婚約者が駆け落ちしてから IV

 シャルルと同じ金髪の明るい少年。

 それが、私の中のルクスのイメージだった。

 しかし、今私の部屋の前に立つルクスの顔にいつもの笑顔はなかった。


「……どうしたの? ルクス」


 その様子にできる限り優しく声をかけながら、私の胸にわき上がって来るのは自分の詰めの甘さへの後悔だった。

 シャルルが出て行ったというこの状況。

 ルクスも平静でいられないのは当然の話だった。

 それを分かっていたのに、私は自分のことに手一杯になるあまりにルクスときちんと話せていなかった。

 さぞ、不安だったに違いないと私は胸に罪悪感を感じながら、未だ無言のルクスの柔らかい髪に手をおく。


「忙しくて、話せなくてごめんね。何でもお話してくれていいのよ」


 しかし、それでもルクスは口を開くことはなかった。

 いつまでも俯いたルクスがさすがに心配になり、私はさらに口を開こうとして。


 ……ルクスの足下のカーペット、そこに点々と水滴が落ちているのに気づいたのはその時だった。


「僕のせい、なんだ」


 その瞬間、私の胸は大きく高鳴る。

 もしかして、お義父様とお義母様に言った言葉がルクスの耳に入っていたのかと。

 しかし、それが勘違いであったことを私は直ぐに悟る。


「僕が剣ではなく、ほんの少しでも魔法を使えれば……!」


 そう大粒の涙を零し、告げるルクスの肩は大きく震えていた。


 ──その様子は何より雄弁に、ルクスがどれだけこのことについて一人で悩んでいたかを物語っていた。


 十三歳と成人前でありながら、いつもはシャルルと違って大人っぽいルクス。

 しかし、そのいつもの様子は今のルクスから一切見られなかった。

 抑えきれない嗚咽を漏らしながら、ルクスが告げる。


「そうすれば、義姉様が巻き込まれることもなかったのに、僕がっ!」


 そこまで言って、ルクスは言葉に詰まる。

 そんな姿に私は、反射的にルクスを抱きしめていた。


「っ!」


 剣で身体を鍛え、普段は無口で冷静なルクス。

 普段その姿は毅然とした様子だったが、今はそのかけらさえルクスから感じることはできなかった。

 そのことに私は強い焦燥感を感じる。

 このままでは、ルクスがつぶれてしまいそうに見えて。


「違うのよ、ルクス。私がここに残るのは、貴方のせいじゃないのよ」


 私は必死に言葉を投げかける。

 けれど、その言葉がルクスの心に響くことはなかった。

 罪悪感に支配される涙に濡れた目に、私は否応なしにそのことを理解してしまう。

 このままでは、いけない。


「……本当にこれは、私の勝手なのよ」


 私の口が勝手に言葉を紡いでいたのはその瞬間だった。

 様子が変わったことが分かったのか、私の胸の中のルクスが顔を上げる。

 その顔ににっこりと微笑みながら私はさらに告げた。


「ここはね、私にとっては本当の家のようなものなの」


 そうルクスに告げるように一見見えつつ、けれど実際は私自身に向けた言葉だった。

 言葉を告げながら、私は徐々に理解してしく。

 ……自分でも理解していなかった私の本心を。


「ルクスには言ってなかったかしら? 私は元の家では家族として扱ってもらえてなかったのよ。でも、お義母様とお義父様、そして貴方はそんな私を本当の家族のように迎えてくれた」


 シャルルは決して言い婚約者といえる人間ではなかった。

 それでも一切私が不満を覚えることがなかった理由、それはこの暖かい人たちが理由だった。


「私の実家がシャルルの名声を利用しようとしていることなんて分かり切っているはずなのにね。それでも、貴方達は私のことを受け入れてくれた」


 そう言いながら、私はルクスの額にキスをする。

 信愛する家族へのキスを。

 私を家族と迎え入れてくれたこの家での生活は、私にとってまさしく夢の生活だった。

 そんな人たちを私は本当の母、父、そして弟と呼べるようになる日が何より楽しみで。


 ……けれど、もうその日がくることはない。


 その事実に、一瞬私の胸に痛みが走る。

 けれど、それを無視して私は告げる。

 そんな感傷に浸る余裕も今はないのだからと。


「だから、私は自分の為にこの家を守るの」


「……自分の為?」


 かすれた声でそう訪ねてくるルクスに、私はうなずく。

 そう、これは全て自分の為なのだと、改めて宣誓するように。


「だから、ルクス。貴方も自分の為に動くのよ。自分を投げ捨ててもいいと思える存在のために」


 そういってルクスを私はもう一度抱きしめる。

 抱きしめながら、私は自分の胸に生まれた熱い感情に思いを馳せる。

 それはなんとしてでもこの家を救ってみせるという思い。

 自分にその思いを刻みつけるように、私はルクスにささやく。


「……私が何とかしてみせるから」


 けれど、その時の私は気づいていなかった。

 私のその言葉を聞くルクス。


 ──その瞳には、私と変わらない熱い感情が浮かんでいたことを。

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