顔に傷のある少年

日崎アユム/丹羽夏子

第1話

 陸軍の青年将校ら十三名とその部下百余人が決起した。

 ある真冬の曇天どんてんの日のことだった。

 今にも雪が降り出しそうな空の真下、彼らは白昼堂々と王宮の正門の近衛兵を殺害して宮中に押し入った。

 目指すは王の首だった。


 今の王は、民に重い税をかけて軍備を拡張し、貧しくて金を納付できない家からは若い男を兵士として徴用する王である。しかも民とともに苦しもうという情を見せることもなく、自らは複数の寵姫を侍らせて愛欲に溺れる日々を送っている。娘を側室として送り出した貴族たちは贈収賄に勤しみ、金と権力のやり取りでいっぱいで骨の髄まで腐っている。


 此度こたび決起した青年将校らはそんな世の中で苦学して軍学校を卒業した者たちであった。地方の貧しい農家から出てきて世直しを夢見ていた彼らは、自分たちがいくら努力をしても今の王が王である限り報われぬと確信していた。


 そんな彼らの希望は唯一王弟であった。


 王弟は兄である王より二十も年下の少年で、伝え聞くところによれば美しく聡明だという。しかし暗愚の王はこの弟を嫌っており、宮殿のどこか奥深くに幽閉していて最近なかなか表舞台に出そうとしない。


 若き将校らはこの国に王という権威は必要であると思っていた。

 よその国が元首の座を巡って血で血を洗う争いをしている様を見てきたからだ。

 王が倒れた後いったい誰が政治的指導者になろうか。よほど崇高な意志をもった人間でないと混迷が続くであろう。いつどこで誰がどうやって選ぶのか。

 自分たちの犠牲の上に立って始まる政治が醜く血生臭いものになるのは耐えられない。

 だったら正統な王家の血を引いているというのは誰にでも分かる理由になりはしないか。


 政変も革命も何度もやれるものではない。青年たちもこれが非常手段で最終手段であることを理解している。失敗したら自分たちに待っているのは死だ。我々が犠牲になっても後の世を託せると思えるような王を立てねばならない。


 そこで白羽の矢を立てたのが王弟だ。王をしいして王弟を新王に立てるのだ。


 そういう使命を背負って王宮に進入した青年たちは、手分けして宮殿の各部屋を回った。

 王はすでに寵姫たちを連れて逃亡していたため、第一目標はすぐに王弟の確保に切り替わった。

 混乱は予想していたよりは少なく済み、近衛兵との斬り合いもなかったわけではないが、こちら側の死者はまだ数名、といったところで、ある青年がその部屋に辿り着いた。


 その部屋は後宮の北西の薄暗い一角にあった。重々しい扉には豪壮な龍が彫り込まれており、女性の部屋であるとは思われなかった。いわゆる部屋住み、王の代替物が住む部屋ではないか。


 青年は扉を守る兵を一刀の下に斬り伏せると、無遠慮に扉を叩いた。


「こちらの部屋にはどなたがお住まいか」


 大声で訊ねたが返事はない。留守か、居留守か。いずれにしても踏み込んだほうが早いと判断した。


 扉を開け、中に足を踏み入れた。


 部屋のつくりは簡素であった。向かって左手にある寝台こそ天蓋付きの立派なものであったが、他には暖炉の近くに白い卓と華奢な椅子が二脚あるだけだ。ここに来る前に見てきた王の部屋、螺鈿らでん象嵌ぞうがん、金銀に青磁で飾り立てられた奢侈しゃしを感じる部屋と比べると、ここに住まう人間の高潔な精神が見えるように思われた。


「どなたかいらっしゃらないのか」


 不意に視界の左端から鈍く輝く何かが襲ってきた。青年は咄嗟とっさの判断で軍刀を抜き、刃をそちらに向けた。何か硬いものとかち合い、金属の音が響いた。

 相手も剣であった。

 あわや斬られるところであった。


 剣を握っていたのはまだ華奢で小柄な少年であった。歳の頃は十代前半であろう、ひげのない滑らかな頬をしている。大きな瞳が印象的で、髪はうなじにかかる程度の短髪とも長髪とも言えぬ髪型にして下ろしていた。ともすれば少女のようにも見える紅顔の美少年であった。


 しかし彼の顔にはその秀麗なつくりにそぐわぬ傷があった。

 右頬、耳の下から目の下くらいまで達するほどの大きな刃物傷である。

 目立つ赤い傷は引き攣れており醜い。女だったら嫁に行くのに差し障ると思ったであろう。否、男であってもないほうがいい傷だ。顔面を守れぬほどの弱さ、前線に行かされるほどの身分の低さ、そういったものを連想させる傷である。あるいは何かの懲罰のようにも見えた。


 選び抜かれた軍人である青年が気配を察することができなかったほどの手練れだ。しかも顔面には普段近衛兵に守られている王族にはあり得ない傷がある。まっとうな人間であるようには思われなかった。


 刃と刃を重ね合わせたまま、青年は問うた。


「我々は王弟殿下をお探ししている。お前、知らぬか」


 少年が答えた。


「貴様に答える義務はない、と言いたいところだが、教えてやろう、貴様らが探している人間はここにはいない」


 そう吐き捨てるように言うと、彼は青年の刀を弾き飛ばした。まだあどけない顔をしてなんたる剛腕、これは生半可な気持ちで相対するわけにはいかぬと青年は刀を構え直した。


「殿下はどこに行かれた」

「そこまで答える気はない。だが私を殺したら貴様らは永遠に辿り着くまい」

「生意気な。素直に答えれば痛い思いをせずに済むぞ」

「貴様らに好き勝手させてなるものか」


 少年が剣を構え直す。


 青年は軍刀を構えたまま少し考えた。

 武に長け、知能も高く、王弟と同世代で同じ色の髪と瞳をした少年、となるとこの者の正体は王弟の影武者ではないのか。


 存在することだけは風の噂で耳にしている。普段は小姓のように生活を手伝い、護衛として対象を守ることもあり、最悪身代わりとなって死ぬ存在だ。おおやけになってはならぬということで正式には認知されていないが、王宮に立ち入る際に上官に気をつけろと言われていた。


 きっと彼は何かの隙に王弟と入れ替わったのだろう。けれど何のためだろう。自分たちは兄である王の暴虐に晒される王弟を救いに来たのであり、迎え入れられこそすれ逃げられる理由はない。


 そう思った青年に、少年はこう投げかけた。


「独善的な暴力によって作られる国とは如何程いかほどか」


 少年は自分たちの正義の行いを独善的な暴力だと言いたいらしい。


 そんなことを言うのは自分たちの敵ではないか。


 敵対者、つまり、王またはその側近の考え方だ。


 この少年はきっと貴族の子弟なのだろう。身代わりといえど王族の傍にはべるのだからある程度の作法と教養は必要に違いない、貴族の子弟のほうが自然だ。おそらく親が王の下で甘い汁を吸っていて、王弟の見張り役として子息を送り込んだのだ。そして、身分の高い人間がこうして子供ながらも自律的に家の既得権益を守ろうと王弟を隠し憂国の志士たちと戦うのはあり得ることだった。


 それならば遠慮は要らぬ。


 青年は軍刀を振りかぶった。

 少年が剣を強く握り締めた。

 刃を打ち合う。

 しかしどんなに強いといっても相手は十代前半の子供で、腕の長さが青年とまるで違う。

 青年は左手で軍刀の柄を握ったまま右腕を伸ばした。

 少年の襟口を掴んで、自分のほうへ引っ張る。

 引き摺られて驚いた少年が目を真ん丸にする。

 それでも剣を落とさなかったところは賞賛に値するが、青年は右手で少年の襟口を掴んだ状態で少年の腹を踏むように蹴った。

 少年の細い体が吹っ飛んだ。


 床に蹲った少年の手を踏んで剣を手離させた。そして、髪を掴んで顔を上げさせた。


「王弟殿下の居所を吐け」

「言わない」


 殺すわけにはいかない。この少年が王弟の居所を知っている様子だからだ。何とかして吐かせなければならない。




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