけではない。土岐頼芸は美濃国主に返り咲こうと暗躍しているし、西美濃の長屋景興や揖斐光親も健在。彼らを支援しているのが他ならぬ織田信秀なのだ。


 ……ちなみに史実・・を知るプリちゃんは『はて? すでに長屋景興は攻め滅ぼされ、揖斐光親は城を追われているはずでは?』と首をかしげていたが、残念ながら二人にプリちゃんの声は聞こえない。


 それはともかくとして。帰蝶と信長が婚姻し、濃尾同盟となれば道三は美濃を統一したも同然となるだろう。美濃は先年の戦に勝ち、尾張は今川からの圧力が強まっている現状、かなり有利に交渉を纏めることができるはずだ。


 さらに言えば美濃の周辺にいるのは敵対関係にある朝倉や六角、婚姻関係はあるがあまり頼りにならない浅井なので、少しでも『敵』を減らせるのは喜ばしい。


 なのに道三が簡単に頷かないのは――交渉を積極的に進めないのは、二つの理由があるから。


 一つは、この平手という男。


(――読めん)


 見た感じはただの実直な男。道三の虚仮威しブラフに簡単に引っかかるし、少し強く押せば簡単に丸め込める気さえする。


 だが。

 織田信秀ほどの男が、こんな『単純で騙されやすい男』に重要な交渉を任せるだろうか?


 少し強く押せば、と思わせるのが狙いであるかもしれないし、罠であるような気がしてならない。


 いや、しかし、信秀もそれを狙って実直な男を交渉役にした可能性も……。実際、饗談(忍者)からの報告を信じれば単なる真面目な男であるし……。


 けれど、嫡男の傅役にそんなはかりごとのできない男を据えるだろうか? 傅役に求められるのは嫡男の教育であると同時に、あらゆる悪意から嫡男を守ることなのだから。そんな傅役に、実直なだけの男を据えるなど……いや、しかし……。


 思考のドツボにはまっている自覚はあるが、かといって一歩踏み込むことも危険である。だからこそ道三はここで積極的に交渉を進めることはしない。


 そして。もう一つ。

 道三が尾張との交渉を積極的に進めない理由は……帰蝶だ。


 ずっと探し続けたのに。

 やっと再会できたのに。



 ――もう嫁に行くだなんて、早すぎる。



 道三は謀略家である。

 目的のためなら手段は選ばないし、手段と目的をはき違えることもない。


 そう、目的だ。


 帰蝶がいるならば。

 あの女・・・の忘れ形見を手放すくらいなら。



 美濃一国など・・・・・・惜しくはない・・・・・・



 決意した道三はのっそりと立ち上がった。


「織田弾正忠(信秀)に伝えておけ――」


 道三はゆっくりと息を吸い、大きく胸を張った。


「――うつけ・・・などに大事な娘をやれる――かぁ!?」


 轟沈。

 轟沈した。

 具体的に言えば帰蝶に後頭部をぶん殴られ、道三は床に倒れ込んだ。かなり危険な打撲音がしたが、まぁ帰蝶がいるのだから死ぬことはないだろう。


「……は、ははは……」


 あまりにも容赦のない一撃と、あまりにも酷い美濃国主の痴態を前にして、平手政秀は乾いた笑みを浮かべるしかなかった。



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