血と骨と肉の異聞奇譚

第8話 血と骨と肉の異聞奇譚 〈1〉


 

 第四話 血と骨と肉の異聞奇譚



 自分が死なないことを初めて知ったのは、ずっと昔の戦場でのことだった。

 捕虜を殺せという命令に背いたルエの頭を上官はいとも容易く撃ち抜いた。

 自分の頭蓋が割れた西瓜みたいに爆ぜた刹那、ルエの思考は凍りつき、そして次の瞬間には自分が撃たれる直前の状態に巻き戻っていた。

 何か恐ろしいものでも目の当たりにしたような怯えた様子の上官が続けざまに発砲し、結局ルエはその日二度死んだ。三度目は無かった。撃たれても死にきれなかったルエが自分の手で上官を撃ち殺したからだ。

 ……その部隊を懲戒により放逐されたルエはまた違う戦場に送り込まれた。

 塹壕で血と泥に塗れて戦う間に、ルエは徐々に自分の身体がどうなってしまったのかを理解する羽目になった。

 ある夜、酒が回った頃合いにルエは自分の喉に拳銃を突っ込んで思いきり引き金を引いた。

 隠れ家の土壁に血と脳漿がぶちまけられ、見ていた仲間が反吐を漏らし、ある者は発狂したが、結果は同じだった。ルエはまた死ななかった。

 今度は軍病院の特別ユニット送りになった。いくつかの問診と検査を受けたのちに表向きは除隊、秘密裏に独立作戦を推敲する特殊任務師団〈白鷺ライヤー〉に迎え入れられた。

 そこには自分のような人間くずれが複数いて、銘々が部隊の理念や作戦に存在理由を見出したり、あるいは虚無のようにただ存在し、戦っていた。

 ルエは長く続く戦火の中で両方の立場を行ったり来たりしたが、次第に仲間の死にも自分自身の死にも慣れていった。それでもたまに自分に向けて引き金を引き、ナイフを突き刺してみることがあった。やはり死ぬことはできなかった。自分がもう死ねないと悟ったのはその頃だったと思う。

 〈白鷺〉の中でも古参の男――オールドマンというそのままのコードネームで呼ばれていた男が「おまえさん、もらっちまったんだね」というので何のことかと問い返すと「たまにいるんだよ。瘴気に中てられて、あるいは戦場をうろつくうちにこちら側に来ちまうやつが」と答えた。男はヘビースモーカーだった。呑気に煙草をふかし、ゆっくりと紫煙を吐きながら「そこかしこの戦場にはいろんな病が蔓延っている。軽い熱病から相当厄介な呪いのようなものまでな。それが人為的に仕組まれたことだったのか、それとも偶然にして為ったことなのかはわからない。ともかくいくつかの戦争を経験するうち、稀に俺たちのような人間くずれが出来上がることがある。おまえはそうだな……。吸血鬼のようなものだね」と語った。

「それじゃあ、ボクは戦場を行き来してお金を稼ぐうちに……知らない間に怪物になっていたってことですか」

「はっきりとは言えないが、な。短期間のうちに複数の戦場を経験する人間は確実に増えている。そういう中から俺たちのような人の道理から外れた者がぷちぷちと生まれてやがるんだ」

「……それでボクらはどうなるんですか」

「どうにもならんさ。ひとつ言えるのは俺たちは戦争のために、あるいは代理戦争のために、代理代理戦争のために組み替えられた兵器だということだ」

 果たして、その通りだった。

 ほどなく前より大きな世界戦争が始まって、拡大した戦域の中でも苛烈を極める戦場にそれぞれ特命を帯びた〈白鷺〉のメンバーが送り込まれた。

 前線で知ったのは驚くべきことに敵国を含め各国に似たような組織や部隊が存在していたことだった。 

 戦場を、または戦争をいくつか変えて活動するうちに自然と同じ顔ぶれと相まみえ、または手を組むこともあった。

 憎み、戦い、愛し、闘い、生きて、殺し、死んで、殺して。

 多くの人間や怪物と出会い、別れた。いろいろな場所に赴いた。たくさんのものを見た。

 略奪があった街で子どもたちがサッカーをしていた。蹴っているのは焼け焦げた人間の頭部だった。

 魔女狩りだといって裕福な家々に火が放たれ、男は殺され、女は犯され、四肢の裂かれた人々が隣人たちに焼かれるのをみた。

 負傷した少年兵が仲間たちに食われるのを見た。

 末期戦の夜は思ったより静かだった。もうろくに人間がいないからだ。

 やがて戦争が終わり、軍部が大幅に組織改編を迫られても〈白鷺〉そのものがなくなることはなかった。むしろ秘密組織であるが故に必要とされる局面が増えた。

 任務の多くは無慈悲で残酷なものであり、ルエにはその理不尽さが許せなくなりつつあった。

 ある年、敵国の組織に属していた諜報員〈危難の海〉が軍事裁判にかけられることになった。国と立場は違えど長い戦禍を共に生き、戦ってきた友人だった。そしてそれ以上に大切な一人のひとだった。

 ルエはすべてを捨て、友を連れて逃げ出した。

 

  §


 斑目由岐にとって他人の希死念慮につけ込むことは簡単だった。

 何の捻りもない昔ながらの方法。

 死にたがっている誰かをSNSで探して、DMを送り合い、互いの利が一致すれば適当な場所で落ち合う。そして事に及ぶ。もちろん他の方法もいくつかある。

 それでも怪獣都市化が進み、街が異形化した今では、かつて取られていたごく単純な方法が選ばれやすいようだ。もうそこに網をはっている連中もいないし、ろくな法整備もされていないからだ。

 ただ、同じようなことをする者たちと異なり、由岐にとってはそれは単なる手段であって、目的ではなかった。

 目的はもっと別。新鮮な肉を喰らうことだった。そしてそれさえも代償行為。単なる自慰行為でしかなかった。

 望みをかなえてはいけない。そもそも望んではいけない。

 わかっている。わかっていた。……それでも。抑え続けることなんかできそうになかったから、いつしか代わりを探して、昔していたみたいに〈取り込む〉ことで憂さを晴らした。

 もう戻れないと分かっている。だけど、最後の一線だけは越えちゃだめだ。

 だから空腹を満たす。食欲で虚ろを満たす。一時でも忘れてしまえるよう、自分自身を誤魔化す。それしか方法が見つからなかった。

 自分はとてもひどい行いをしている。

 意識がなくなった後、本当はどんなに汚辱に満ちた方法で自分の身体が玩ばれているかを想像することができたなら、きっと誰も自分なんかの甘言には乗ってこないだろう。

 そも、そんな想像力の余地なんかない、本当に疲れ切った女のひとたちを自分は騙しているのだ。

 最初は涙が出た。ただ申しわけがなくて、泣きながら喰らっていた。

 でも最近は泣くこともなくなった。ただ温かい肉に両手を突き入れ、血を啜り、引きちぎった肉を貪ることしか考えられなくなりつつあった。


『由岐くんはやさしいね。こんな死ぬ間際まで我儘な女の子のいうコト聞いてくれて』

 新ススキノ深部。安ホテル。

 行為の後、由岐が自分よりも一回り大きな体躯の獣人の女から体を離すと、そんな言葉がかえってきた。伸べられたしなやかな手が汗ばんだ由岐の背を撫でてくれた。

 逆だ、と。咄嗟に口に出して言いかけて、結局やめる。

 ――こんな死ぬ間際まで他人の事を気に掛けるなんて、やさしいね。

 そんな言葉を口に出す勇気なんかもう持ち合わせていなかった。

『そんなことない。本当に優しい人は死にたいひとにつけ込んだ挙句、性欲処理の相手までさせようとか、考えない』

 ぶっきらぼうに告げると、ふふ、と柔らかく微笑む気配があった。

『それもそうか。……ねぇ、ルエって誰の名前?』

 出し抜けに問いかけられた由岐が思わず目を丸くして振り返る。

『兄ちゃんの名前。なんで知ってんの!』

『へ~、ふ~ん。そうなんだ。きみもなかなか大変だねぇ』

『え、え? だから、なんで』

『名前、いっぱい呼んでたもん』

『いつ!』

『真っ最中。それに、出してるときも』

『なっ……あ! そ、それはっ、その!』

『いいっていいって、大丈夫。だってあたし、このあとすぐ死ぬんだし。秘密はここに置き去りになる。だからあんまり気にしないことさ。煙草、吸う?』

『……今、声変わりで喉が変だから。いらない』

『も~、つれないなぁ。最後くらいさぁ、つきあってくれたっていいのにぃ~』

『ごめん。でも、他の事なら聞くよ』

『いいよ。最後に面白いこと聞けたから、それでもういい』

 意味深に微笑む女に対し、由岐は複雑な面持ちで頭を振るしかない。

 それでも身を起こした由岐が今一度女の唇を奪う。獣人女はゆったりと微笑むと、小さく欠伸をした。

『ふぁ……んー……それじゃ、パーティはお開きにしないと、ね。じゃあ、さよならのアレ、して。思いきり深く、つよく……ね?』

『うん。さよなら』

『……さようなら』

 短い別れの挨拶を交わすと、由岐は獣人女の喉に手を掛けて絞め始めた。

 常人のものではありえない臂力でもって、言葉通りに深く強く喉が絞められ、潰されていく。

 女の四肢がばたばたと跳ね、横たわる身体が必死に藻掻くが、それも長く続かなかった。

 あっという間にそれ・・は終わってしまった。

『ごめんなさい。……ちゃんと残さず食べるから、だから――』

 それは汚濁に満ちた祈り、あるいは願い。

 しかし、その言葉を聞き届けるものは今度こそ誰一人いなかった。

 肉と化した体に冷たいナイフの切っ先が突き立てられた。


  §


「紹介したいやつがいるが、今いいか?」

 それはいつもの水曜午後七時。

 札幌市街地の貸しスタジオ〈リユニオン〉に集まった面子を前に、蘇芳が訊いた。心なしか緊張した面持ちで、それでいて真摯な態度。ようするにいつもの蘇芳ではあるのだが――

「え、なにそれ、なんの出し物……?」

「なになに。珍しいじゃん」

 蘇芳から人を紹介したいと言い出すことなど滅多にないため、誰も反対はせずにただ驚くのみだった。

 一応練習目的で集まってはいるが、皆最初のうちは調整を兼ねてくだらない話をしていることの方が多い。今夜も例によってトロイメライの嘘か真実かよくわからない話――「おれチャンは右目から入れたコンタクトレンズを左目から取り出せるもんね!」を要や由岐が本当に気のない感じで楽器をいじりながら聞き流しているところだった。

 蘇芳が切り出した話題の正体が何かをいち早く察知したルエが「もちろんだヨ」と返事をすると、皆が自然にドアの傍に立った蘇芳の方へ視線をやった。

 蘇芳はスタジオの防音ドアを開けて、外にいるらしき人物に声を掛けた。

「……だとよ。入れ……いや、入ってくれ」

「なんで急に丁寧な調子に言い直すんだよ」

「いいから」

 訝しんで突っ込みをいれる由岐をルエが抑える。

 と、スタジオの防音ドアがそっと開き、細く華奢な少女がブース内におずおずと入ってきた。

 途端に男ばかりの場がぱっと華やいだ感じになった。

「えっ、女の子ぉっ!?」

「……嘘、でしょ」

「どうも、こんばんは。ぼく、テトラって名前で……あ、トロイメライさんはぼくのこと知っているよね」

「アー、あの晩のなァ。なんか元気そうじゃん? どうだい、最近はァ」

「おかげさまですっかり」

「それはなによりだねェ」

「な、なに? トロイも知り合い?」

「え、なにこれ。ど、どういうことなの……?」

 動揺する由岐と要を置き去りにやりとりが進む。それでは申し訳ないと思ったのか、少女が二人の方を振り返った。

 レトロなセットアップのスカートが翻る。思わず二人はぽうっとして少女の姿に魅入った。

「ど、どうしよう……すごく……かわいい……」

「色とかめちゃくちゃ白いしあちこち細いし……なんかいい匂いまでするし、え、に、人間……?」

「えへへ。実は天使なんだ。ついでに女の子でもない。ススキノ怪獣番地にあるお店から逃げ出してきたの」

 テトラの言葉に要も由岐もはっとした顔になる。人造天使という存在については聞き及んでいるし、怪獣番地というヤクザ蔓延る暗黒地帯のことも知っていたからだ。

 しかし、それでもテトラは明るく挨拶をしてみせた。

「蘇芳お兄さんとトロイメライさんにこの前助けてもらって、今はお兄さんのところに置いてもらってるの。とてもよくしてもらっている。今日はバンドの練習があるって聞いたから、頼み込んで連れてきてもらいました。その、迷惑じゃなければだけど……」

「迷惑だなんてとんでもナイ。本番じゃなくて申し訳ないくらいだヨ。練習でよければいくらでも聞いていってネ」

 あの夜、ブラックシープで夜勤をしていたルエは事の顛末について既に知っていた。

 その後にも蘇芳からいくつか相談を受けたことも含め、すべては織り込み済みだった。

 今夜、蘇芳がテトラをこの場につれてくることも実は事前に知っていた。

「みんなもいいよネ?」

 全員を見渡して問えばトロイメライは素直に頷き、要と由岐もこくりと首を縦に振った。

 それでも二人はまだ驚いているようだ。

「す、蘇芳が僕らに恋人を紹介するなんて……」

「はじめてだよね? 今まで一度も付き合ってる人見せてくれたことないじゃん」

「見せるって、他人様の友人や恋人をみせもんみたく言うんじゃねえよ。というかこいつはそういうのとは別だ」

 顔を見合わせて囁き合う要と由岐に、当の蘇芳は呆れ顔で応える。

「いやでも、ねえ?」

「うん……明日大雪とかにならなきゃいいけど」

「てめえらそんなに殴られてぇか」

 そんなやりとりを見ていたテトラはくすくすと楽し気な笑い声を立てた。

「……む。なにかおかしいか?」

「だって、お兄さんが楽しそうだからつい」

「楽しそうっておまえ……いや、そうか。……そうだな」

「そういうところ、見られてよかった」

 微笑み合う二人をみて、由岐も要もこれ以上茶化すのはやめ、楽器を構えた。

 ――蘇芳が楽しそうなところが見られてよかった。それならば、もっと見せてやるだけだ。

「さァ、天使ちゃんはそこの椅子座ってェ。そうそ、楽にしてね。蘇芳、おまえメインのボーカルメドレーいけるよなァ?」

 どういう風の吹き回しなのか、いままで穏やかに見守っていたトロイメライが号令をかければ、全員が息の合った返事をした。

「もちろんだ」

「……いいよ」

「応!」

「おー」

 それぞれが返事をし、定位置について楽器を構える。テトラが真剣な様子で拍手をする。

「それじゃあ、小さい天使ちゃんに!」

 ルエのカウントで即興の演奏会が始まった。



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