第二章

第1話 目覚め

 体が重い。何故だろう。この暖かい場所にずっと留まっていたい。苦しみから解放された安らかな聖域。誰にも踏み入られない不可侵領域。いつまでもいてもいい気がするのに、いつまでもいたらダメな気もする。なんて矛盾した空間だろう。この世に残された地上の楽園。


「早く起きないか!いつまでも布団にしがみついとるんじゃない!怪我はもう治っただろう!」


 ヒルドの街にいる口うるさい治癒院の爺さんの声がする。あぁそうか。俺はついに死んでしまったのか。でなければ今にも死にそうなあの爺さんがいるわけがない。

 目を半開きにしながら爺さんに返事をする。


「爺さん、あんたも死んじまったのか。地上はさぞ悲しみに暮れてることだろう。だがここはいいところだぞ。地上の楽園だ」


「寝ぼけたこと言ってる場合か!意識が回復しないから入院させてやったんじゃ!あっこら布団に立て篭もるな!」


「爺さん現実を見ろよ。俺はゴブリンたちと戦い、敵に一矢報いて死んだはずだ。俺の力で敵の壁は突破出来なかったんだ」


「それなら映像で知っとるわ!お前のことで街どころか国が大騒ぎじゃ!何でもお前は英雄らしいぞ?」


「俺が英雄?よしてくれよ。柄じゃないし、そんなもんになったら1人で静かに暮らせないじゃないか。それに映像なんて残せる高価な魔道具は誰も持ってないだろ?」


「それが同行した冒険者に記憶した映像を魔道具に付与する能力者がいたんじゃよ。お前の勇姿は皆の知るところだ。お前が意思の宿る剣を携え、何度も立ち向かう姿はまさに英雄じゃったぞ」


 爺さんはついに痴呆を発症したようだ。俺が英雄?そんな力は下着の中を探してもなかったぞ。仕方ないから爺さんの話に付き合ってあげよう。何度も世話になったしな。


「意思の宿る剣ってなんだよ。古の勇者じゃないんだからそんな剣持ってないぞ。それに敵の壁を俺はどうやって突破したってんだ」


「映像を見たギルドの連中の見解じゃと、剣が意志を持ったように動き、お前はそれに操られてる状態だったらしい。最後は剣の力を制御、解放して一筋の光が敵を撃ち抜いたと。わしも映像を見たがお前が確かに敵を消しとばしておったし、なんならミッド大山脈の頂上も抉り取っておったぞ」


「爺さんそろそろ戯言に付き合ってられそうにないわ。俺帰るわ。お金はどうしたらいい?」


「嘘だと思うならギルドに行って話を聞いてこい。金はガナーシュ辺境伯が出してくれとる。気にせんでいい」


「そうか。世話になったな」


 感謝の言葉を述べて、俺は治癒院を出た。年季の入った治癒院だがあの爺さんが卓越した回復魔法と人体知識で弟子を志望する魔法使いが後を絶たない。だがボケた爺さんのところにはもう志望者も来ないだろう。この治癒院も終わりかと思うと寂寥の気持ちが胸いっぱいに広がる。


 建て付けの悪いドアが歪む音を響かせて閉じる。道を歩きながらこれからのことを考える。


 さてどうしたものか。一応生きてることだし冒険者ギルドには寄ろう。それに装備も回収されてると思うから受け取らねばならない。


 冒険者ギルドまで直線のため、ただただ歩く。歩いていると違和感にすぐ気付いた。滅茶苦茶見られてる。露店の兄ちゃんや八百屋の婆さん、通りすがりのお姉さんに子供。老若男女問わず俺を見ては喜色の笑みを浮かべてる。


 俺は恐ろしくなってしまった。考えても見てほしい。昨日まで見つめられることなんてなかったのに突然街の人気者になってしまったようだ。もしや帝国の魔法使いに洗脳されて俺を監視しているのでは?そうだったらもうこの街にはいられないな。

 

 全く理由がわからない。もしや爺さんの言ってたことが真実なのか?だが俺はあの丘陵地帯で人間方位磁石になったこと、敵に悪態をついて意識を失ったこと以外わからない。


 考え事をしながら歩いてるといつの間にか冒険者ギルドの前まで到着していた。真相はギルドで聞くことにしよう。不気味な視線を気色悪く感じながら逃げるように冒険者ギルドに入った。


 冒険者ギルドに入ったがここはいつもと変わらない。特別視線を感じることもない。だが何か素晴らしいことがあったように活力に溢れた空気感が伝わってくる。もしや国が何かやったのか?ドーガで勝ったのかもしれない。それならばこの空気にも納得だ。


 俺は受付嬢に挨拶して、盗賊討伐の顛末を聞きたい旨を伝えた。何も覚えてないと言うと、なぜか別室に通されて映像を見ることになった。映像って何だよ。もしや爺さんの言ってた映像とはこれのことか?


 疑問符を浮かべながら待っているとギルド長がやってきた。あごひげがもみあげまで繋がっていて輪郭がわからなくなっているが、筋骨隆々で背丈も俺より高い。190cmくらいはあるだろうか。30代後半と俺と年が近いこともあって、妙な親近感を抱いていた。俺とは違い、ギルド長は元1等級冒険者として活躍していた実力も実績も確かな人物なのだ。俺のように人里離れた場所に違法建築物を作成するこすい男ではないのだ。


「お、英雄の帰還か。よくギルド内で騒ぎにならなかったな?お前さんは覚えてないみたいだからこの映像を見ろ。前の巨人討伐とは状況が違うんだ。もう手放しで賞賛されてもいいだろ?」


 何を言ってんだこの髭だるま。頭かちわるぞ。前の巨人討伐は好きで戦ったわけじゃないし、もう一度やったら俺は1秒でミンチだ。噂になった話とは天と地ほどの差がある。


 とりあえず噂の出所である映像を見ることにした。映像を見る魔道具は何の変哲もない石だった。そこらへんに落ちてる水切りで活躍しそうな平べったいグレーの石。魔力が込められると映像を宙に浮かべた。なにこれ家に欲しいな。


 最初はゴブリンとの戦闘だった。彼らが見た映像のため、俺は遠目に映るくらいだ。一体ずつ丁寧に処理してる。別に普通だ。2時間ほど経過したところまで早く再生される。そして噂の源が動き出す。


 俺の剣は青く発光し、俺は引っ張られる形で空を飛んでいた。棍棒で殴られても受け流したかのように体だけが後ろに動き、剣は前に進む。見事な回転をしながらウォーターカッターが飛散する。俺は空を飛んでは敵に突っ込み、回転する。外から見ればこんな気持ち悪い動きしてるんだな。人間じゃないみたいだ。


 映像の残り時間も差し迫った頃、俺は白いローブの敵と対峙した。相手は何か言ってるがよく聞こえなかったし、映像も遠すぎて何を言ってるかわからない。俺の剣は半円状の壁に阻まれていた。そしてまた突っ込んで腕が痺れたんだ。ここまではよく覚えていた。


 だが理解できないことがここから起きる。俺の剣は光を放っていた。剣の光がまっすぐ伸びる。真っ白い光のうねりは敵の壁を最も容易く砕き、敵の上半身が消滅した。ついでに奥にあったミッド大山脈の頂上付近も無くなってた。


 そして俺は立ったまま意識を失っていた。ゴブリン達は敵の能力が切れ、俺の攻撃に恐怖し逃げたそうだ。そして『紅』やレルバに俺は回収された。


 映像はここで終わった。ど、ど、ど、どうなってるんだ!今更になって新しい能力に目覚めてしまったとか?だが能力は18歳のときに付与されるか、無い場合のみ儀式で受け取れという手段が限定的だ。窮地に陥ったら都合よく能力が目覚めるなんて妄想あるわけない。そんなものは現実を見ていない人間が一発逆転を夢見ているだけだ。


 俺の能力は『圧縮』でこの光とは関係ない。とすれば、これは剣の力としか思えない。意思なんて持ってはないが、魔法を纏わせて発射できるのは間違いない。あの白い光は剣から発射された魔法だろう。だがあんなに凄い威力だったら田舎で引き籠ろうなんて思っていない。


 思い当たる節と言えばいつもと違う発動方法をしたことだ。あの時の俺は何にも考えず、全ての魔法を解放すると指定した。全てといっても纏った水魔法しかでないはずだった。だが白い光が出たということはあの剣の特性は魔法を纏わせるのではないということか?


 だったら魔法を剣に付与するとか魔法が剣に留まるとかそんなところだろう。しかし、新たな疑問が生まれる。魔法を纏っていれば剣の色が変わるはずだ。俺の剣は黒色で、魔法を纏った時だけ色が剣に沿って変化する。だから魔法をストックしていたとしても気づくはずだ。


 そんなとき一つの可能性に気づく。もしかすると剣に意図的に魔法を纏わせて維持しているときだけ色が変わるのか?その場合、俺は魔法を解除したと思って、剣の色も元に戻っているが、実際には魔法が剣の特性で維持されていたことに他ならない。そして珍しい鉱石をなんとなく『圧縮』したせいで魔法も『圧縮』してたのだろう。つまり、俺が魔法を解除しても他に剣に残留している魔法は解除されていない。そして俺が意図的にかけた魔法を解除すると、その魔法由来の剣の色の変化はなくなるというわけだ。


 それなりに納得できる結論が出たが、迫りくる英雄として担がれる現実に内蔵を全部吐き出しそうだった。だって俺の推測が正しければ、帝国の白いローブ野郎に全部解放しちゃったからもうストックないし、次はもう同じ威力出せない。


 でも噂だと意思を持つ剣と白い光を放つ、古の勇者のように勇敢に立ち向かうんだろう?周囲を巻き込んで暴走する水を纏う剣に、あと何年たてば放てるのかもわからない白い光、敵の武器がこん棒だったから偶々死ななかった体と揺らぎやすい決意。

 どれをとってもこれから英雄として致命的な欠点だ。ウォーターカッターを暴発させてしまう以上、あの技は誰かといたら使えない。運悪く味方の首を飛ばしかねない。


 これを機に冒険者を引退してもいいかもしれない。こんな噂話が出回ってしまえばもう活動できない。今まで以上にパーティに誘われたり、依頼の勧誘を受けそうだし。


「ギルド長、俺冒険者辞めます」


「何を言っているんだ。やめさせるわけないだろう?こんな活躍した英雄を。俺が辞めさせたと思われてギルド長を辞めさせられるわ」


「実は先の戦いで命には関わらないけど冒険者として致命傷を負ってしまったので辞めます」


「お前致命傷の意味わかってるか?命に関わらない致命傷なんてないんだぞ?」


「心の傷です。そっとしておいてください。俺が死ぬまで。あと依頼を受けなければノルマ未達で辞められるはずだし」


「心の傷ってお前も冒険者なら血生臭いのは慣れているだろう。今回の依頼で何か傷つく要素あったか?あとそんなことギルドは許さないからな。国中で話題になっているんだから、お前が辞めますって言って、はいそうですかとはならないぞ。新しい異名まであるのに……。」


「仲間を失ったんです。レルバっていうんですけど」


「あいつなら今酒場で祝勝会しているぞ。それにお前を回収したのはレルバだぞ」


「ちっ。しぶといやつめ……。あ、それはそうと俺の装備返してもらっていいですか?」


「あぁ。それならギルドの備品保管庫にあるぞ。それよりレルバ達のやってる祝勝会に顔出してやればいいんじゃないか?今回の主役だからな」


「えーと、検討しておきます。あと俺が受注していた2つの依頼ってどうなってますか?」


「あー、あれな。お前が意識を失っていたから、他のやつが再度依頼を受けたよ」


「それはよかったです。じゃあ装備受け取りますね」


「おう。それじゃあまた今度」


 俺はギルド長に別れを告げて装備を回収する。俺の装備は防具が傷んでいたくらいで、特に細工されたようではなかった。装備を身に着け、腰に剣を差す。よし、家に帰ろう。こんな街二度と来るか。一旦家でほとぼりを覚まそう。それで新しい名前で冒険者を細々と続けるんだ。30にもなって今更他の仕事ができるとは思えないからな。


 来た時と同じように冒険者ギルドから出る。通りにいる人々から受ける眼差しがしんどい。俺はお前たちが想像するような英雄じゃないんだ。一発屋の英雄とかいらなさすぎる。たとえ英雄としてちやほやされても面倒事があれば押し付けられるんだ。1等級が殺された魔物とか希少な素材採取を受けさせられた日には逃亡生活の始まりだ。


 それなら最初から誰もいないところで1人で生きればいいのだ。俺の家はばれにくいし、雪で家まで来れないだろう。わざわざ人が通らない場所に建てて正解だった。


 人々の期待の眼差しを背にヒルドから出発する。身分証確認の時に門番から「噂の英雄に会えてとても嬉しいです!」なんて言われてしまった。君が知っているのは虚像なんだ。等身大の俺は心も体も弱いんだ。イメージの俺は俺であって俺じゃない。


 多大な精神的苦痛に苛まれながら、家に向かう。家に帰れば全部帳消しだ。だって家には誰も来ないのだから。体が内側から蝕む苦悩から一転して楽観的な気持ちになってきた。


 2時間ほど歩いて家に到着した。到着したはずだった。だが雪しか見えない。なぜだろう。家までの目印は目立たない場所に置いてあったし、ちゃんとこの場所まで導いてくれた。


 家から見えるミッド大山脈の景色も変わりない。なのに俺の家の場所には山のように雪がある。雪崩でも起きたか?でも雪崩が起きる原因はなんだ?ん?よく見るとミッド大山脈の景観の内、見慣れない風穴が空いている。


 しかも頂上付近に何かが通過したかのように。デジャブか?最近見たことがあるぞ。って、俺が消し飛ばしたところじゃないか!あの白い光は俺にいらない評判を与え、代わりに俺の家を奪っていきやがったのか!。


 夢のマイホーム(違法建築物)は雪の中で眠りについた。まだ建てて1年くらいしか過ごしていないのに捨てるなんて悲しすぎる。あの時レイの案内でヒルドに向かわなければこんな目に遭わなかったんだ。


 全部全部レイが寒さで氷像にでもなっていればこうなっていなかったんだ。何年もお金を貯めてやっと建てた立派な家だったのに。これで俺は帰る家も貯蓄もない冒険者になってしまった。俺は涙を呑むしかなかった。


 だがこうしている間にも日が暮れていく。元々宿屋暮らしの根無し草だ。家がなくなったのであればどこにだって行ける。目を背けたくなる現実から気持ちを切り替えていく。変な噂が蔓延するヒルドから離れて俺のことを誰も知らない土地に行こう。

 

 南の方に行けば誰も知らないはずだ。王都を経由してひとまず南にあるゲルニーツァを目指そう。あそこは港町で刺身という食べ物を出していると聞く。一度食べてみたかった古の勇者の食事の一つだ。


 失ったものは数多く、得たものはあまりに少ない。だがやることが決まったのだ。うじうじしていられない。それに騒いでいるのはヒルドだけだ。たまたま近くで大事件が映像付きで知らされたのだ。百聞は一見に如かずとはこのことかと思うほど話の浸透する速度が尋常じゃない。しかし、王都にでも行けば喧しさから離れられるだろう。


 ヒルドに戻って馬を借りたら夜通しで王都まで向かうとしよう。王都で情報を集めて、ゲルニーツァでうまい飯を食うんだ。ついでに王都にある古の勇者の剣が置かれている祭壇を見て来よう。それから古の勇者が立ち寄ったという場所を巡る旅に出てもいい。


 ここに居る理由はなくなった以上、世界を見よう。誰も自分のことを知らない場所に行って、戦いとは無縁の生活を送るんだ。老兵は去るのみとも言うし、年齢を重ねた俺のような冒険者は引退して、青雲の志を持つ若い人間に道を譲るんだ。玉琢かざれば器を成さずというしな。


 冒険者としての進退を逡巡しながらタルバは暗くなってきたヒルドまでの道をとぼとぼ歩いて行った。




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