第38話 蘆屋建設

「その一環としてはなんですが、その……。どなたか、いわくつきの場所でも工事に入ってくださる業者を御存知ではないですか?」


 石堂が切り出した。


「場所は、○県なんですが」

 あの禁足地だと、翠は気づく。


「現在販売を始めたい場所があるんですが、当初契約を交わしていた工事業者の腰が引けてしまって……」


 多くを語らずとも同業者ということもあり、なんとなく「その手の話」だと気づいたのだろう。


「あそこが売れないと……、うちとしてはかなり大きな痛手になります」


 尊がなおも続けるが、男たちは顔を見合わせ、眉根を寄せただけだ。誰も発言をしない。


「うちは昔から、その手の土地も扱っているのですが……。どうにも今回は手ごわくて」


 石堂に対し、経営者たちは無言で「親愛さんが無理ならどこも無理だろう」という顔をしている。


「○県なら、蘆屋あしや建設はどうだい」

 芳田が口火を切った。


「蘆屋建設?」

 石堂が小首を傾げると、真鍋測量が口をへの字に曲げる。


「蘆屋さんは、あれじゃないかい、おやっさん。若社長が怪談好きなんであって、その手の件に強いわけじゃないだろう」


「いや、その若社長が割とその手のものを扱っていると聞くぞ」

「できれば、ご紹介いただきたいのですが……。お骨折りいただけますか?」


 石堂が芳田に願い出ると、彼はまた胸を反らせて頷いた。


「任せとけ。その代わり副社長よ。あんたの結婚式には、この辺のやつら、全員呼んでやってくれよ。意味の分からん婚約式なんかじゃなくってな」


 言われて、石堂は朗らかに笑った。


「ええ。今すぐ、横浜アリーナあたりを予約しておきましょう」


 途端に、どっと場が沸く。

 おもわず翠も笑み崩れた。石堂と目を合わせると、彼も愉快そうに笑っている。


「おやおや」

「これは結婚式も近い」

「お嬢さん、今すぐ副社長に返事してやってください。『はい』と」


 散々冷やかされ、顔を赤くして顔を背けた時。


 刺すような視線を感じて表情が凍り付く。


 ひな壇だ。

 ここからは、だいぶん遠いというのに、嗣治と紫苑がとげとげしい視線を向けていた。


 祝いの演奏は終わったらしい。


 今は演奏者と友人たちが談笑していて、ひな壇にいるのはふたりだけだ。


 自分たちの祝いの席で、なにをしている。

 そんな表情だった。


 それは、翠だけが気づいたというわけではないらしい。

 経営者たちは、一斉に顔をひな壇に向ける。

 一様に、ひややかな視線だった。


 本来であれば、いまこそひな壇に挨拶に伺うチャンスだろう。

 だが、彼らは背を向け、石堂ににこやかな顔を向けた。


「それでは副社長。結婚式の招待状を楽しみにしていますよ」

「お幸せに」

「美男美女でうらやましいことです」


 口々に言祝ぎながら、場を離れて行った。

 驚くことに、経営者と思しき世代の人たちは、続々と石堂の元に行き「おめでとうございます。ようやくの春ですな」などと言うから冷や汗が出る。


(……これじゃあ、本当に誰の婚約式なんだか……)


 ひな壇からの視線が痛い。

 そういえばこの経営者たちは、ほとんどひな壇に行き、挨拶をしていない。


「尊。あなた、こんなかわいい方をわたくしに隠していたなんて」


 経営者たちが立ち去るのを見計らったかのように、陽気な声が響いてきた。

 途端に石堂の顔が歪み、うんざりしたように天井を見上げる。


「これはこれは、叔母上。ご機嫌はいかがですか?」


 あからさまな作り笑顔の石堂を、その女性は、ばしり、とたたんだ扇で打った。


「まったく、あなたというひとは。必要な時に連絡を寄こさないんだから、もう」


 長身な女性だった。

 40代後半だろうか。肉付きが薄く、手も足も長い。マーメイドスタイルのドレスが非常によく似合っていた。


「恋人が出来たら、一番にこの叔母さんに報告しなさいって言ってるのに! 長良から聞いたときびっくりしたわよ!」


「痛いです、叔母さん」


「だいたい、あんたっ。そのお嬢さんのことを〝わたしの子猫ちゃん〟って呼んでるらしいじゃないっ。この破廉恥はれんちめ!」


「痛いです、叔母さん」


沙織さおりさん。落ち着いて」


 扇で、ばちばち叩き続けている沙織の隣りでいなしているのは、長良だ。今日は場に合わせてフォーマルな格好をしている。


「あ。ふくしゃ……、尊さんの叔母様」


 長良の伴侶が、石堂の叔母だと聞いていた。

 翠は石堂と組んでいた腕を解き、ぺこりと頭を下げる。


「はじめまして。布士翠と申します。どうぞよろしくお願いいたします」


 翠のことを恋人だと勘違いしているということは、詳細を聞いてはいないのだろう。ここは辻褄つじつまをあわせなくては。


「こちらこそ。尊の叔母の、沙織です。長良も世話になっているのでは? ごめんなさいね。手がかかるでしょう」


 人懐っこい笑みを浮かべて尋ねられるので、恐縮する。


「とんでもない。いつもよくしていただいて……。ありがとうございます」


 そう答えた翠を、沙織はじっと見つめる。

 なんだろう、と翠はぎこちなく微笑む。なにか失態をおかしたのか。いやそれは変だ。自分はまだたいしたことを発していない。


「ちょっと、ほら、普通はこうなのよ」


 沙織は長良の腕を掴み、石堂に詰め寄る。反射的に逃げようとした石堂の足を踏みつけてとどまらせると、翠に目配せをする。


「顔を寄せなさい」


 叔母に命じられ、苦痛に耐えた顔で石堂が腰を若干曲げる。翠もおそるおそる輪に近づいた。


「あの、冬坂家の娘さん」


 沙織は扇を開き、口元を隠した。だが石堂によく似た瞳を、一瞬だけひな壇に向ける。


「さっきあいさつに行ったけど、つーん、と澄ましたまま。こんばんは、の、この字も言わないのよ。無視よ、無視」


「華族の流れを汲む政治家一族ですからねぇ。大変な地主とか」

 長良が苦笑している。


「政治家っていっても、国政のほうじゃないでしょう? 地方議員じゃない。それに地主っていっても都会の一等地でもなし。山林持ってるだけ。いまどき売れもしない。まつたけ採って売ってもたかがしれてる」


 ふん、と沙織は鼻息荒くまくし立てる。


「うちを見下してんのかしら。もう知らない。わたくしは親戚づきあいしませんから、あの一家とは」


「見下しているというより、怒っているんでしょう。わたしが死なないから」

 淡々と石堂が言う。長良が顔をしかめた。


「尊くん。そういうことを言わない」


「父さんがこの話を持って行った時、冬坂の家には、『長男がもうすぐ死ぬから』と言ってしまったようで……。それに合わせて、嗣治の副社長就任。その肩書を持った相手と冬坂紫苑さんは、結婚式をしたかったようなんですが……」


 石堂は肩を竦める。


 確かに、今のままでは嗣治の肩書は「音楽家」。

 ちょっと胡散うさん臭い。そう思って翠は内心顔をしかめた。今の自分だってそうだ。自称「作家」。超絶に怪しい。


「わたしがどうにも死なないもので。紫苑さんが年齢的に焦ったようですね」

「まだお若く見えますけど」


 翠は目を丸くして、ひな壇に顔を向けた。どうみても20代前半だ。


「24だそうです。本当は、大学卒業と同時に結婚したかったとか」

「知らないわよ、そんなの」


 沙織が呆れる。


「尊くん、嗣治くんに挨拶は?」

 長良に尋ねられ、石堂は首を横に振った。


「さっきまで、芳田さんたちと話していたから」

「挨拶しておいた方がいいかもしれません。その……、対立構図のように見えます」


 語尾になるほど声を潜めて長良が言う。


「想定外なぐらいに、関連企業のみなさんが、嗣治くんに挨拶に行かないんです。それなのに、副社長が入室した途端、みなさんそちらにご挨拶に行ってしまって……」


 先に入室して全体を見渡していた長良らしい意見だった。


「副社長が嗣治くんのところに行けば、場を代表したような形になるでしょうし……。それが呼び水になって……」


「そこまで気を遣わなくちゃいけないの? 尊が」

 沙織が腕を組み、ふてくされる。


「あっちが、企業回りをしたらいいのよ。だいたい、これ非公式な場でしょう? だったらひな壇に嗣治がずっと居なきゃいけないわけじゃないんだし。何様よ」


 少なくとも彼女自身は、「わたくしは沙織さま」と公言しそうな態度で言い放つ。


「それができれば、芳田さんや、真鍋測量さんは心配しないでしょうね」


 石堂は、つるりとした黒瑪瑙の瞳をひな壇に向ける。

 そこでは今、だいぶん酔いの回った嗣治が、姿勢を崩して椅子に座り、友人たちと大声で何か言いあっている。


「なにはともあれ、ご挨拶を」

 長良が、義理の叔父というより、秘書という顔で石堂を促した。


「彼女も連れて行った方がいいだろうか」

 石堂が翠に視線を向ける。


「行きなさい、行きなさい」

 沙織が豪快に命じる。


「行って、社長を継ぐのはおれで、社長夫人はこの子猫ちゃんだ、って言い放ってきなさい」


「また沙織さんはそんなことを言う……」

 長良が額に手を当てて項垂うなだれるが、ちらりと翠に視線を向けた。


「たぶん、あなたをお連れしたら〝正式な婚約者〟となってしまいます。申し訳ありませんが、しばらくこの会場でお待ち願えますか?」


「もちろん、かまいません」

 翠は頷き、笑みを浮かべて石堂を見上げた。


「がんばって」

「なにをがんばればいいんだか」


 石堂は苦笑をする。


「みせつけるんじゃないわよ、もう!」

「痛いです、叔母さん」


 じゃれあう叔母と甥を長良が急かして、ひな壇の方へと連れて行く。


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