春にさよなら

まんごーぷりん(旧:まご)

惜春の折

 思えばハルは、いつも泣いていた。

 鬼ごっこの途中で転んで痛い思いをする。授業中、苦手な算数の時間に半ば無理やり先生に指名されて、正しい答えを導き出せず、クラスメイトに笑われる。あるいは、俺と遊んでいたらいつの間にか外が真っ暗になってしまっていて、「お母さんに叱られる」と不安になる。彼女の周りにはいつだって、苦手なものや配慮の足りない人々、そしてちょっとしたアンラッキーがころころと転がっていたと記憶している。

 その中でも彼女を頻繁に悲しませていたのは、彼女自身の身長だった。ハルはいつだってクラスの女子の中で――いや、男子を合わせても、学年で一番背が高かったのだ。どちらかといえば成長の遅いタイプだった俺からすれば羨ましい限りであったが、ハルは違った。クラスの男子にデカ女と言われたと泣き、人気者の女子が「女の子は小さい方が可愛いんだって」と言っていたと泣き、「ナツと一緒に居ると年の離れた姉と弟にしか見えないって言われる」と号泣した。俺はそんなハルを連れて近所の公園へ行き、大きな桜の木の下で彼女の愚痴や泣き言をうんうんと聴くのだった。


 小学校三年生くらいだったか、その日もハルは泣いていた。学校で将来の夢について作文を書く機会があった。ハルはアイドルになりたい、とかねてからの夢について書いたらしいが、そのときに横でこっそりのぞき見をしていたクラスの女子に「あんたみたいな図体のでかいだけの女の子には無理よ」と笑われたという。


「気にするなよ。あいつ、いつもそういう意地悪言って喜んでるだけじゃんか」


 どんなに一生懸命慰めても、ハルはただひたすらしゃくりあげるだけだった。


「もったいないよなぁ。せっかく背が高いってカッコいいのに」

「あたしはカッコよくなんてなりたくない! 可愛くなりたいの」

「えー。じゃあ、モデルにでもなれば?」


 背が高くて可愛い職業イコール、モデル。小学校低学年の単純な考えである。


「モデル?」

「そうそう」

「あたしはアイドルになりたいんだけど」

「両方やってる人っていっぱいいるらしいよ。姉ちゃんが言ってた」

「そうなの?」

「そうそう。俺は将来カメラマンになるから、ついでにハルのことも撮ってあげるよ」


 撮った写真を雑誌にして、本屋さんに売りつけたらいっぱいお金がもらえるから、ハルと俺で半分こしようぜ。――大人になってから自分の発言を顧みると、色々とツッコミどころがあるものの、当時の俺はいいことを思いついたとばかりにニヤニヤが止まらなかった。ハルは、しばらくきょとんとしていたが、


「……それ、いいかも!」


と、目を輝かせた。


「あたし、頑張ってアイドルと、モデルになる! ……それで、ナツと一緒に大金持ちになって、バカにしてきた皆を見返すの。それで、大きい家を買って、ナツと、ナツのパパとママと、私の家族皆で暮らすのよ」


 ハルと俺のひみつの背比べはそこに端を発したと記憶している。


「あたし、これからは自分の身長を好きになる。これからもいっぱい、背を伸ばす」


 彼女は鋭くとがった石をどこからか拾ってきて、俺に手渡した。そして、近くに生えていた桜の幹に、自らの背中を当てた。


「あたしの頭のところに、しるしをつけてね」

「身長?」

「そう。終わったらナツの番ね」

「どうして俺も?」

「大人になっても、ナツに追い越されないように。モデルになるのなら、それくらい頑張らなきゃいけないでしょ?」


 さすがにそんなことはないだろう、と今なら思えるけれど、幼かった俺はそんなものか、と納得してしまった。


「今日はあたしの誕生日。これからも毎年、四月二十日にこの桜の木で背比べっこしようね」


 こうして俺たちは、互いの身長を桜の幹に刻むのだった。ハルはこのとき「毎年私の誕生日に」と言ったけれど、実際はもう少し短いスパンで比べっこをしたと記憶している。――往々にして、子どもというものはせっかちなのである。





 俺たちの背比べがいつ終わったのか、明確に覚えているわけではない。小学校を出る頃にはとうにそのような遊びからは卒業していたような気はする。記憶の限りでは、俺がハル――春菜はるなの身長を抜かすことはできなかったが、そのころには彼女もあまり泣かなくなり、俺は俺で背比べなんかよりも夢中になれるものがあったのだ。

 カメラだった。

 元々、カメラマンに憧れていた。それは、自分の父がカメラをいつも愛しそうに、大切に手入れをしていたからだった。彼は決して本業のカメラマンではなく、あくまで趣味の範疇で撮影を楽しんでいただけだったが、俺はそんな父の姿に憧れたのだ。誕生日には、デジカメが欲しい。幼い頃、俺は何度もそう懇願したが「子どもにはまだ早いな」とごまかし続けられていた。しかし十二歳となった初夏、父は俺によく見慣れた、彼のデジタルカメラを手渡したのだった。


来夏らいかももうすぐ中学生だしな。そろそろ『本物』を持ってみる機会があったっていいだろう」


 本格的なものの割に案外小型で、どこかレトロな雰囲気のある一眼レフ。父は、ずっと大切に扱ってきたそれを俺に受け継いだのだ。せっかくのプレゼントなんだから新しいものを買ってあげればよかったのに。カメラに疎い母はそう言っていたけれど、俺はその価値を知っている。

 ライカ、それはカメラの有名なブランドの名前だった。――幼馴染の春菜に「ナツ」と呼ばれ続けていた俺の本名の由来。それは、カメラが好きな人間であれば一度は憧れる代物だった。

 ライカに恋い焦がれ、画用紙にその絵を描き、将来への理想を語る毎日が終わった。一度くらい、春菜にも自慢したかもしれない。――いや、たぶんそのようなエピソードはない。父から受け継いだライカに、春菜の写真は一枚たりとも残っていやしなかったから。







 中学、高校と進学するにつれ、春菜の身長は目立たなくなっていった。それでもクラスの女子の中では一位、二位を争う背の高さではあったものの、それ以上に彼女はその美貌で周囲を圧倒するようになっていたと記憶している。確かに、周囲の大人からは「春菜ちゃんは、目がぱっちりしていて、とっても可愛らしいお顔よねぇ」と言われることが多かった。俺の母親も、「春菜ちゃんは、眼鏡を外したら将来間違いなく美人さんだね」なんて言っていたものだ。しかし、幼かった同級生は皆、彼女の身長にばかり注目し、彼女自身はそれがコンプレックスでいつも背中を丸めて歩いていた。そして度の強い眼鏡をかけ、おまけに極端に泣き虫だったことから、幼少時代に彼女のことを可愛いだなんて思ったことはなかった。周囲の同級生たちも、決して彼女を美人だと形容したことはなかった。大人が言う「可愛い」って変だな、とすら思っていたのだった――そういった先入観を抱いたまま彼女のことを見ていたからこそ、中学に入り、春菜が一学期間に十人から告白されたという話を聞いても嘘だろう? としか思わなかったし、まさか、小学三年生の頃に語ったあの夢を、いまだに抱き続けているだなんて想像もしなかったのである。

 中学三年生の冬、彼女はとあるオーディションに合格し、有名アイドルグループの二期生としてデビューすることに決まったのだった。そんなビッグニュースも、春菜本人から聞いたわけではない。クラスのミーハーな女子たちが、大声で彼女の噂話をするから、つい耳にしてしまったというだけの話だ。つまり、そのころには俺たちはそれだけの関係になっていた。疎遠になる明確なきっかけがあったわけではない。ただ、成長するとはそういうことなのだ。

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