第4話お母さん

ゴホッ!ゴホゴホッ!

 あまりに激しい咳で私は目を覚ました。


「お母さん!」

 母が体をくの字にして激しく咳き込んでいる。


「ちょっと待ってて!ミラー先生呼んでくるから!」

 ゴホッ!ゴホゴホッ!




 ミラー先生がやってきて、私は部屋の前で待たされた。しばらくしてミラー先生が私たちの部屋から出てきた。

「どうですか!ミラー先生!」


 ミラー先生は痩せ(やせ)すぎな男性で、頬もごっそりと痩せ(やせ)ていて一見すると冷たい印象を与えるおじさんだが、しかし、そのモノクルの眼鏡がかけられた瞳には確かな知性と聡明さを兼ね備えているのはわかる医者だ。被り(かぶり)を振るう。


「すぐ死ぬと言うことではないと思う」

 ホッ、良かった。

 しかし、次のミラー先生の言葉は衝撃(しょうげき)的だった。


「だが、もう一年ももたないだろう」

「え?」

「今は強い咳止めの薬と痛み止めを処方した。だが、それらの薬は普通一般の患者に使うものではない」


「と、言うことは?」

「もう、回復はできない。だから、後はできるだけ苦しみをなくす方向の治療になっている」

 ………………………………


「どうにかならないんですか?」

 私がしぼり切っていた言った言葉はそれだった。しかし、ミラー先生は被り(かぶり)をふった。


「もし、君が伝説の薬草を探してくれるのであれば、そしてその薬草が万病に効く薬であれば助かるかもしれないが、個人的にそれはリスキーな選択肢だ。そう言う話は噂(うわさ)ぐらいなものでしかないし、君はモンスター討伐隊(とうばつたい)に選ばれたのだろう?普通に考えてお勧め(おすすめ)はできないな」


「そう、ですか。確かにそんな薬草がもし実存していても職を投げ打って(なげうって)私が取りに行っても母は喜ばないでしょう」

 それにミラー先生はコクリと頷いた(うなずいた)。


「まあ、お母さんをお大事にな」

「はい」

 私は深々とミラー先生に頭を下げた。


 そして、私は部屋に入る。左手のキッチンと右手のトイレを抜けて私たちの寝台(しんだい)に入って行った。

 そこには母がすやすや寝ていた。


「お母さん」

 私はお母さんお頬を触る。母の顔はかなり痩せ(やせ)こげていた。50代とは思えないくらい、70代の老婆と言っても誰も驚かないくらいに病が体を蝕んで(むしばんで)いた。


「お母さん」

 私は母の苦しみはなんとなくわかった。どれだけ近しい人が人がいても死ぬときは一人っきり、病気と戦うのは自分だけ。自分だけがその地獄の苦しみを味うことになる。


 しかも、私はモンスター討伐隊(とうばつたい)で街を離れ(はなれ)なければならないのだ。お母さんのそばはいられない。

 そのときだった。お母さんが目を覚ましたのは。


「お母さん」

 私はお母さんの手を握る。

「アイリス」

 お母さんは力なく言った。


「うん、ここだよ。私、アイリスだよ。何?お母さん?」

「私、私は…………」

 お母さんはスッと西の方角(ほうがく)を見つめ、すぐに咳き込んだ。


「お母さん!」

「すまないねぇ。こんな母でお前に迷惑かけっぱなしだね」


「ううん、そんなことない。お母さん、私にたくさんのものをくれたよ。お母さんの優しさ、人としてどう生きるべきか。お父様のこと。私にはそれら全部宝物だよ」


「そうなんだね。お前は、私が母でよかった?」

 それに私は満面の笑みで答える。


「うん!」

 母は小さく微笑んだ。

「ミラー先生は何て?」

 私は両手で母の右手を掴み(つかみ)力を入れた。


「もう、長くないって。後、一年は持たないだろうって」

「そうかい」

 また、母は西の方角(ほうがく)に目をやった。


「お父様のこと?」

 それに母は嬉しそうに頷いた(うなずいた)。


「本当に私の人生は領主(りょうしゅ)様に出会ってから好転(こうてん)し始めたんだよ。あの人に出会って、いろんな人生の喜びを教えてもらったし、あんたにも出会えたしね」

「そう………」


 やっぱり、お母さんはお父様のことを………

 でも、お父様は来られない。お母さんに会えない。色々と手紙を届けてみたが、来るとも来ないとも返事自体が返ってこない。


 と言うことは………

 やっぱりお父様はお母さんに会う気がないんだ。こんなにお母さんはお父様のことを愛しているのに………やっぱり、それは………

 ゴホッ!ゴホゴホッ!


「お母さん!」

 お母さんは手で制した。

「いいんだよ。お前は、お前のやりたいとを進めばいい。エリーナから聞いたよ。モンスター討伐隊(とうばつたい)員になったんだって?お前は私に構わず、自分の道を進みな」


「でも」

 胃の中に鉛(なまり)が押し込められたようななんとも言えない不快さを感じつつも、私はあることを決意した。


「お母さん」

「なんだい?」

「お母さんは私を産んでよかった?」

 それは言えなくても言えなかった言葉だ。私はお母さんの一挙一動(いっきょいちどう)をじっくりみながら話した。


「お母さん、私を産まなければ、お父様一緒にいられたんじゃあ………?」

 しかし、お母さんの腕が持ち上がったと思うとその手は私の頭を撫でた(なでた)。

「いい子だね、アイリスは」

「…………………………」


「でも、そんなこと気にしなくていいんだよ。私はお前に出会えて幸せだったんだから」

「…………………………」


「確かに最後の時にあの人に出会えないと言うのも心苦しいけれどね。でも、仕方(しかた)ないんだよ。人生というのはね、なんでも望み通りのものを全部手にいれられるわけじゃないの」

「………………………………………………………」


「私はあんたに出会えて最高に幸せだったんだから」

「お母さん」

 それに私は項垂れる(うなだれる)しかなかった。

 やがて顔を上げる。


「私もお母さんが私のお母さんで本当に良かったと思っている」

 お母さんの笑いシワが深くなる。

「そうかい」


「ジムのところに行ってくるね」

「行ってらっしゃい」

 それから、隣人に母がかなり咳き込んできたら面倒を見てくれるようにお願いして、その場から去った。

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