第23話 先祖が蛇の青年

□□□□


 次の日。

 その青年は、けたたましい玄関チャイムの音とともにやってきた。


「な、なんですか……」


 小学生のいたずらかと思うほどのピンポンラッシュに、キッチンで皿の水気を拭きとっていた翠はすくみ上がった。

 隣で食器をすすいでいた石堂はため息をついて、蛇口を止める。


「多分、奴が来たんでしょう。ああ、お構いなく」


 石堂はそのままドアフォンの前まで移動する。

 リビングの扉付近にパネルがあり、流し台にいる翠も背を伸ばせば画面が確認できる位置だった。


「うるさい」

 通話ボタンを押すなり、石堂がうなる。


「あけてよ、ぼくだよ! みんな大好き、水地みずち……」


 途端になだれ込んできたにぎやかな声を、ボタンを押すことで石堂は立ち切った。


 ワイシャツにネクタイ。その上から紺色のエプロンをつけた石堂は、しばらく額に片手を押し当てなにかを堪えていたが、その間も、ピンポンチャイムはなり続けている。


「殺すぞ。お前、カギを渡しただろう。忘れたのか」


 再度通話ボタンを押し、石堂は盛大に不機嫌な声を発した。


 まったく関係ない翠さえ、その低音ボイスに震えあがったというのに、画面越しから聞こえてくるのは呑気で陽気な声だった。


「だって、ここ結界張ってあるじゃん! 悠里ゆうり、入れないもん」

「いい年をして自分のことを名前で呼ぶな。待て。玄関まで行く」


 叩きつけるように通話ボタンを押して切ると、いつもの優雅さなどどこへやら。石堂は、のしのしと肩を怒らせて石堂は玄関に向かった。


(ど……、どうすれば……)


 なんとなく、布巾とモーニングプレートを持ったまま立ち尽くす。

 一体、何が来てどうなっているのか。


「悠里、悪くないでしょ。尊が忘れてるのが問題なんじゃん」

「だとしても、玄関チャイムは一度鳴らせば済むし、用件は手短に言えばいいだろう」


「だから、ちゃんと自己紹介したじゃん。みんな大好き、水地悠里だって。それなのに、途中で切っちゃうんだもん」


 玄関扉が解錠される音に続き、二つの声音と足音が徐々に近づいて来る。

 翠はとりあえずプレートを食器棚に戻し、布巾を流し台の側に置いて、リビングに向かった。


「でもあれだねー。尊にしてはよくできた方じゃない? ぼく、実際入れなかったし。ってか、なに。すごいね家の中。ぜんぜん違うじゃん。あ、あれでしょ。あの人、いるんでしょう。わあ!」


 開け放したままの扉からしゃべりながら入ってきたのは、割と小柄な青年だった。


 髪の色は金色に近く、目はヘーゼルナッツ色だ。一瞬外国人かと思う肌色をしているが、言葉は日本語でなまりなどない。二重のぱっちりした瞳と愛らしい小ぶりな顔立ちは、幼少期など絶対女の子に間違えられただろうなと想像された。


「このお姉さんがそうなの⁉ わー! いいのみつけたじゃん、尊!」


 顔全体で笑った後、翠の手を両手で握る。


「ひい」


 その距離感の近さに思わず顔を背けたら、すかさず背後にいた石堂が小柄な青年の頭を叩いた。


「うるさい、死ね」

いったっ。よくない。非常によくないよ、尊。そんな愛情表現。あのね、まずは声掛け。それが大切。それが、愛に続く第一歩」


 小柄な青年は叩かれた頭を撫でながら、石堂を見上げてそんなことを言っている。

 しかしよく回る舌だ、と翠は呆れた。


「どもどもどぅも。呼ばれて飛び出てジャジャジャジャーン。水地悠里、二十歳でーす。公立大の看護科在籍中〜」


 小柄な青年は、両手を上げてから、まるでマジシャンのようにお辞儀をした。


 だぶだぶのトレーナーに、クロップドパンツを履いているから余計に幼く見える。


「非常に胡散うさん臭く、わずらわしいが、本物の異能者なのでご心配なく」

 淡々と石堂が補足した。


「異能者」


 霊能者とか霊媒れいばい者とかではなく、異能者。翠がぱちぱちとまばたきをすると、悠里は、にぱりと笑った。


「先祖が蛇なの」


 こんな自己紹介初めて聞いた、と翠は言葉を無くす。


「今日、わたしはどうしても外せない用件で本社に戻りますが……。とりあえず、こいつを同伴させます。虫よけぐらいにはなるでしょうから」


 石堂は腰に両手をつき、冷淡に悠里を見下ろした。


「まあ、大船に乗ったつもりでいてよ、尊」


 石堂の視線を受け、えっへんとばかりに胸を反らした悠里だが、すぐに翠を見てくすりと笑った。


「でも、必要ないと思うけどねー。このお姉さん自身、すっごいはじいちゃう人だもん」


「はじく」

 おうむ返しに問うと、悠里は小さく首を傾げた。


「悪いものが寄ってきたときって、対処がふたつあってね。空気清浄機みたいに、自分で吸い込んで浄化しちゃう人と、そもそも近づけないようにバリア張ってはじく人がいて……。お姉さん、はじく人だと思う。で、尊は最悪なことに、吸収しちゃう人」


 あはははは、と石堂を指さして笑うから睨まれている。だが、悠里は大して気にもしていない。


「この前『身体中のヘドロが消えた』って尊が言ってたけど、それ、浄化じゃない。きっとこの人の影響を受けて、はじかれたんだ。気を付けないと、また戻ってきちゃうよ」


 指摘すると、驚いたことに石堂はそのことに関しては神妙に頷いた。


「尊、お姉さんにも気を付けてやって」

 くりくりした瞳で、石堂と翠を交互に見比べ、悠里は言う。


「こういうひとってさ。悪いモノははじくのに、悪い人間はどんどん寄せつけるの。あれなんでだろうねぇ。おまけにこの町、あんまり治安良くないというか……。

 なんか変なのウロウロしてるんだよねぇ。気づいてた? ああいうのがいると、弱っている人間なんてあっけなく悪い方に転がるからさ」


 唐突に翠は思い出す。

 学年主任が言っていた。『ここのところわが校の生徒が問題行動を起こすことが多い』と。


 駅前のタクシー運転手も酔っ払いに絡まれ、こういうことが続くと顔をしかめていた。


「ま。対人間だったらさ。尊のほうがしっかりしているだろうし。その辺ちゃんとよろしく」


 石堂は承った、とばかりに頷いた。


「でさ、でさ」

 悠里は、また愛嬌のある笑みを浮かべた。


「お姉さんの名前、なんていうの?」


 尋ねられ、慌てる。そうだ、自分はまだ自己紹介もしていなかった。というか、ほぼしゃべっていない。


「布士翠です。よろしくお願いします」


「へー。なにしてるひと? ちなみにぼくはそろそろ実習はじまって忙しいの」

 そのあと石堂を見上げて、ぷう、と頬を膨らます。


「だから暇じゃないんだよ。ちゃんとお勉強してるのに、昨日なんて『暇だろ』とか言って呼び出すんだもん、尊」


「実際、こうやってこれただろう」

「努力したの、もう」


 悠里は怒って見せるが、石堂は無視してエプロンを外している。


「で? お姉さんは普段、なにしてるひと?」

「えー……、っとフリーランス……、で」


 言葉を濁していたら、用意していたスーツの上着に袖を通しながら、石堂が声を投げてきた。


「布士さんは、作家さんだ」

「わー、すごい! ペンネームなに?」


 ポケットからスマホを取り出し、悠里が待ち構える。翠はおどおどしながら、小声で伝えた。なんとなく石堂に知られたくない。


「ふんふんふん。わー! ほんとに出てきた! え、この本⁉」

 画面を見せられ、恥ずかしくなって無言で頷く。


「じゃあ、これとこれと……。ぽち」


「わあああああ!!!」

「うにゃあああ!!!」


 電子書籍購入を迷うことなくタップする悠里を見て思わず叫ぶと、悠里も驚いて悲鳴を上げた。


「なにをした、悠里!」


 すかさず石堂が近づいてきて怒鳴るが、「ぼくじゃないもん!」と首を横に振るから、翠が慌てる。


「わ、私です。私が悪くって……、っていうか、買わなくていいです! もしなんでしたら、またお渡ししますからっ」

「もう買っちゃった」


 悠里の指はスマホの表面を撫で続けている。「あああああああ」と呻く翠を見て、石堂が苦笑いした。


「いいじゃないですか、別に」

「いや、まあ、ええ、その……」


 翠はひたすら恐縮する。


「では、夜には戻りますので、あとはよろしくお願いします」

 ジャケットを着こんだ石堂はビジネスバックを持ち、きっちりと翠に頭を下げた。

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