第29話 法事の記憶

「さあ……。愛花さん自体は、勝つためのおまじないを探すため、ネットで検索したらそのソースにたどり着いたようで……。宇津川とは明記されていなかったけど、場所や雰囲気から、ここだ、と思ったようです」


 翠は減った分だけ自分のグラスにビールを注ぐ。白金色の細かい泡が舞い上がり、琥珀色の液体が、室内灯を浴びてやけに豪奢に見えた。


 グラスの縁に唇をつけると、液体の冷たさがそのまま伝わる。喉に流すと、ちりちりとした炭酸が舌や粘膜を刺激した。


「そういえば、嗣治も気になることを言っていましたね。知り合いの心霊系ユーチューバーがどうのこうの、と」


「そうなんです」

 翠が勢い込んで頷く。


「そのネット情報。元はわかるんだろうか」


 石堂が身じろぎした。どうやら尻ポケットに入れているスマホを出そうとしているらしい。


「ぼくがねー。いろいろと調べたんだけど……。たぶん、これが情報源かな」


 それより先に向かいの悠里が、自分のスマホを押し出した。

 ちょうど、サラダボウルとフライドポテトの皿の間だ。


「YouTubeサイト?」


 石堂は缶ビールを口に当てたまま首を傾げた。

 スマホの画面には、やけに仰々しいホーム画面が映っている。


「もう一枚の写真にうつっていた男……。あいつがやっぱり、ユーチューバーなのかな」

 翠の呟きに怪訝な顔をした石堂だったが、すぐに思い出したらしい。


「名田愛花の前に、モーションカメラが映していた写真ですか」


 ブレブレではあるが、小太りの男性が小型カメラを手に持っている姿が映っていた。


 あれが、このユーチューバーではないのか。


「廃墟系とか、幽霊スポットを巡る系のユーチューバーで〝みる太〟って言うみたい」


 ある程度食べて胃袋が落ち着いたのか、悠里は缶ビールを開け、グラスの半分だけ注いだ。


「あの中洲に行った動画があるのか?」


 石堂はスマホをタップしてサイトのホームを開ける。


 『みる太の不思議な旅』とタイトルが書かれ、更新時間がでかでかと記されていた。


 フォロワー数は500人。人気動画などは1万再生されているが、更新順の動画には、100にも満たないものがほとんどだ。逆に、この1万再生がまぐれのようなものなのかもしれない。


「最新の動画は……、二か月前?」

 石堂が呟く。


 どこかの山奥に滝を観に行った動画のようだ。翠は目をまたたかせる。


「あのモーションカメラの映像は今から三週間前のものでした。更新頻度を考えても、もう編集してアップされててもおかしくないですよね」


 翠はグラスのビールを飲み切り、缶を手に持った。だが内容量はもうないらしい。


「掲示板とかの情報だと、どうも消したみたい。一度はupしたみたいだけどね」


 悠里は言い、自分の缶を翠の方に押し付ける。ついでにスマホに手を伸ばし、つるつると表面を撫でた。


「Twitterとかブログの方も観たんだけど、こっちも更新は止まってる。最新はブログのほう。これ」


 アメーバブログだ。

 こちらは廃墟っぽい背景画像になっていて、YouTubeの画面より恐ろしそうだ。


「実話系怪談も集めているみたいで……。おもにこっちはその披露と、自分の近況報告に使っていたみたいだね。ってかお姉さん、飲みっぷりいいねぇ」


 悠里が残していたビールもすべて飲み干すと、ヘーゼルナッツ色の瞳を真ん丸にした。


「最新の記事はなんて?」

 石堂が立ち上がって悠里に尋ねる。


「えとねー……。タイトルは、『大丈夫だよな』」


 悠里はまた取り皿に料理を載せ、もっしゃもっしゃと食べ始める。


 見ていて清々すがすがしい。

 テーブルの上に並ぶ料理がどんどん消費されていく。


 普段、ひとりで食べたり飲んだりしている翠は、こうやって大皿の料理が見る間に減って行く様子を見るのが大好きだ。


(法事の時みたい)


 八川町にいた頃、伯母と共に法事の手伝いをしていた。


 広く片付けた家に、翠は伯母に指示され、男たちのためにどんどん大皿料理を運ぶのだ。


 それが終わると、次は酒。その間に空いた皿を片付ける。


(毎年、振袖を着せられて……。伯母さんは緋色のロングスカートなのよね)


 料理を運ぶときには、振袖が邪魔になるから、伯母がたすきがけにしてくれたのを思い出す。


「なになにー。ぼくに惚れた?」


 物思いにふけっていただけなのだが、悠里を見つめている形になっていたらしい。

 目が合うと、にんまり笑って悠里が言うから翠は吹き出した。石堂が冷蔵庫を開閉する音がそれに混じる。


「いい加減にしろよ、悠里」


 低く、重い声が床を這ってやって来る。悠里はまったく頓着せず、あはははと笑った。


「尊に殺されちゃう。なんとか言ってよ、お姉さん」

「いい食べっぷりだなぁ、って思ってみてただけよ」


 翠は笑い、ちらりと石堂のランチョンマットを見た。


 彼の取り皿は相変わらず綺麗だ。

 ここ数日の様子を見ていても、夕飯はきちんととるようだし、好き嫌いもない。だいたい、この惣菜自体彼が買ってきたのだから、嫌いなものはないだろう。

 石堂も悠里に劣らず〝食べるひと〟だろう。


 よし、と気合を入れて、翠は彼の皿にそれぞれの料理を取り分けて置く。

 また、大皿から料理が減った。

 気持ちいい。


「ああ、申し訳ない。ありがとうございます」


 石堂が自分の席に戻り際、翠の前に缶ビールを数本置いた。わざわざ冷蔵庫まで取りにいってくれたらしい。翠こそ恐縮だ。


「いえ、こちらこそ。ありがとうございます」

「お姉さんは食べないの?」


 もっこもっこ、と、大ぶりのから揚げを咀嚼しながら悠里が小首を傾げた。


「飲むと……。夕飯は食べないかなあ」

 言いながら、プルタブを上げる。我ながらおっさんじみているな、と思う。


(亮太といたときは、こんなに飲まなかったっけ……)


 ふと、そんなことを思った。毎晩飲むようになったのは、婚約破棄以降のような気がする。


「昔から、大皿料理をどんどん出して……、それが減るのが大好きだったな」


 から揚げが山盛りに乗っていた和皿だ。ごつごつとした気取らない表面に、拳大ほどのから揚げが山と積まれていたが、今や、残り2個だった。


 その隣のシーザーサラダは、さっき石堂の皿にすべて移したので、空になっている。


 小あじのマリネはまだだいぶん残ってはいるが、なすの素揚げや、筑前煮なども残り少なかった。


「家族が多かったんですか?」

 石堂が尋ねるから、翠は首を横に振った。


「私は一人っ子でしたが、ちょうどこの八川町に住んでいた頃は、法事で親族同士集まることが多かったんです。

大人たちがいっぱい集まって来て、私は伯母さんの手伝いをしていました。

赤い振袖を毎回着せられるんですが、そのせいで動きにくくって……。伯母さんの指示で台所からどんどん料理を出していくんですが、忙しいのなんの」


 ビールをグラスに注ぐと、泡が弾けるかすかな音が鼓膜を撫でる。


「法事、だよね」


 ぽかんとした表情で悠里が尋ねるから、翠も目をまたたかせた。


「そうよ。毎年一回。もう、てんてこまい」


 ちらりと悠里が石堂と目を交わす。なんだろうと訝る翠に、石堂が尋ねた。


「そういえば、伯母さんとは連絡がとれそうですか」

 言いながらも、石堂は取り分けた料理をきれいな手つきで食べていく。


「八川町についたとき、一度電話したんですが……。そうですね、明日にでもまた連絡して、アポを取ります」


 そんな彼の食事を眺めながら言う。


(伯母さん、隣町にいるんだっけかな)


 引っ越しの案内を貰ったような気がする。

 母から住所も聞いていた。


 昔から、親族が集まるとき、翠の家が母屋であるのに、仕切るのは伯母だった気がする。

 記憶をたどると、伯母の声がそれに重なるような気がした。


『次はこれを出して。増えて来たわね』『まだ足りないわ。追加しましょう』


 伯母に言われるまま、翠は大きな皿を両手に持ち、落とさないように歩いた。きなれない振袖が非常に邪魔だった覚えがある。


 あの時の、緊張までが蘇るようだ。

 強張る肩と、慎重に畳を踏む、自分の足。


 そこに、たくさんの男たちの声が重なる。


『みどり、こっちの料理が足りない』『みどり、この皿を下げて』『みどり、酒はまだあるか』


 はい、はい、と自分は返事をしたはずだ。

 毎年行われていた法事も引っ越してからとんと行われない。

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