ヒーロー社会の陰謀

吉宮享

ヒーロー社会の陰謀

 ヒーローは遅れてやってくる、とは誰が言い出した言葉だろう。


 地中や海中果てには宇宙、多種多様な場所から怪人が襲来するこの現代社会。

 民衆のピンチには、どこからともなくヒーローが駆けつける。

 そんな彼らが遅れてやってくるとなると、苦言を呈する人もいるだろう。


 ――はよ来いや。


 しかし彼らも、好きで遅れているわけではない。

 事件発起から出動の合間にブレイクタイムをとるヒーローがどこにいるか。彼らはモーニングコーヒーをたしなむサラリーマンではないのだ。


 ヒーローだって光の速さで飛んでこれるわけではない。

 事件の情報を聞き受け、彼らが現場に到達するには、無論時間が必要なのだ。

 事件現場に偶然ヒーローが出くわす確率など、それこそ天文学的数字。創作の中の探偵じゃあないのだから。


 ともすれば、厳密に言えばヒーローは『遅れてやってくる』のではない。

 ただ『早くやってくるのが難しい』のだ。


 そんな彼らに到着を急かすのは酷な話だろう。

 彼らも彼らなりに必死なのだ。


 ――ヒーローとしての自分の使命を早く全うしたい。

 ――自分がもう少し早く到着していれば助かった命があったかもしれない。

 ――俺の中の悪魔が、一刻も早く怪人の血を欲している。静まれ俺の左腕。


 それでも生物には速度の限界がある。

 思考と行動が伴わないジレンマ。

 ヒーローだってもどかしさを抱えている。


 しかし、そんな彼らでも、一瞬で現場に直行できる手段がある。


 簡単な方法だ。

 速度の限界を無視した移動手段。


 怪人が襲来し、民衆が危険に晒され、

 事件の報をヒーローが受けたその時、

 彼らは『それ』を手にして叫ぶのだ。




「どこにもドア~」




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『♪――前奏――♪

  ジャ~モネットジャ~モネット~♪

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   ◆◇◆◇◆




 ――ガチャリ。


 怪人襲来の報を受けた彼は、すぐさま事件現場を念じ、ドアを開いた。


「そこまでだ! 怪人め!」


 ドアをくぐると、商店街に異形がたたずんでいた。

 人間と同じ二足歩行ではあるものの、その見た目は人間とかけ離れている。

 皮膚の代わりに甲殻をまとい、硬質な腕の先には巨大な鋏が生えている。

 カニを模したその姿、おそらく海から来た怪人だろう。

 そのカニ型怪人に対峙し、彼は宣言する。


「平和を犯す不埒な怪人は愛刀片手に悪・即・斬!

 市民を守る正義の刃、ジャスティスブレイド、参上!」


 彼――ヒーロー、ジャスティスブレイドは愛刀を振って決めポーズをとる。


〈ヒーローがなんの用だ?〉


 カニ怪人の重く響く声に、ジャスティスブレードは答える。


「無論、町の人たちを守るために参上した。覚悟しろ!」

〈その守る対象が、一体どこにいるというのだ?〉

「なに?」


 言われて気づく。

 普段は自分に向けられる声援が、ここには一つもないことに。

 見渡す。住民の姿がどこにもない。

 ここにいるのはジャスティスブレイドと怪人。その一人と一匹だけだ。

 まさか――


「おのれカニ野郎! この町の住民に何をした!」

〈言いがかりだな。我は何もしていない〉

「なに?」


 ――何もしていない、だと?

 それではすでに全員の避難が完了したというのか?

 いや、さすがに早すぎる。

 怪人を前にして、これだけ機敏な避難が行えるものだろうか。

 過去の事件現場ではどこも、怪我や恐怖で動けなくなり、怪人を前に取り残された人がいた。

 そしてジャスティスブレイドは、そんな被害者たちを守り抜いてきた。

 しかしここには、取り残された人など一人もいない。なぜだ?


〈住民なら、さっさとドアで逃げていったぞ〉


 疑問を読み取り、怪人は言った。

 ――ドア――そうか、【どこにもドア】だ。


 通販はヒーローだけの特権ではない。町の住民も、避難用に【どこにもドア】を買っていたのだ。

 それなら避難の早さも頷ける。


〈――で、もう一度聞くがヒーローが我になんの用だ?〉

「……」


 町の人を守るため。しかしここにはもう住民はいない。

 ただ、守る人はいなくとも、守るべき町はここにある。


「俺は、お前の破壊活動から町を守る! そのためにお前を倒す!」

〈いや、壊さないが〉


 怪人の冷ややかなツッコミ。


〈怪人にだってポリシーはある。我は、人間の絶望した顔が大好きなのだ。悲鳴を上げ泣き叫ぶ人間どもに絶望を振りまきたくて、この仕事についた。……なのにこの町の住民と来たら、我が現れた瞬間に颯爽と姿を消すのだから嫌になる。まだ何もしていないというのに。そんなこんなで気が冷めてしまったから帰ろうとしていたところだ。まったく、初出勤でついてない〉


 怪人は語り終えると、ジャスティスブレイドに背を向けて歩き出す。

 ――って、いやちょっと待て!


「このままヒーローたる俺が怪人を見過ごすわけないだろ!」

〈といっても、我はまだ何もしていない。なんだ? ヒーローは罪のない者にまで鉄槌を下すのか?〉

「それは……」


 ――そうだ、こいつは人に手をかけていないどころか町の破壊さえしていない。加えてこのまま帰るときた。

 過去に事件を起こしたことのある怪人ならまだしも、聞くにこいつはどうやら初出勤(出勤?)。本当に、まだ何一つ事件を起こしていないのだ。


 ――俺は本当に、この怪人を倒す必要があるのだろうか。

 ――罪のない者にまで無理矢理手を下そうとするのは、

 怪人がやっていることと変わらないのではないか――?


「何をくよくよと考えているんだ!」


 背後から聞こえた声が思考の沼を吹き飛ばした。


「その声は――!」


 ――ガチャリ。


 ドアを閉める音を背に、また新たなヒーローが登場した。


「狙った獲物は塵も残さず焼き尽くす!

 燃える魂の炎、マイクロバーナー!」


 ジャスティスブレイドの同期、マイクロバーナーだ。

 ヒーロー活動をしていると他のヒーローと張り合うこともある。

 彼らはそんなライバル同士だ。


「ジャスティスブレイド! 貴様は守る市民がいなければ戦えないのか? 町が破壊されていなければ戦えないのか? 怪人を前にして何を迷っている! 約束を思い出せ! 自分の正しいと思うことを貫け! ――自分の正義を燃やせ!」

「――!」


 ヒーローになる前夜、俺たちは酒を酌み交わしながら約束した。


『俺たちで、怪人からこの世界を守るんだ』


 ――そのころの俺には、曲がらない信念があった。

 ――熱い、正義があった。

 ――それなのに……。


「……ふっ」


 ジャスティスブレイドは自らをあざ笑うように息を吐く。


 ――そうだ。

 ――人々の熱い声援なんてなくても、

 ――俺たちの熱い正義の心は、年中無休で燃えさかっている!


 細かいことは考えない。やることは、一つ。

 自分が正しいと思うこと――怪人を倒す。それだけだ。

 というか冷静に考えて、『人間の絶望した顔が大好き』などという危険思想を持つ怪人を野放しにするわけにはいかない。


「……正義の刃を名乗るくせに、いつの間にか俺の刃はなまくらになっていたようだ。まさか、お前に焼きを入れられるとはな。マイクロバーナー」

「腑抜けた正義を熱く鍛え直す。それもまたオレの役目だ」

「……少し癪だが今回は素直に礼を言っておこう」

「それなら後で屋台おでんにでも付き合ってもらおうか。無論貴様の奢りだ」

「考えとくよ」


 ジャスティスブレイドは立ち上がる。

 その背後で、マイクロバーナーは満足そうな笑みを浮かべる。

 そして、そのさらに後ろから、


 ――ガチャリ。


「新緑の使者。フォレストニンジャ、推参」


 ――ガチャリ。


「宇宙のみんなの輝くアイドル☆ ティンクルセイバー、キラッとオンステージ☆」


 ――ガチャリ。


「世界中のコーヒー豆畑は俺が守る! カフェイニズム!」


 ――ガチャリ。――ガチャリ。――ガチャリ。


「ブルーソノリテ!」「ベジタリアンイーグル!」「†深淵の救世主(メシア)†」


 ――ガチャリ。――ガチャリ。――ガチャリ。――ガチャリ。――……。


 ヒーローたちが【どこにもドア】をくぐり、続々と集結し始めた。


 人は一人じゃない。ヒーローも、一人で戦っているわけじゃない。

 熱い正義の炎は――誰の胸にも宿っているのだ!

 ……ちなみに。無論ここはコーヒー豆畑などではない。


「来い! 怪人!」


 ジャスティスブレイドは意気揚々と叫ぶ。

 多勢に無勢。もはや怪人に勝ち目はない。

 しかしここにきて、怪人は不気味に笑った。

 数の不利をものともしないような不適な表情。

 怪人から漂う不穏な空気に、ヒーローたちは息を殺し、気を引き締める。


 そして――


〈いや、無理っすわー〉


 怪人は気だるげに肩を落とした。


〈なに熱くなってんの。こっちは今日そんな気分じゃないんだって〉


 怪人は数歩下がると、風景に手を伸ばし、空を掴む。

 手をひねる。


 ――ガチャリ。


 この場にいる誰もが聞き慣れた音が響く。


〈さっきも言ったけど、今日はテンション低いんでもう帰るわ。戦いたいんならまた後日、頭数揃えて改めて襲来するんでそんとき相手してくだせぇ。今日は非番の怪人が多いんで。それじゃ〉


 怪人は、旧知の間柄に向けるがごとき気安さで、ひらひらと手を振りドアへと消えた。

 光学迷彩の装飾が成された、【どこにもドア】の向こうへ。


「…………」


 怪人が消えた町に寂しくたたずむヒーローたち。

 臨戦態勢のまま固まった空気が動き出すには、少し時間がかかった。




   ◆◇◆◇◆




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 先日大好評を博した【どこにもドア】ですが、それでもやはり事件発生からヒーローの登場までは、情報伝達というどうにもできないタイムラグがあります! 住民の方々が逃げようにも【どこにもドア】が近くになく、そこまでの移動に時間がかかるとなればこれもタイムラグ! その間に危険な目に遭ってしまうこともあるかもしれません! 『目の前で怪人に襲われてる人がいるのに私には何もできない』、『俺が怪人に立ち向かわなきゃ家族が危ない』! そんなとき、この【ムキムキクリーム】を身体に塗ればたちまち筋力百倍! さらに追加の滋養強壮効果で元気百倍ア――』


 ジャスティスブレイドはテレビを窓の外へ投げ飛ばした。

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