第2話 ラッキースケベ? いいえ人命救助です

 前世で死んだ時、俺は30歳だった。際立った特徴もない普通のサラリーマン。見た目も普通。イケメンではなかったがそんなにブサイクでもなかった、と思う。ただコミュ障のせいか年齢=彼女いない歴という立派な魔法使いだった。実際に魔法が使えた訳ではない。まあ察してくれ。


 そんな俺の寂しさを埋めてくれたのは、飼っていた雌猫のネロ。ベタにダンボールに入れられた捨て猫だった。やたら大きいダンボールの底には柔らかいクッションが敷かれていた。他にも何匹かいて、既に拾われていったのかも知れなかった。


 ネロは全身真っ黒で金色の瞳をしていた。黒猫は不吉だって考える人もいるみたいだけど、俺はそういう迷信は信じない性質だ。何より、俺を見上げる顔がものすごく可愛かった。


 それから俺が事故で死ぬまで三年ほど一緒に暮らしたんだけど、ネロは成長してもずっと甘えん坊だった。朝出掛ける時は毎回玄関まで見送りに来るし、帰って来るとずっとべったりして離れない。トイレや風呂にも付いてくる始末だった。


 ツヤツヤでサラサラの黒い毛を、頭から尻尾の近くまで撫でられるのがお気に入りみたいで、俺もネロを撫でる度に癒されていた。


 ネロがいてくれたおかげで寂しくなかったし、満たされていた。


 最後の瞬間も思い出したのは友達や同僚、親兄弟の事じゃなくてネロだったもんな。部屋に残してきたネロのことが唯一の心残りだった。


 ベッドで眠っていると、いつの間にか布団に潜り込んで来て俺に身を寄せるようにして寝ていたものだ。


 寒い日はそれが温かくて、なんだか全身を包まれるような安心感があって――





 目を開いた。すごく近い所に女の子の顔がある。金色の瞳が俺をじぃっと見つめている。蝋燭のような仄かな灯が瞳に反射している。


 徐々に覚醒して来た。どうやら俺は抱きしめられているようで身動きが取れない。でも不快じゃない。とても温かくて――


 ん? なんか肌と肌が密着してる気がする。俺の胸には何やら柔らかいモノが押し付けられてる感じ。スベスベした脚が俺の脚に絡んでるっぽいぞ?


 女の子の腕は俺の背中に回され、離すまいという強い意志を感じる。暗くて断言は出来ないが、14~15歳くらいのとんでもない美少女に見える。そして、これは断言してもいい。俺は素っ裸だ。そして密着している美少女も。


 それに気が付いた途端、俺のウォード・ジュニアが反応した。


 とは言え、俺はまだ8歳。一応、見た目は幼気な少年である。ジュニアだって反応したと言ってもまだまだジュニアだ。だが中身は30+8=38歳のおっさん、しかも知識だけは豊富な童貞だ。


(これは生理現象、これは生理現象、これは……)


 自分を落ち着けるために、心の中で呪文を唱える。


 そういえば、極限状態だったとは言え8歳の少年が「童貞のまま死ねるかー!」とか叫んじゃいけなかったな。今後は気を付けよう。


 心なしか、少女の俺を見る目に悪戯っぽさが浮かんだ気がするけど、気のせいだよね?


「起きた?」


 鈴が転がるような澄んだ声。声まで可愛いとはけしからんな。ええ、起きましたとも。色んな意味で。


「……え、えっと、はい」

「よかった」


 少女の大きな瞳がみるみる潤んでいく。え? 泣いてる? 少女はさらにぎゅっと俺を抱きしめると、上掛けを捲り上げてそっと俺から離れて行く。俺はその後ろ姿から目が離せない。細くて華奢な体に引き締まったお尻。傍に置いてあった椅子の背もたれに、ローブのようなものを掛けてあったようだ。それを手に取ってパッと羽織る。その時横から見えたお胸の膨らみは控え目ながら綺麗な形だった。


(俺は8歳の少年、8歳の少年、8歳の……)


 再び呪文を唱える。8歳と言えば日本なら小学校二年生か三年生。純粋なお年頃だ。お母さんに「赤ちゃんはどこから来るの?」とか聞いてもコウノトリやらキャベツ畑やらで誤魔化される歳である。


 つまり女体に興味を持ったり、あまつさえ興奮などしてはいけない歳なのだ。少なくとも俺の常識ではそうである。


「そこに着替えを置いてるから。着替えたらこっちに来てね?」


 少女が俺を振り向き、布の仕切りを開いて出て行った。


 一人きりになって改めて考える。少女は誰? ここはどこだ? 寝返りを打って天井を見上げると、どうもここはテント、いや天幕と言うのだろうか。屋根が布っぽい。俺が寝ているのはベッドというよりハンモックに近い。


 俺は鉱山で倒れて、死体を捨てる穴に投げ込まれ、あの忌々しい看守役の竜人から槍を掠め取り、飛び掛かって来た狼を串刺しにして――


 そこから先が曖昧だ。何かド派手な音がしたり、焦げ臭かったり、しばらく雨に打たれてたような気がする。


 今こうして生きていて鉱山とは別の場所にいるって事は、誰かに助けられたんだろう。それにしても先程の少女。見ず知らずの子供を助けるにしても、あんな風に裸で添い寝をするか? 俺が重要人物ならまだしも、ド田舎生まれのド平民だぞ?


 これは何かあると思って警戒した方が良さそうだ。


 起き上がり上掛けをめくる。自分の体を見下ろすと、すっかり綺麗になって仄かに石鹸の良い香りまでする。誰かが風呂にでも入れてくれたのだろうか。


 ハンモック・ベッドの横に小さな木製のテーブルがあり、そこに服がある。下着とサンダルまで置いてある。これを着ていいのかな?


 絹のようなサラサラした生地。白い七分丈のズボンに、裾が長めの同じく白い七分丈のシャツ。前合わせと袖口には赤い帯状の飾りが付いている。よく見ると金糸で細かい刺繍がしてある。


 今まで着た事のない上等な服だ。こんなの本当に着ていいの? どこかの貴族の子供か王子様と間違ってない?


 服が置いてあったテーブルの隣には姿見が置いてある。おお。この世界で鏡を見るのは何気に初めてだ。こっちの世界の俺ってこんな顔してたんだな。今まで水に映ったのしか見てないから新鮮だ。


 蝋燭が灯る燭台を手に持ち、自分をまじまじと眺めた。赤みがかった茶色の髪とライトブラウンの瞳。村で死んでしまった父さんには似てないな。俺を産んですぐに亡くなったと聞いた母親似なのかも知れない。自分で言うのもなんだが、まあまあ可愛い顔をしてるじゃないか。うん、これは将来が楽しみだ。そういう事にしておこう。


 姿見の横には、布の壁に槍が立てかけてあった。穂には黒い布が巻かれているが見覚えがある。これは俺の命を救ってくれた槍だ。特別でも何でもない、末端の兵が持つ量産の槍だが、俺にとっては唯一無二の槍である。なぜここにあるかは分からないが。


 警戒するという意味ではこの槍を持って行きたいが、善意で助けてくれたかも知れない相手にそれは無礼だろう。厄介事は避けるに越したことはない。後ろ髪を引かれるが槍はそのままにしておく。


 俺は少女が出て行った布の仕切りをおずおずと開き、向こうを覗いてみた。暗い部屋から一転して、そこは眩しいくらい明るかった。


 いや、俺が寝かされていた部屋が特別暗かったようだ。見上げると布の天井越しに光が差し込んでいる。外は明るいみたいだな。


「うん。似合ってるね」


 ダイニングテーブルのような木製のテーブルに先ほどの少女が座っていた。きちんと着替えたようで、俺と同じような服を着て髪をツインテールに結んでいる。その後ろには……メイド? 濃紺のクラシカルなメイド服に身を包んだ長身の女性が佇んでいる。美人だが冷たく感じるのは、アップにまとめた髪が綺麗な青だからかも知れない。心なしか睨まれてる気がする。


「そこに座ってくれる?」

「あ、はい」


 促され、少女の対面に腰かけた。


「さっきは驚かせちゃったかな? 体力がかなり落ちてて危険な状態だったから、ボクの生命力を少しずつ流し込んでたんだ」


 生命力を流し込む? 裸で抱き合って? そんな事が可能なのか?


「体温もかなり下がってたし。まあそれは置いといて、ボクの名前はネロ・イグニス=クトゥグァ。ネロって呼んでくれたら嬉しいかな」

「あっ……助けてくれてありがとうございます、ネロ、様。俺はウォードって言います」

「『様』は要らないよ、ウォード。呼び捨てで構わないからね」


 こっちの世界もそうなのか分からないが、家名がある人は身分が高い筈だ。ド平民の俺が呼び捨てなんかしたらぶっ殺される事案ではなかろうか。


 それにしてもネロって……意識の無い間に自己紹介でもしてくれたのかな。それで前世で飼ってた猫のことを夢に見たのかも。


「あの……俺の他に捕まってた人達はどうなりましたか?」

「ああ、無事に助ける事が出来たのは120人くらいだった。もしかして親しい人がいた?」

「いえ、もうそういう人はいませんでした」

「そうか……でも君が無事で良かった。ボク達は君を助けに行ったんだから」

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