第2話
歯ブラシをゴシゴシしながら、洗面台の鏡に映る自分を眺める。
ただの華奢な男だなあ。
海外のとある場所にある監獄で獄中出産によって生まれた俺は、マフィアたちが溢れる血生臭い世界で育ち、暴力や生きるための小賢しさなんかを身につけているはずなのだけど、見た目にそれらが一切現れていない。
もう少し顔とか姿形に出るものだろうけど、全く出ていないところに、ここはゲームの世界なんだ、と実感させられる。
歯磨きを終えて、登校の準備。
カバンに教科書を詰め込みながら、かったるいなあ、と思って笑みが溢れた。そこにも、俺は湊理玖だ、と自覚させられる。
湊理玖は、凄惨でスリルのある環境に生きてきたせいで穏やかな生活を望んでいて、スカウトされて即、日本の学校に転入を決めた、という設定だ。ちゃんと穏やかさを望む心があったので、湊理玖という自覚が強まる。
まあでも、このゲームをプレイした俺も怠惰な人間だったような気がするし、別人になったような違和感はないな。
「さて、行くか」
俺は寮の部屋から出て登校する。
通学路の山道を歩きながら見上げると、豪奢な校舎が目に入る。
この桜宮学園は、日本のとある山奥にある、次世代のリーダーを育てあげるための学園だ。
この学園には、学年ごとに、華族や財閥、企業のお嬢様、お坊っちゃまが所属する貴族クラスが1つ、一般人の所属する使用人クラスが3つ存在する。
その理由は2つ。
貴族クラスの生徒が、次期リーダーとして人の使い方を学ぶため、使用人クラスの生徒を使い、学園から与えられる課題に挑むことになっているため。
もう1つは、貴族クラスの生徒が、生涯のメイドや執事を見つけるためだ。
こう聞くと、使用人クラスに旨味がないように思えるが、そんなことはない。お偉い子息息女と関われるため、その親から厚遇され、就職先には困らない。さらに、執事、メイドに選ばれれば、実質玉の輿みたいなもので、入学する旨味はたんとある。
そのため、ほぼスカウトからの推薦入学にも関わらず、入試倍率は10倍を超えるのだとかなんとか。
まあなんともコテコテのギャルゲー設定なことで。こんな学校あるわけないだろ。
だけど、あるのだから仕方がない。ゲームの世界と言えど、俺にとってはこれが現実。受け入れるほかあるまいよ。
山道を登り終え、校門が目に入る。
たしかここで……。
その時、リムジンが走り抜け、原作の記憶が鮮明になる。
そうだ、俺はここでリムジンから降りてくるヒロイン、雪城姫乃の前を横切ったんだ。
そして……。
『ちょっとそこの平民』
『ん、俺?』
『そうよ。今、私の前を横切ったわね?』
『ああ、それがどうかしたか?』
『どうかした? ですって!? 無礼だと思わないの!?』
『無礼? そうなのか? どこが悪かったか言ってくれ』
『この私の行く手を遮ったところよ!』
『それの何が悪いんだ?』
『〜〜〜〜っ!? この私を馬鹿にして! この屈辱絶対に忘れないからっ!』
という出会いのイベントがあったので、俺は立ち止まることに決める。
気高い・ザ・お嬢様キャラのツンデレヒロイン雪城姫乃。彼女とフラグを立てるつもりはない。ここで彼女が校門を抜けるのを静かに待つのが吉。
そう思って立ちぼうけていると、リムジンが停まり、ドアが開いた。
艶やかな黒髪に、見るものをひるませる強気な瞳。キラッとした雪のような粒子が見えるほど涼やかで凛とした雰囲気。中から出てきたクール系の美少女は、まごうことなき、雪城姫乃だ。
よかったぁ、ギリギリで気づけて。あやうくイベントをこなすところだった。さあはよ学校入れ。
と見ていると、雪城はキョロキョロし出し……俺と目が合う。
雪城は俺に向かって走ってきて、そして
「理玖!!」
抱きついてきた。
女の子の柔らかい感触と甘い香りにくらりとくる。いやきてる場合ではない。
何で、どうして? 何この状況?
「あ、あの」
「ちゅき!」
「は?」
「ちゅきちゅき!」
胸に顔を埋めて、ぐりぐりしてくる雪城。
俺は慌てて肩を掴んでひき離す。
「ちょ、ちょっと、何すんの?」
「ちゅき?」
そういって首をこてんと横に倒した雪城。クール系の顔立ちが甘えんぼの顔になっていて、原作の攻略後の雪城の姿と被って見えた。
もしかして、記憶が……?
ありえるかも。俺があるのだから。
「なあ、雪城……」
「ちゅき!!」
怒を孕んだちゅきには、姫乃と呼べ、という意味が込められていて渋々呼び直す。
「……姫乃」
「ちゅきちゅき」
それでいいんだ、って言ってる。
「もしかして、記憶があるのか?」
ちゅきだけで意思疎通しようとするヤバい女に尋ねると、
「ちゅき(うん! 今日思い出したんだよ! また理玖と学園生活が送れるなんて、もう楽しみすぎて嬉しくって、理玖の姿見たらつい抱きついちゃった! ううん、最愛の人に会えたから我慢せずにはいられなかった! えへへ、これからもよろしくね!)」
と聞こえたので、
「ちゅきだけじゃ何言ってるかわからないなぁ、あ、そうだ用事が!」
と俺はわからないことにして逃げた。
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