第7話 帰蝶としてのこれから
「見たことのない者も多いだろうが、この娘は帰蝶。庶子ではあるが我が子である。やっと病状が回復したようなのでな、本日を以て奥の養子とする」
怒濤の展開が終わったあと。父様(道三)は家臣を集めてそう宣言した。父様のすぐ近く(とはいっても一段下がったところ)で深々と頭を下げる私である。
『庶子とは妾の子供であり、奥とは正室――つまり小見の方であると思われます。側室の子供を正室の養子にするというのは有名どころでは織田信長が嫡男信忠に行っていますね』
信忠って側室の子供だったのか。
『ちなみに史実において帰蝶は正室(小見の方)の実子だったはずなのですが……まぁ今さらですかね。史実で帰蝶は死んでいませんし』
プリちゃんが
さて、突然登場した私という存在を前にして家臣たちはざわついていたけれど、お父様の『何か問題があるか?』の一言で押し黙った。信長もビックリの専制君主っぷりである。
『戦国大名が専制君主かというと首をかしげるしか――』
ボケに対して真面目なツッコミをされてしまったでござる。
まぁとにかく。家臣たちの私を見つめる目は様々だった。幼かった頃の『帰蝶』を知っている人は驚いたり涙を流したりしていたし、そうでない人は疑いの目を向けてきている。中には日本人離れした『銀髪赤目』を気味悪がっている様子の人も。
そして。事実なんてどうでも良さそうな人も数人。私が『道三の娘』であれば政略に利用できるとでも考えているのだろう。元の世界の王宮や夜会でよく見た人種だ。
元々は引きこもりの私、多種多様な視線を向けられて胃が痛くなってしまったのは絶対の秘密。
そんな胃痛な時間も終わりを告げ。私は父様の私室に呼び寄せられた。戦国大名なのだから豪勢な部屋に住んでいると思ったのだけど部屋は質素なものだった。目立つものは時代劇でよく見るようなお茶道具に、床の間の掛け軸くらいしかない。下克上した人物なのだからもっと強欲で成金趣味だとばかり……。
茶釜で手ずからお湯を沸かしながら父様が質問してくる。
「帰蝶は昔のことを覚えているか?」
「……正直申しまして、あまり覚えていません。身一つで異世界に放り出され、その日を生きることに必死でしたから。過日を思い返す余裕もありませんでした」
はい嘘です。私は“帰蝶”じゃないので昔のことなんて覚えているはずがないのだ。
ただまぁ今までの会話から何となく察することはできる。幼い頃に本物の帰蝶は行方不明になり、こうして異世界転移してきた私を“帰蝶”であると勘違いしているのだろう。
「では軽く昔話をしておくか」
父様が語ってくれたのは私が行方不明になるまでの話。
昔々。父様は南蛮人の女性と恋に落ちたらしい。その人が帰蝶の母親であると。本来なら正室にしたかったがさすがに南蛮人は難しかったのだという。
(だから日本人離れした私の顔つきに違和感を覚えなかったのか)
そして事件は起こった。父様に恨みを持つ男がまだ幼い帰蝶を誘拐。父様はあらゆる手を使って犯人を探しだし追い詰めたが、もはやこれまでと悟った犯人は帰蝶と共に崖下の川に飛び込んでしまった。
助かるはずもない高さ。父様はそれでも必死に捜索を続けたが結局“帰蝶”は死体すら見つからなかったらしい。
それ以来帰蝶は城の一室で『療養』しているという扱いになり……本日、帰蝶の母親の墓参りに行く途中で私に出会ったと。
二つあったお墓。大きい方は帰蝶の母の墓で、小さい方が帰蝶本人のものかな? お墓を作ったのだから父様も帰蝶の生存は諦めていたのだろう。
湯が沸いたのか父様は茶器にお茶とお湯を入れてシャカシャカとかき混ぜはじめた。私は茶の湯に関する知識に乏しいけれどなんだかとても綺麗な所作に見える。
『道三と言えば毒殺ですよね』
縁起でもないことをほざくプリちゃんだった。私これからその人が淹れたお茶を飲むんですけど?
『主様は毒くらいでは死なないので別にいいのでは?』
なぜだが貶されているような気がする。人をバケモノ扱いするのは止めていただきたい。
『毒を飲んでも死なない存在は普通バケモノ扱いされます。ラスプーチン並みですね』
歴史に残る怪僧と比べられるのは喜ぶべきか嘆くべきか――いや喜んじゃいけないな。
父様から茶器を差し出されたのでとりあえず受け取る。
「……私、正式な作法など知らないのですが」
「気にするな。親子二人でいるときにそんな堅苦しいことは言わんさ」
とのことなのでなるべく上品になるよう気をつけながらお茶を口に含んだ。
にっがい。
それ以外の感想が出てこなかった。苦い。苦すぎる。よくもまぁ戦国武将は好き好んでお茶なんて飲んでいたものである。実は我慢比べをしていたのではないだろうか? むさ苦しい野郎共が狭い茶室で苦い茶を飲みながら我慢比べ……なんだその地獄絵図。
「くくく、やはり苦いか」
「やはり、とは?」
まさか普通より苦くしたのだろうか? さすが美濃のマムシである。
「いやなに、昔おぬしに茶を飲ませたときまったく同じ顔をしたのを思いだしてな。幼子に対する戯れであったがいい顔であった」
「…………」
じとーっとした目で見つめると父様はあからさまに話題を変えてきた。
「うむ、よい行儀だな。日本のものとは異なるが品はある。それも異世界とやらの所作なのか?」
「……そうですね、宮殿に招かれることもありましたので」
「ほぅ、宮殿に? 異世界とやらでも高い地位を得ていたとは、さすがは我が娘だな」
「……自分で言うのも何ですが、異世界うんぬんを本気で信じているのですか?」
「他の者が語れば正気を疑おう。だが、帰蝶は生きて帰れぬほど高い崖から落ちたにもかかわらずこうして我が元へ戻ってきた。それに、『まほう』だったか? 致命傷だった光秀を瞬時に治したあの技を見れば、異世界という妄言も信じなければならないだろうよ」
何とも柔軟な思考だった。こういう(怪しい)存在を受け入れるのは信長の専売特許だと思っていたのだけど。
「実の娘ではなく、狐狸の類いが帰蝶に化けている可能性もありますが」
罪悪感からか、思わずそんなことを口走った私である。
「はははっ、美濃のマムシを騙したのなら見事なものだ。であるならば最後まで付き合ってやるのも一興よ。酒池肉林を成すもよし。美濃を手に入れたければ好きにせよ」
「ご冗談を」
と、言い切れないのが斎藤道三という人物か。なにせ史実においては人生を賭けて乗っ取った美濃という国を、義理の息子とはいえ血のつながりのない織田信長に譲ってしまおうとしたのだ。自分が認めた相手になら『ぽんっ』と渡してしまいそうな気がする。
もちろん家臣や国人たちは反発するだろうけど。それすらも何とかできると確信している相手だからこそ国譲りしてしまうかもしれない。実際、信長は実力で美濃を手に入れて死ぬまで守り抜いたわけだし。
「うむ、苦いな」
自ら入れたお茶を飲んでつぶやく父様だった。そんな茶を娘に飲ませるな。
じっとーっとした目で見つめると『あのときと同じ目だな』と父様は苦笑していた。
「さて。ここからは提案というかお願いなのだが」
「なんでしょう?」
なにやらイメージよりだいぶ愉快な美濃のマムシであるが、マムシはマムシ。『織田信長に嫁いでくれ』と言われても不思議ではないだろう。
「光秀を救った魔法。あれを他の者に教えることはできるか?」
「…………」
まぁ手に入れたいだろうねぇ特に戦国大名は。本来なら死んでしまう兵士が生き残ればそれだけ戦力の減少を抑えられるのだから。
たとえば、敵国では負傷兵の42%が死ぬのに我が国では5%しか死なないとする。それはどんな武器にも勝る『力』となるだろう。
「……回復魔法は人を救う術ですので、こちらとしても秘術とするつもりはありません。しかし、馬上でも話しましたが才能に左右されます。教えた当日にものにする人間もいれば、十年経ってもろくな術を使えない人間も出てくるでしょう」
「才能の見極めはわしには分からん。帰蝶に一任する」
「教える対象は斎藤の一族でしょうか? それとも家臣にも広げますか?」
「できれば城下の者にも教えてやって欲しい。そうすれば美濃国内で救われる命も増えよう。もちろん最初は我が一族や家臣を優先してもらうが」
「……よろしいので?」
一族や家臣であれば秘密は(比較的)守られるだろう。でも、庶民にまで教えたら一気に拡散するはずだ。下手をすれば敵国にまとまった数の治癒術士が誕生し、従軍するかもしれない。
私ですら思いついたのだ、美濃のマムシが気づかぬはずがない。なのに父様は面倒くさそうに手を払った。
「最近家臣たちからの突き上げがひどくてな。このあたりで『民』のための政策の一つでも打ち立てなければ義龍めに強制隠居させられてしまう」
『斎藤義龍は道三の息子ですね。今から六年ほど後に道三を半ば強制的に隠居させ、ついには長良川の戦いで道三を討ち取ることになります。ちなみに道三が隠居させられた理由は領国経営の稚拙さがあったという説も』
プリちゃんが解説してくれた。さすがの私でも斎藤義龍くらいは知っている。……ときどき龍興とどっちがどっちか分からなくなるけど。戦国武将、名前が似ている人間が多すぎである。信長の一族なんて後世に対する挑戦としか思えない。信○が多すぎだし、同一人物でも『織田信友、あるいは信豊、広信とも』とかケンカ売っているのか。
それはともかくとして。――民のため。それだけ聞くと真っ当な理由だけど、まだ他に訳がありそうな気がするなぁ。
しかし私程度の人生経験値でマムシの腹の内を読み取ることなど不可能なのでここは大人しく提案を受け入れることにした。
「回復魔法だけでは使える者が限られます。広く万民のための政策として、通常の医療技術も教授しようと思いますが、よろしいですか?」
元の世界でも治癒術士は貴重で、大体の治癒術士は貴族や有力者お抱えとなっていた。必然的に大都市以外の村などでは通常医療 (薬草学)も多く活用されていたのだ。おそらくこの国でも似たようなことが起こるだろう。
民のために、と考えるなら治癒術だけではなく(前世の知識も活用した)通常医療も同時に広めた方がいい。
「帰蝶の思うようにせよ。費用は望むだけ――いや、できるだけ出そう」
最後がちょっと不安だったけど、とりあえずやるべきことができたのは僥倖だろうか。この国で治癒術士を増やす仕事をしていれば『他の国に嫁がせる』という選択肢も上りにくいだろうし。
難しい話はまた明日ということとなり。私は父様にせがまれる形で元の世界の話をしてその日を終えることとなった。
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