第23話


 マスターに頼んで店の入り口を開ける。


 一歩歩くたびに草花を凍らせるような足取り。喜怒哀楽が抜け切った冷たい表情。ゴミを見るような、興味が失せきった瞳。


 さっきまでの様子はどこへやら、氷の女帝と言うに相応しい姫乃の母が入ってきた。


 また脇腹突っついてやろうかと思ったが、今は無防備ではない雪城当主。返り討ちに合わないよう、やめておく。


「早く、テーブルに案内なさい。呼び出しておいてそれでは、気が利かないで済まないのではないかしら?」


 どうやらすでに査定モードに入っている様子。ムカつくが、正論なので、俺はテーブルに案内した。


「それではメニューをお持ちしますので、少々お待ちください」


「持ってこなくていいわ。ブレンドとカッサータのセット、それでいいのでしょう?」


 下調べは済んでいるらしい。かしこまりました、と礼をしてキッチンへと俺は移動した。


「り、理玖くん、つ、ついに来店しちゃったんだ」


 腰がひけたマスターに言う。


「すいません、開店前に開けてもらっちゃって」


「い、いいよ、全然」


「ありがとうございます、申し訳ないのですが、ブレンドとカッサータのオーダーが入ったので……」


「よ、よし任せてくれ」


 マスターが珈琲を淹れにいったので、俺は姫乃に話しかける。


「カッサータはできた?」


「ええ。昨日より美味しくできた自信があるわ」


 姫乃は冷蔵庫から取り出したカッサータを切り分けながら言った。


「そっか。給仕も行けそう?」


「もちろん、ただ少し緊張しているけどね」


 そう言いながらも、姫乃は柔らかい笑みを浮かべた。そこに硬くなっている様子など一切なく、安心感を覚える。


「大丈夫そうだな」


「ふふっ、理玖から言葉を授かってるもの。安心してる」


 姫乃に授けた言葉。それが、カッサータ作り、叔母さんへの連絡、についでの3つ目だ。


「姫乃ちゃあん! 出来たよぉ!」


 マスターの声がかかったので、姫乃はお盆の上にカップと皿を乗せて運ぶ。


「じゃあ理玖、行ってくるね」


「うん、後ろで見てるから」


 ありがとう、と微笑んで姫乃はホールに出た。俺も少し遅れて、ホールに出る。


「お待たせいたしました。ブレンドとカッサータのセットになります」


 見るものを和ませる愛嬌ある笑顔でそう言った姫乃は、綺麗な仕草で皿とカップを机に置いた。


 姫乃の母の顔を窺うと、少し目を丸くしていた。が、すぐに、何でもないように冷めた目に戻る。


「このスイーツは、姫乃、貴方が作ったのかしら?」


「はい」


「そっ」


 それだけ聞くと、フォークを差し口に運ぶ。


「……」


 嚥下すると何かを考え込むように姫乃の母は手を止めた。そしてまた手を動かし、食べ進める。


 結局、無言のまま食事を終えると、姫乃の母は立ち上がった。


「帰るわ。お会計をしてちょうだい」


 あまりにも冷めた反応だった。


「お母様、お味は如何でしたか?」


「悪くなかったわ。でも、それだけ。それだけなのよ」


 姫乃、と冷たく言い放つ。


「話は聞いたわ。立派になったところを私に見せたかったようね?」


「はい」


「僅かにしか見れていないけれど、確かに、店員としての振る舞いは、以前の姫乃では考えられないくらい立派よ。カッサータに関しても、数日前に作り始めたとは思えないくらい美味しかった」


 喜びかけた姫乃を、でも、と押し留めた。


「でもそれだけ。たかだか、店員をうまくやれたところで、少々美味しいスイーツを作れたところで何なの? もし、店員とスイーツ作りができるくらい立派になったから跡取りとして認めてくれ、なんて話ならば、滑稽すぎるわ。雪城当主の座はそんなに甘いものではないもの」


 厳しく、凍りつきそうな口調で続けた。


「私に立派と思わせるのは、貴方じゃ無理。貴方には私を認めさせるだけの力がないの。これ以上、無駄なことを重ねる前に、雪城は諦めて別の道を模索なさい」


 姫乃の母は、それだけ告げると姫乃から視線を外し、帰ろうと歩き始めた。


「お客様、無銭飲食は困ります」


 姫乃が挑発するようにそう言うと、姫乃の母は眉をピクっと動かす。


「そうね。では、早く会計して頂戴」


「ええ。ですが、その前に、言いたいことを言わせてもらいます」


「何? 言ってみなさい」


「お母様が認めようが認めまいが、私は雪城の後を継ぐつもりですので」


 ぎり、と歯の軋む音が聞こえた。


「貴方は雪城の跡取りには相応しくありません。諦めなさい」


「いいえ、諦めません。諦める必要もありません」


「必要はあるわ。この当主たる私が認めないと言っているのです」


「それがどうしたというのですか?」


「なっ!?」


 怯む姫乃の母に向けて、とびっきりの逆撫でるような笑顔で言った。



 姫乃のお母さんの口が開きっぱなしになる。何かを言おうと口を動かしてはいるが、何も声になっていない。


「少年」


 いつの間にか近くにいた阿澄さんが囁いた。


「あの言葉は君の入れ知恵だろう」


「はい。でも、姫乃がそう思っているのは事実ですよ」


『お母様の目に触れることすら、今は怖い』そう思うほどに、自身を跡取りとして認めているのだから、『お母様が認めなくとも、私は私を認めています』ということを伝えて欲しい。それが姫乃への3つ目の頼み事だった。


「ふふっ、そうか。他者を気にせず自分のことを自分で認められるようなら、たしかに立派だ、大人だって中々に難しい。それに、きっとその力は、数多の意見を聞いても、結局は自身で決断を下さねばならぬ当主としての力にもなる」


 そう言った阿澄さんはくつくつと笑った。


「なあ、姫華。もういいんじゃないか、強がらなくても」


 俺も阿澄さんに乗っかる。


「姫乃は頑張っているんです。素直に褒めてあげればいいじゃないですか」


 すると、姫乃も言う。


「お母様、いえ、お母さん。私はお母さんに認められずとも、当主となる努力はかかさないわ。だけど、認めてくれた方が嬉しい」


 姫乃の母は俯いた。そして、耳を真っ赤にして、ぷるぷると震え出す。


「……ち……き」


「え?」


「ちゅき!!!」


 姫乃の母は真っ赤な顔で大きな声を出す。


「ちゅき!!(どうして私の思いやりがわかってくれないの! 当主になれば、辛いことばかりなのに、何でなりたがるのよ!! 姫乃に辛い思いをして欲しくないのに!! 何でなの!? 馬鹿なの!? )」


 散々な言われように、姫乃も言い返す。


「ちゅき!!(お母さんの方こそ馬鹿じゃないの! 辛いことがあるのは覚悟の上で言ってるに決まってるわ! それでもお母様が好きで後を継ぎたいんだから素直に応援してよ!)」


「ちゅき!!(雪城の当主になるつもりがないなら、素直に応援したいに決まってるでしょ! 姫乃が頑張るたびに褒めてあげられないのが甘やかせないのが、どれだけ苦しいかわかる!? 今だって、美味しいデザートを作った姫乃を、成長した姿を見せてくれた姫乃を、抱きしめてよしよしして撫で回したいんだから、さっさと諦めて甘やかさせてよ!!)」


「ちゅき!!(だから甘やかしたいなら甘やかしてよ! 私も褒められたくて甘やかされたくて仕方ないの! 別に跡取り目指していても、甘やかしてくれてもいいじゃないの!!)」


「ちゅき!!(姫乃はまだ何も経験していないから、なりたいだなんて言えるのよ!! 子供は黙って親の言うこと聞いてなさい!!)」


「ちゅき!!(はあああああああ!? 処女のお母さんに経験がどうとか言われたくないわ!!)」


「ちゅき!!(誰が処女ですって!?)」


「ちゅき!!(初夜で私を授かってそれ以来なんだから、処女と変わらないでしょ!!)」


 ちゅきちゅき言い合って、取っ組み合いの喧嘩が始まった。


 姫乃のちゅきはお母さん譲りだったのか。大概な家系だな。聞き取れる俺も大概だけど。


「あ、あの、これは?」


 意味不明の事態に困惑するマスターに、阿澄さんが告げる。


「愛が溢れて、ちゅきしか言えなくなってるんだ」


「え、でも、喧嘩してますよね?」


「じゃれあってるだけだ」


「はあ。開店までには終わってくれますかね?」


「さあな」


「ええ……」


 肩を落とすマスターには悪いが、俺はこの心温まるやりとりをもう少し見ていたかった。


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