バス停の椅子
あべせい
バス停の椅子
シャッターを下ろした商店が目立つ片側一車線のバス通り。
いまバスが発車したバス停には、標識柱のそばに3脚のパイプ椅子が並べて置かれている。
バス停の名前は「花菱家具店前」。バス停の前には「松風庵」という老舗を感じさせる古風なたたずまいの蕎麦屋があり、その隣に3階建ての古びたビルが建っている。
ペンキの剥げ落ちたビルの看板からは、どうにか「花菱家具」と読み取れる。
そのバス停に、30代前半の勝気そうな女性がやって来た。
山吹色のスーツを着て、黒いビジネス用のバッグを肩から下げている。時刻表をみると、次のバスまでには10数分待たなければならない。女性はバス停の脇に並ぶパイプ椅子を見つけて、その一つに腰掛けた。
パイプ椅子は背板の厚みが6、7センチあり、通常のものより厚くなっている。それは、パウチされた2枚のA4用紙が背板を前後で挟むように張り付けてあるためだ。一見、マッサージ店の広告にみえる。
10数分後、バスがやってくるのが見え、女性が立ちあがった。
と同時に、「花菱家具店」の閉じたシャッター横にあるくぐり戸が勢いよく開く。
すかさず中年男性が駆け足で現れ、女性に手を突き出す。
「千円、いただきます!」
女性は声にびっくりして振り返った。
「なんですか、あなたッ」
男性は40才前後。女性は、無精ヒゲをはやした男性を気味悪そうに見た。
バスがバス停に接近してくる。女性は、男性を無視してバス停の標識柱のそばに寄り、乗車する体勢になった。
無精ヒゲの男性は険しい声で、
「あんた、無賃利用して逃げるつもりですか!」
女性は、「逃げる」という言葉に敏感に反応し、恐怖を覚える。
バスが女性の目の前で停止して、ドアが開いた。
「警察を呼ンでやる!」
男性は手に持っていた携帯で、素早く「110」をプッシュした。
女性は凍りついた。英語で言う「フリーズ」だ。
バスの運転手が、開いたドア越しに「乗らないンですか?」と声をかけてくる。
女性は、顔の前で手を小刻みに横に振った。
恐怖感に完全に支配されている。
バスはドアを閉じて発車した。
女性はゆっくりと男性を振り返る。男性はすでに携帯を閉じている。女性にようやく怒りがこみあげてきた。
「いったい、なんのことですか! 無賃利用、って」
「あれを読んだでしょうが……」
男性はパイプ椅子の背板に張られたA4の紙を指差す。
紙には「マッサージ 10分まで¥500」と書いてある。
女性は書いてある内容を読み取り、頷く。
すると、無精ヒゲは、
「あの椅子はマッサージチェアです。わたしが置いて、みなさんに利用してもらっている。だから、お金を寄越しなさい」
「あれ、広告じゃないの! 冗談でしょう。マッサージチェアだなんて」
「冗談で商売なンかするものか。早く、千円出しなさい」
女性はどう反論していいのか、思いつかない。で、やむなく、
「10分500円でしょ。わたし、ここにきて10分弱しかたってないわ。どうして、千円なのよ!」
男性は、ポケットからキッチンタイマーを取り出して、その表示画面を突き出す。
「あんたが座っていたのは、この通り12分間。あんたが椅子に腰掛けた瞬間にタイマーを押したのだから間違いない」
「12分だったら、500円でしょ。20分たっていたら千円かもしれないけれど……」
「なに言っているンですか。あそこをもう一度、読んでみなさい」
再び、椅子に貼られた紙を指差す。
「『10分まで500円』とあるでしょうが。1分利用しても500円、11分なら千円」
「わかったわ」
そのとき女性は、すばらしいことを思いつく。
バス通りをまたいだ、バス停の向かい側だ。そこには、何度行ってもいいくらいだ。
「いいわ。目の前の交番に行きましょう。そこで白黒つけましょうよ」
「たった千円で、交番か。おもしろい。受けてやる!」
2人は目の前のバス通りを小走りに横断して交番に入った。
生憎交番のなかに人の気配はない。
机の上にプラスチックの板が写真立てのように置かれていて、「現在、パトロール中です。ご用の方は、机上の電話をお使いください」とある。
さらに電話機のそばには、「赤塚署」として電話番号を記した紙切れが貼ってある。
2人は交番のなかで顔を見合わせ、互いにバツの悪い思いをする。勢いを殺がれたのだ。
そこへ、スーツ姿の40才前後の男が、ふらりと交番に入ってきた。
彼は女性と並んでいる無精ヒゲを見ると、
「これは花菱さん、いまからそちらにうかがおうと思っていたところです」
と言った。
花菱と呼ばれた無精ヒゲは、いやァな顔をしてその男を見た。
「横家(よこや)さん、か。お久しぶり……」
横家は女性と並んでいる花菱をジロジロ見つめて、
「奥さんがお亡くなりになってお寂しいンでしょうね」
すると、女性の顔がサッと険しくなり、
「あなた、何言ってンの。誤解しないで」
横家はその程度では一向に動じない。
「あなた、この地区を担当している保険のセールスレディでしょう。最近、よく見かけるから。お名前は、エーと……」
「阿智摩子(あちまこ)です」
「そうそう。最近トウセイ赤塚支店に異動してきた方だ。この前、中華料理店に営業に行って、あなた、失礼、阿智さんの噂を聞いたばかりだ」
「どんな噂?」
摩子は思い出す。
あのときはちょっと強引過ぎたから、いいことは言ってないだろう。
「彼女は、口が達者で頭の回転が速く、いつの間にか、契約させられていた。あれで未亡人なンだから、ずいぶんモテるンだろうな、って」
摩子の顔がサッと赤く染まる。純なところがあるのだ。
いきなり花菱が怖い顔で、
「あんたら、2人で盛りあがって。ここで何をしようというンだ」
横屋と摩子は顔を見合わせて苦笑する。
花菱はコケにされた気がして、ますます怒りを増幅させる。
「早く、マッサージ代を払いなさい」
横屋が口を挟む。
「マッサージ代、って、花菱さん、まだやってンの?」
「あんたが押しつけたマッサージチェアだ。売れやしないから、使っているンだ」
摩子が合点したのか、
「あのパイプ椅子、あなたが……」
横家は摩子に関心ありありで、
「私、横家寄与児(よこやきよじ)です。勤務先は、家具メーカー大手のオオヤマ」
「あのチェアは、横家さんがお売りになったものですか」
「あれでもマッサージチェアです。中に強力な充電池が仕込まれていまして、椅子に腰かけると自動的にスイッチが入り、約30分間、背中をグリグリとマッサージしてくれます」
「おもしろい。それでお値段は?」
「小売りが1万9800円。卸し価格は8900円です。悪くないでしょう?」
花菱が割り込む。
「それが売れないンだ。3脚仕入れて、1つも売れない。この男に、だまされたようなものだ」
「いまマッサージチェアは、全身マッサージが主流ですから。背中だけとなると。でも、地方の旅館などでは、百円コインを投入して、10分間作動するように手を加えたものが、よく出ているンですよ……」
「待って! 10分百円、ってホント」
「それ以上はとれないでしょう。背中をコリコリやるだけですから」
摩子は、キッとなって花菱をにらみつける。
「あなた、10分500円って、どういう料簡よ」
「ここは大都会だ。地方とは違う」
花菱は臆せず答える。
横家が、2人の間に入り、
「そういえば、さっきあのマッサージチェアをみたとき、『10分まで500円』と書いてあったけど、花菱さんはそんなに取っているンですか」
「なんだ。きさまに文句をつけられる筋合いはないッ」
「筋合いはないけれど、10分500円はべらぼうだな」
「だったら、引きとってくれ。いますぐに」
「一度使用したものは、引き取れませんよ」
「横家、いい加減なことを言うな。あれを入れたのは、うちがつぶれる1ヵ月も前だ。だから、いまから4ヵ月前になる。店をたたんでから、売れ残りの在庫を調べていて、店の奥から出てきたから、あんたに電話したな。そのとき、きさま何と言った?」
「何と言いました、っけ」
横家はとぼける。
「『あのチェアは買い取りです。破格の卸し値で納めさせていただいたのは、返品がきかないからです』ってな。忘れたとは言わせん」
「そういえば、そんなことを言っていた時期もあったかな」
「ところが、そのあとになって家具屋仲間から聞いたンだ。オオヤマじゃ、あのマッサージチェアが大量に売れ残っていて、原価を取り戻すために、ダンピングしている。大型のアウトレットモールじゃ、1脚3000円で投げ売りしている、って」
「アウトレットは私の担当じゃない。そんな話は初耳です」
「もういい。うちも、3脚分の仕入れ値の合計2万6700円を取り戻すために、バス停に置いて商売をしているンだ。横家、余計な口を挟むな。わかったら帰れ」
横家は口をつぐむ。
摩子が、横家にそっとささやいた。
「2万6700円くらいなら、営業資金を転がせばなんとでもなるでしょう。返してあげたら?」
横家も小さな声で、
「してもいいけれど、ここでそれをやったら、この話がほかの家具屋に伝わって、うちも引き取ってくれ、うちもうちも、ってあちこちからきて収拾がつかなくなります」
「ほかにもいっぱい納めているンだ」
「あの椅子は失敗です。うちの商品開発部の大チョンボです」
花菱がしびれを切らしたように、
「なにをぶつぶつ言ってるンだ。あんた、阿智さんといったな。2人で世間話がしたけりゃ、早く、払うものを払ってからにしろ」
そのとき摩子にピンとくるものがあった。
「花菱さん。じゃ、言いますけど、あの椅子は本当にマッサージチェアなの?」
「そうだ。この男の会社が開発した、世界で最もチンケなマッサージチェアだ」
「マッサージなら、マッサージしないといけないわね」
「アッ……」
花菱の顔が、見る見る青ざめていく。
「まさかッ……」
「そうよ。そのまさか、よッ。故障かなにか知らないけれど、あの椅子に腰掛けている間、背中から何も伝わって来なかった。だから、わたしはふつうの椅子だと思ったのよ」
「電池切れか。ウーム、充電をし忘れていたらしい。チクシ……」
花菱が舌打ちすると、横家が解説するように、
「あのチェアが売れなかった理由の一つが、充電池容量の不足です。8時間充電して、使えるのはわずか30分。元々、歯科医院のようなクリニックの待合室で使うことを想定して開発されたもので、通常はコンセントに電気コードを差し込んで使用するように出来ています。充電してあちこち移動して使うことは副次的にしか考えていなかったと聞いています」
「いまになって、なンだ」
花菱は情けなそうにうな垂れる。
「これで解決ね。花菱さん、次からは充電のし忘れがないように電気コードをしっかり差し込んでおいたほうがいいわ」
摩子は勝ち誇ったように話す。
すると花菱がひらめいたのか、ニヤッとして、
「横家さん、あんたはいまあの椅子は欠陥品だと認めたよな」
「エッ!?」
「あのバカ椅子が引きとれないンだったら、たったいまリコールするから持って帰って修理して来るンだ。わかったな!」
と、いきまいた。
横家は目を丸くして、花菱を見る。
この男はいかれている。もォ、相手にできない。
「きょうの私は、あのマッサージチェアの代金をもらいに来たンです。話があべこべだ」
「だったら、なんでこの交番に来た。おれの店にまっすぐ来るだろうが」
「そ、それは……」
横家は摩子をチラッと見てから、
「花菱さん、あなたがあのバス停で商売なさっていたことは数日前から知っていました。しかし、あの場所は歩道とはいえ公道でしょう。公道に物を置くのは違法なンです。警察に逮捕されますよ」
「それと交番に来たのとどういう関係がある。
告訴しにきたわけでもないだろうが」
「だから交番のお巡りさんに、警告程度ですませてもらえないかと思って相談に来たンです。花菱さん、これはぼくの小さな親切です」
「大きなお世話だ」
摩子が横家を振り返って口を挟む。
「横家さんは、わたしがあなたと交番に入るのをみて、心配になって駆けつけてくださったのよ。それくらい察しがつかない? ホント、ドンなンだから」
「おまえら、いつから……」
花菱は、2人をマジマジと見た。
横家は、摩子に向き直って、
「阿智さん、ぼくは前々から、あなたと共同で営業できないかと思っていたンです」
「共同で営業、って?」
「だから、ぼくの家具の営業情報と、保険の営業情報を交換しあって、互いの成績向上に役立てればいい、って話です」
「もう少し具体的におっしゃってください」
「例えば、こちらの花菱さんは、半年ほど前に奥さんを亡くされて、そのとき『女房が生命保険に入っていたら』と後悔されていました。そんな情報をぼくがあなたに教えるンです」
「花菱さん、ホントですか」
花菱は面くらって、
「待ちなさい。あのときは確かに、そんな気持ちになった。店もうまくいってなかった。バス停の名前をいまは「花菱家具店」にしてもらっているが、その費用が工面出来なくなったから来年度からは、隣の蕎麦屋の「松風庵前」に変わることになっている。だからといって、いまはおれ一人だから、保険なンかに入ろうとは思わない」
摩子が反撃する。
「でも、好きなひとができたらどうするンですか。そのひとをひとり残して、寂しく亡くなっていいンですか」
「待て、死んだ女房以外に女ができるわけがない。あれはおれには過ぎた女房だった……」
「そんなこと言っていいンですか。お隣の蕎麦屋のご婦人、お名前は……」
花菱は即座に、
「かすみさんだ」
「そう、かすみさん。わたしと同じ未亡人で、江角マキコ似の美人……」
花菱は怒って、
「かすみさんは、江角マキコなンかより、ずーっと美人だ。あんなヒョロ長いだけの女優と一緒にするなッ」
「そのかすみさんが花菱さんのこと、言ってらしたわよ」
花菱、グイッと身を乗り出して、
「な、なンて、言ってた?」
「奥さんがお亡くなりになってから一度もお見えにならない。お話がしたいのに、って」
「本当かッ!」
花菱の目が輝く。
「蕎麦が好きだったのは、死んだ女房だ。おれは生憎、蕎麦がそれほど好きじゃなくて、どちらかといえば、蕎麦やうどんよりはスパゲティ……」
「そんなこと言ってないで。蕎麦は食べれば段々好きになっていくわ。花菱さんは蕎麦を食べたことがないの?」
「ある。しかし、そんなにたくさんは食べられない」
「少しでいいのよ。毎日、お昼にでも蕎麦を食べに行けば、かすみさんはきっとお喜びになるわ」
「そうかなァ……」
「そうなさい。ほらッ、いまもお店の暖簾の前に立って、こちらをご覧になって……」
「エッ」
花菱が花菱家具店の隣にある蕎麦屋に目をやる。本当だ。かすみが、交番のほうをじーっと見つめている。
「そういえば、かすみさんは2年前にご主人を亡くされてから、年を取った蕎麦職人と高校生のバイトを使って、なんとか切り盛りされている。おれが蕎麦打ちを覚えて、釜場に立ったら2人で立派に蕎麦屋をやっていける。家具屋から蕎麦屋か。花菱家具店をぶっこわして駐車場にすれば、いま以上にお客が呼べる。かすみさんと結婚か。あんな美人と……」
花菱は、交番の窓越しに隣の未亡人を見つめながら、あらぬ妄想をふくらませる。
摩子が横家にささやく。
「保険の営業情報って、こんな使い方もできて結構喜ばれているの」
「そうでしょうね。やっぱりぼくたちは、組ンだほうがいい」
「あなたの家具メーカーの営業情報で、最近何かおもしろいことない?」
「あります。いまぼくが通い詰めている洋食屋のシェフに、若い愛人ができたのですが、その愛人がシェフにしつこく保険に入れと勧めているらしいです……」
「それ、おもしろいわね」
そこへ、30才前後の体のがっしりした警官がやってくる。
「あなたたち、ここでなにを……」
警官は摩子を見つけて、
「摩子さん。こんにちは……」
警官は赤い顔をして、摩子を見つめる。
横家はおもしろくない。
摩子は警官に、
「ごめんなさいね。あなたに会いたくて、待っていたの」
警官と横家が同時に、
「エッ!」
と声を発して、顔を見合わせた。
警官は横家に、
「あなたは、交番に何かご用がおありですか?」
「いえ、家具屋さんとちょっとトラブルが……」
しかし、その花菱はいつの間にか消えている。
外を見ると、花菱がマッサージチェアを持って、蕎麦屋の暖簾の前でかすみと立ち話をしている。
椅子の背板の貼り紙はすでに外してある。
「かすみさん。この椅子使っていただけませんか」
「マッサージチェアでしょう?」
「そうですが、蕎麦を食べに来られるお客さんが待っている間、使っていただくと喜ばれるンじゃないかと思いまして。うちでは、もう使わないから……」
「でも、花菱さん、これ高価な椅子だとお聞きしていますが、よろしいンですか」
「遊ばせておくより、かすみさんのご商売に役立てていただくほうが、私としてはうれしいンです」
「ありがとうございます。花菱さん、中にお入りになりませんか」
「ありがとうございます」
「いま打ちあがったばかりの蕎麦があります。奥さんがお亡くなりになってから、一度もお顔をお見せになりませんでしょ。それとも蕎麦はお嫌いですか」
「いいえ、大好きです! 毎日でもいただきますッ」
「それはよかったわ。どうぞ。お隣のよしみでお安くさせていただきます」
「安くですか。ご馳走してはいただけない……まァ、ぼつぼつやるか」
花菱は、がっかりしたような表情を覗かせながら、かすみの後ろから、いそいそと蕎麦屋に入っていく。
そのようすを交番の中から見ていた摩子、しみじみと、
「営業情報は、半分ウソと思ったほうがいいのだけれど、花菱さん、大丈夫かしら……」
(了)
バス停の椅子 あべせい @abesei
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