第3話 王様と大統領。

 「あのな。私は王様だ。しかも、魔術師だぞ?なぜ、そんな不遜な態度をとるのだ?」


 二人?は暗い夜の住宅街を歩いていた。裸足でぺたぺた歩く白丸の後ろに、サンダルでペタンペタン歩くイッタが続く。


 「あのさ、僕は人間なんだよね。カエルに上から目線で言われてもね。」


 「カエルとニンゲン。どっちが偉いと思っているのだ?」


 「人間。」


 うーむ。何故そうなるのだ、どう考えてもカエルの方が偉いだろう、との王様の呟きをイッタの驚きの声が遮った。


 「鰤!!!」


 住宅街の、迷宮じみた無意味さで果てしなく続いているブロック塀の影から、鰤が現れた。青と金と銀を基調とした体表の筋が美しい。


 で、浮かんでいた。


 浮かんでいるのだ。夜の住宅街に。体長3m程の立派すぎる鰤が宙を漂っていた。その瞳は虹色に渦を巻いている。ゆっくりと住宅街の角を曲がってくる。一瞬、我が目を疑ったイッタだったが、鰤の喉元に蝶ネクタイがあるのを見て、一人納得した。成程、


 「……カエルの仲間か。」


 「ワシは鰤の大統領じゃ。ヒミという。呼び捨てではさすがに恐れ多いだろうから、ヒミ様と、


 「鰤しゃぶ食べたくなるよね。」


 「貴様は本当に失礼なやつだな。」


 白丸が口を挟む。


 「そもそも、だ。夏に鰤を食べても不味い。それでは、ヒミが犬死だ。」


 「いや、鰤死にじゃろう。」


 ごもっとも。ご本人様がおっしゃるのならば、異論はない。じゃ、ブリジニってことで。異様な夜の街角を受け入れたような無視したような軽さで、イッタは通り過ぎようとした。魔術師のカエルを見てしまったあとでは、鰤の大統領くらい十二分に受け入れられる。夜の街あるあるだ。


 イッタは、宙に浮かぶブリの横をぶらりと過ぎていこうとした。鰤の目がぎろり、と動く。


 「どこへ行こうとしている?」


 「ちょっとね。白丸ツアーに参加中なんだ。」


 「ワシじゃったらそのツアーには参加せんな。魔術師のツアーなど、ろくなものではないぞ。」


 「かもね。でも、僕のツアーも負けじ劣らずだし。とりあえずカエルツアーから始めよかなって。」


 ふむり。と鰤は思案して、イッタを見つめた。ぬるくてまあるい初夏の夜風がゆっくりと周囲を流れていった。月は歪み、鋭い光を地上に落とす。体の側面の金色の帯がキラリと光を返す。


 「では、ワシとくるか。若いの。白丸よりはマシなツアーを約束するぞ。」


 「へぇ。悪くないかも。」


 その瞬間に夜の街から音と風が消え去った。一瞬で。不穏だった。感じたことのない静寂が街を支配した。


 「そのへんにしておけ、ヒミよ。これは私の客だ。」


 鰤より遥かに小さいカエルの白丸は、鰤の足元から囁いた。静かに、力強く。鰤は一瞬何か言いかけたが、言葉を発することはなかった。その直前に白丸から舌が伸ばされ、鰤の腹部に張り付いた。


 ぺとり。


 よく伸びるピンク色の舌だった。どこか夜がトゲトゲしている。何か長閑な初夏の夜にふさわしくない空気が充満し始めた。


 けろり。


 と白丸は鳴いた。黒いスーツに身を包んだ小さな魔術師だ。その金色に縁どられ縦に潰れた瞳には、計り知れない魔力が潜んでいる。曙光のような何らかの力ある光が含まれていた。


 「高々、鰤の大統領如きが、私に敵うと思うなよ。これ以上は見逃さんぞ。」


 落ち着いた声で白丸は告げた。気のせいかヒミが冷や汗を流し、震えているように見えた。上空では不自然に早い雲が月をくすぐっては、彼らの影を躍らせた。


 「舌を離せば行く。もう、わしの前には現れるなよ。」


 動揺しながらも鰤の大統領はカエルの王様に告げた。白丸は満足そうに舌を引っ込め、ヒミは舌打ちしながら、夜の住宅街の角を曲がり、闇の海へと沈んでいった。


 ……ちりりりん。


  また、どこかで熊ベルがなったように思えた。

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