89話 疑惑


「よーしっ、これで髪の毛は万端ばんたんっと」


 シャワーを浴び終え、洗面所でパジャマ姿になった自分を鏡でチェックする。

 相変わらず、義妹であるミシェルが昔着ていたモノを借りている。


「太郎ー? ちゃんと髪の毛は乾かせたの?」


 リビングから俺の気配を悟ったのか、髪の毛のケアにうるさい師匠あねの質問にきっぱりと返事をしておく。


「もちろん! ばっちり!」


 前より長い時間をかけてドライヤーをするようになってしまったのは億劫だけど、しっかりしておかないと姉が怖い。それに、長々とありがたい御高説を聞かされる羽目になるなら、最初から教えられた通り、『温風、冷風、近接厳禁、毛先まで』の四大鉄則を守っていた方が、すんなりと終わるというものだ。


「でも、少しめんどくさい……」


 毛先を中心に乾燥し終えた部分にかるーく、ほんの少しだけ塗るタイプのトリートメントをちゃっちゃっと付ける。

 姉の指示に従い始めてもう六日が経つけど、うーん……。

 元々、ふんわりサラサラな俺の銀髪が、更にトルゥントルゥンになりつつある。


「女子力……」


 自分の手で髪をすきながら、果たしてこれでいいのだろうか、と疑念を感じつつも俺は火照った身体を冷ますためにリビングへと移動する。


 やはり、何か姉にはモノ申さなければならないような気がする。

 そして口を開きかけた俺に、『太郎もアイス食べる?』と冷凍庫からカップアイスを取り出す姉を見て、思わず食い入り気味に聞き返す。


「それって、ハーゴンダッツ!?」


「そうだぞ。今日は色々と大変だったろうし、ご褒美だ」


「もちろん食べる!」


 元気良く姉へと近づき、アイスとスプーンを手に取り、俺はウキウキ気分でソファへと腰掛ける。


 うん。

 贅沢な舌触りに、濃厚で上品な味わい。

 お風呂上がりはアイスに限りますな。


「美味しい」


 さてさて、アイスを食べながら例の案件に取り組むとしようかな。

 俺はそう思い立ち、スマホとにらめっこを開始する。



 あかねちゃんに、なんて伝えようかな。

 ここは至ってシンプルに『今日、渡り廊下で会った、銀髪小学生は俺です。ふつ訊太郎じんたろうです』という文章を作ったけど、これはさすがにマズイか……。



 ウン白をされた相手から、いきなりこんな内容のメッセージが届いたら、正気を疑うだろう。


 性転換をどう伝えたら、そもそもなぜシスターなんだって疑問も次から次へと湧いてきちゃうだろうし。

 しかも、ウン白の件をどう感じているか追求した後で、実は仏訊太郎です、とか非常に言いづらい。


 女々しいやつだなんて思われたくない。

 いや、身体は女らしいけど……どう言えば、上手くいくのだろうか。


 あかねちゃんに関する全ては妥協なしに、どんなに小賢しくちんけな手段を取ろうとも、全力でいい方向に転がるように仕向けたい。


「うーん……」


 俺が茜ちゃんへと、どうラインを送ろうか迷っていると『ポーン』とラインの着信音が鳴った。


「ん?」


 見れば、夕輝ゆうき晃夜こうや、それにユウジと俺のグループラインの通知だった。



『やられた! ゆらちと『百鬼夜行』の奴らを叩きのめしてたら、神兵デウスにキルられた! デスぺナで10分間インできねぇ』


 どうやら、晃夜こうやが敵傭兵団クランと交戦中に、PvPを取り締まる憲兵的な役割を持つ神兵デウスにやられたらしい。街の中で戦っていたのだろうか?


『おつかれさま。それで晃夜こうや、『百鬼夜行』との戦闘結果は?』


 さすがは『百騎夜行』の団長、夕輝ゆうきさまだ。すぐさま戦況報告を聞いてくるとは。


『おいおい、俺が神兵デウスに押収された装備品に対する慰めはなしかよ』

『いや、晃夜こうやがキルできてなかったら、その『百鬼夜行』の人達に痛い目を見てもらおうかなーって』


『おおう、それは頼もしいぜ。でも、わるいな団長さんよ。もう、やる事は俺とゆらちが全部片づけちまったぜ』


 どうやら、PvPには勝利を収めたようだ。


『いいね。ところで、どこで戦闘を?』


『鉱山街グレルディだよ。あいつら、待ち伏せしてたぞ』

『へぇ……』


『しかも、教会前で襲ってきたからな。どこの街も教会は神兵デウスに守られているのに。あれは相討ち覚悟の戦法だ』


『なるほどね。たとえPvPに勝ったとしても、タイミング次第では勝者が神兵デウスにキルされる。そういう、いやらしい戦術もあるんだね』


『あぁ。今までは教会前は神兵デウスがいるから安全地帯だなんて認識だったが、今後はそこらへんを改めないと痛手を被ると思って報告しておいた。訊太郎じんたろうやユウジも気を付けろよ』



『うぃうぃー、ありがと晃夜こうや

『大佐殿! 貴重な情報、恐悦至極であります!』


 教会周辺は危険か。

 メモメモ。


 教会といえば、晃夜たちは俺達の学校に礼拝堂が建つ事を知っているのだろうか。


『教会といえばさ、ウチの高校に礼拝堂が建つらしいよ』


『は? なんで?』

『それは初耳だね。本当なの?』


 やはり、晃夜こうや夕輝ゆうきは知らなかったようだ。

 俺も今日知ったばかりだし、やっぱりビックリするよな。


『タロ閣下かっかの証言は事実であります。小官は建築途上の礼拝堂を視察しましたが、これがなかなか立派な外観をしておりました!』


『ほう……まぁ、ユウジも見たっていうなら、そうなんだろうが。ユウジは夏休み中でも、毎日水泳部の活動に顔出してるもんな』

『レギュラー入りを果たしましたので!』


『おめでとう、ユウジ。ところで、礼拝堂って宗教的なやつだよね? ウチって普通の進学高校なのに、急にどうしたんだろうね?』


『なんだか理事長と関係あるらしいよ』


 夕輝の疑問に、俺は知っている事を報告していく。


『なるほどな。で、やっぱりキリスト教なのか?』


 晃夜こうやの質問に俺は、どう答えたものか迷う。


虹色の女神アルコ・イリス〉教会なんてマイナーな宗教の名前を出しても、わからないかもしれない。


『なぁ、近所にさ教会があるだろ?』


 だから、義妹であるミシェルがよく通っていた、今では俺もたまに足を運ぶ近場にある教会の話題から出す事にした。



『おう? 俺は知らないな』

『あぁ、確かにあったね。それがどうしたの?』


『いや、そこがさ〈虹色の女神アルコ・イリス〉教会って宗教なのだけど、どうやらそこの宗派みたいだよ』



『タロ、お前はなにおもしろい事を言ってるんだ?』

『ん……それって確か、クラン・クランの中に出てくる宗教というか、教会だよね?』


『そうそう、それだよ』


 あれ。やっぱりみんな虹色の女神信仰については、知ってたのか。


『おい、訊太郎じんたろう。ゲームのしすぎだろ』

『あはは、訊太郎じんたろう。急にどしたの』


 ん? 

 なんだろ、二人の反応にかすかな違和感を覚えた。

 話が噛み合ってない?



訊太郎じんたろう、お前ゲームのしすぎで頭がおかしくなったのか?』


 幼女にはなってしまったけど……頭は正常に働いてるはずだ。ひどいぞ、晃夜。


『えと、大丈夫? 訊太郎じんたろうとは最近会ってないし、なんだか少し心配だよ』


『〈虹色の女神アルコ・イリス〉教会とか、ゲームの中の産物だろうが。そんなのが現実にあったら笑えるぞ』


 姉とそっくりな台詞を言う晃夜こうや


『そうだね。訊太郎じんたろう、面白い事を言いだすね』



 いや、でも、だって……シズクちゃんが、前から現実にあるって言ってたし。俺と同じで晃夜たちが、実際に存在してた宗派だって知らなかっただけじゃないのか?


『何なら、虹色信仰とやらの教会に一緒に行ってみるか?』


『いや、それは……』


『タロ閣下が言っている事に、何か異常事態が発生しておりますでしょうか?』


 そこでユウジが割って入ってくる。



『いや、ゲーム内の宗教団体が現実にあるって言いだす時点でやばいだろ』


『〈虹色の女神アルコ・イリス〉教会はれっきとした現存する宗教ではありませんか! 大佐たちは歴史の勉強不足ですな』


『は?』

『えっと、本当にそんな宗教あるの? そもそも歴史の勉強って……そんなに有名な宗派だったの……?』


『何を今更、小学生でも知ってる程の一般的な知識ではございませんか。閣下かっかの右腕ともあろうお二方が、何を仰っているのでありますか』


『俺はそんな宗教団体なんて知らなかったんだが』

『あー……もしかして、クラン・クランを開発する際にスポンサーになった宗教団体とかなのかな? でも信仰って非営利団体な訳だし、一般的にゲーム会社に資金を投資するなんてありえないよね。非公開の上で、宗派の宣伝も兼ねてクラン・クランの世界に入れてもらったとか?』


『オンラインゲームと企業のタイアップやコラボは多々あると思うが……一定の宗教団体との提携は、思想の自由といった意味合いで、印象操作もしやすくなるしマズイんじゃないのか?』


『そこらへんは詳しくわからないけど……クラン・クランを通じて信徒を増やしたいのかも?』


『ゲームに宗教が絡んでくる時代になったってことか』



『んー……でも、何かひっかかるからボクの方でも少し調べておこうかな』

『正直、俺もだ。そんな宗派の教会が突然うちの高校におっ建つなんてのも、寝耳に水だしな』


 どういうことだろう。夕輝と晃夜、ユウジのやり取りを無言で見つめ、アイスを食べ終えた俺は、静かにカップとスプーンをテーブルへと置く。


「太郎、これを見て」


 みんなの発言についてじっくりと考えていると、不意に姉が隣に座り、持っていたノートパソコンの画面を見せてきた。


「今、ネットで調べたのだけど、日本各所に『虹色の女神アルコ・イリス』教会が存在するの。まるでキリスト教並みの布教率よ」


「え……マイナー宗教じゃなかったの?」



「しかもね、太郎は知ってると思うけど、トムとジェリーの様子がおかしいから、事前にキリスト教や他の宗派について前々から調べていたのだけど……キリスト教のプロテスタントやカトリックの教会が建っていた場所が、根こそぎなくなっているわ。その代わりとでも言うかのように……今は『虹色の女神アルコ・イリス』教会が建っている」



 言いたい事、わかるわよね? と姉の眼が俺にそう語りかけてくる。


「気になって、太郎の歴史の教科書を見たの」

 

 いつの間にか姉は俺の歴史の教科書を片手に持っていて、ページをどんどんめくっていく。その一枚一枚を凝視する俺は、あることに気付いた。


 キリスト教のキの字もない。

 十字軍とか教皇とかもなくなっていた……『神の軍兵デウス・レギオン』ってなんだ。というか、主だった宗教戦争などは全て『虹色の女神アルコ・イリス』信仰関連にすり替わっていた。



「こんなのは……ありえない。何かの間違い、ではないか……今まで学校で習ってきた世界史は何だったの?」


 思わず、疑問を口に出してしまう。


「おかしいわ」


 神妙に頷く姉に、俺は激しく同意した。


「これは……うん、おかしい。でも、こんなのすぐに誰かが気付くでしょ。どうして、誰も何も言わないの。騒ぎにならない?」


「これが普通だって、虹色の女神信仰は前からあるってトムもジェリーも言ってるの」


 それは……周りの人々はこの件に疑問を抱いていない? お洋服を買った時のシズクちゃんもそうだし、ユウジもそうだ。


 俺の虹色の女神信仰に対する認識は、新興宗教か知名度の低い宗教なんだろうというものだった。しかし、こうも決定的な変化と証拠を見せつけられたら、以前に姉が心配していたように、俺と姉の記憶がおかしくなってしまったのか? と、思わざるをえない。


 なぜ、誰一人この異変に気付けないんだ?


 待てよ。夕輝ゆうき晃夜こうやも、『虹色の女神アルコ・イリス』教会の礼拝堂がウチの学校に建つなんてバカバカしいと言ってたじゃないか。となると、二人もおかしいと感じているはず。



 これまでの事をまとめると、トムとジェリーさん、ユウジとシズクちゃんは『虹色の女神』信仰を知っていたし、不自然がっていない。


 でも、ゆらちーや姉、俺や晃夜と夕輝は現実でも存在していた事を知らなかった。



「誰かが、私達の……いえ、人類にまつわる信仰を……神々を奪っていってる?」


 そんなバカな……。

 姉が硬い表情で考え込むのを見て、俺は頭をひねる。


「いや、造り変えてしまったの?」


 姉の呟きを聞きながら、思う。

 俺は一体、なんの宗教のシスターになってしまうんだ?




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