第二章 エピローグ 見届けんとする者



 平手政秀とて、立身出世を夢見ないわけではない。織田弾正忠家の嫡男として公言されていた織田信長の傅役を命じられたとき、我が家の未来は明るいと密かに歓喜したものだ。


 ただ、問題だったのは。

 織田信長が『うつけ』だったことだ。


 勉学からはすぐに逃げ出す。

 かぶいた格好で街を練り歩く。

 次期当主として必要な礼節を学ぶことなく、弓馬の訓練に明け暮れる。

 側に侍らせているのは家を継げない次男や三男ばかり……。


 絶望した。

 暗澹たる思いに囚われた。


 このままでは家督が弟・信勝に移ってしまうだろう。そうなれば傅役である自分と我が家の未来も……。それを防ぐために平手は信長を『立派な跡取り』になるよう教育しようとしたが、そんな平手に反発するかのように信長の傾きは悪化していった。


 このままでは、もはや……。


 絶望する平手だったが、事態は思わぬ好転を見せる。あの日、いつものように城を抜け出した信長が、帰ってくるなり『沢彦宗恩を呼べ』と言ったのだ。


 信長の僧侶嫌いは平手も知るところであり、臨済宗の僧侶である沢彦から教えを請うことに反発していたはずだ。なのに信長は自ら沢彦を呼び出し、今までの無精を詫び、改めて師として勉学を教えて欲しいと頼んだのだ。


 あまりの急変に平手だけではなく沢彦宗恩も絶句したのは言うまでもない。


 あのときは理解ができなかったが、今なら分かる。帰蝶との出会いが信長を変えたのだろう。


 そう、変わった。


 信長は、変わったのだ。



「皆の者! ――わしは天下に武をくぞ! さすれば戦国の世も終わりを迎えよう!」



 その言葉を聞いた平手は絶句した。


 大風呂敷に唖然とした、わけではない。

 大言壮語に呆れ果てた、わけでもない。



 ――器が違った。



 うつけだったのではなく、自分程度の『器』では、信長の『器』を量れなかっただけなのだ。



 ――古代中国、春秋左氏伝にいわく、武に七徳あり。



 つまりは暴力を禁じ、戦を止め、天下の静謐を保ち、功績を正しく評価し、民を安心させ、集団を争わせず、国を豊かにすること。


 天下に武をくとは、日の本に七徳をきつめるという意思表示に他ならない。


 自らの出世と我が家の安泰ばかり願っていた平手の、何と小さなことか。


「…………」


 胸の鼓動が早まった。

 老年である平手が、まるで青年のように血を滾らせていた。


 皆が信長に歓声を向ける中、平手はその場で正座をし、深々と頭を下げた。



 ――お仕えしよう。



 傅役としてではなく。父・信秀に命じられたからではなく。一個の武士として、若様――いいや、信長様にお仕えしよう。



 この日。

 平手政秀は、真なる主を得たのだった。







 ちなみにではあるが。

 信長としては『言って聞かなきゃぶん殴れ!』の極致として天下布武を宣言しただけであり、そもそも勉学から逃げていた信長が武の七徳などというものを知っているはずがない。


 ただ、幸いなことに。その辺の認識のズレを平手が知ることは生涯なかった。結果良ければすべて良し。なべて世は事もなし。すべて帰蝶が悪いのだ。








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