ノーランド王国領編
ベンブルク村と豊穣の儀式
第1話 はじめての牢屋
「そこで暫く大人しくしていろ!」
僕らを捕らえた男が、そう乱暴に言い残して牢に鍵をかけて去っていった。ガチャン、と鉄格子のぶつかる音が空虚にも牢屋に響きわたる。
山の麓で捕らえられてから混乱していたこともあって、大した抵抗することもできずにこのベンブルク村の牢のある建物まで連れてこられてしまった。
今思えば、全速力で走れば逃げ切れたんじゃないかとも思うけど後の祭りだ。それに、余計に事態を悪化させてしまったかもしれないし。
こんな牢屋の中でこれからどうしようかかと、一緒に捕まってしまったイスカルの方を向く。彼女は未だに頭が混乱しているみたいで、どこか虚ろな表情だ。彼女も僕と同じく山の外の世界は初めての筈だから当然だろうけど。
「イスカル…?大丈夫?」
「ううん…何が何だか全然分からないんだ…」
「そりゃそうだよね…」
彼女にとっては僕が久しぶりに出会った人間だったのに、あんなに一気に沢山の人に囲まれたら困惑もするだろう。しかも捕まえられているし。僕よりも驚いて当然だ。
「そもそも何で私たち捕まっちゃったんだろ…?何も悪いことしてないよね?」
「分からない、もしかしたらこの村のルールを犯すようなことをしてたのかもしれない」
「そんなの分かるわけないよ…!」
イスカルは頭を抱え込んでしまう。声色が切羽詰まっているように聞こえて、僕も胸が痛くなる。自分も絶体絶命の状況に置かれているにも関わらず、恩人である彼女の心配ばかりしてしまう。そもそも僕が山を下りるなんて決断をしていなければ、彼女もこんな所にとらわれることはなかったのだから。
「こうやって捕まった人って何か罰があるんでしょ?私たちどうなっちゃうのかな…?」
「それは…多分この村の掟に従ってだと思うけど…」
一体全体何の罪を犯してここに入れられているのかが皆目見当もつかないので、勿論分からない。このまま暫く牢屋に入れられるだけなのか、罰金なのか……はたまた鞭打ちなのか…
それとも………死刑だろうか?
自分のことを思い出そうと旅に出た矢先で死ぬなんて御免だ。それならあのまま山に籠っていた方が断然よかった。僕の大切なモノを思い出せるまでは、生き延びなければ。
「…どちらにしろこんな所で死ぬわけにはいかないよな」
「…トレイド?」
「いや、どうにかして牢屋から出ないとなと思ってさ」
「でもどうしよう? 持ってた荷物は全部取られちゃったし…」
僕が腰に掛けていた鞄も、あの古びた剣も全て回収されてしまったのだ。まあ、あの荷物があったところでここから出る方法が見つかるとも思えないけど。せいぜい剣でこの牢を叩き壊すぐらいかな?流石に無理かな…
そうしてどうしようかを思案しているうちに、この牢の廊下の奥の方からコツコツと足音が聞こえてきた。思わずその方角へと振り向く。そういえば「暫く大人しくしていろ」と言われてたんだっけ。その『暫く』の時間が経ったのだろうか。これから何が始まるんだろう、そんな思いで足音がここまでたどり着くのをじっと待つ。
「貴方達ですか、禁足域に立ち入ったというのは…」
そう言って牢屋の目の前に立ち留まったのは、僕らとそう変わらないであろう年齢の黒髪短髪の少年だった。余り見慣れない薄手の麻の服を着ており、腰には帯がしっかりと締められていた。さっき僕たちを囲んでいた人たちの中にはこんな格好の人は居なかった気がする。
しかし、それよりも僕が気になったのは『禁足域』という聞き慣れない言葉だった。
「禁足域って…僕たちが居たあの山がってことですか?」
「まさか、知らないで入ったとでも言いたいんですか?この村の常識ですよ、そんな言い訳が通用するとでもお思いで?」
半ば呆れたような顔で少年はでこちらを見てくる。さも当然のように言ってくるが、僕たちからしたら全く聞き覚えのない常識だ。そもそもこの村の住民でもないし。
流石に理不尽だと思い、反論しようと手を付き立ち上がる。
「知るも何も、あのベンブルク山は元々彼女が…イスカルが住んでた場所ですし」
「元々住んでいただって…?何を言ってるんですか、あそこは少なくとも50年は人が立ち入っていないんですよ?」
「50年!?」
「ええっ!嘘でしょ!?」
ずっとベンブルク山で住んでいる筈なのに50年も前から誰も立ち入ってないとなると、イスカルは一体どのタイミングで入り込んだのかという話になってくる。彼女自身もそのことに驚きを隠せていないようで、目をパチクリさせていた。
何をどう見てもイスカルは50歳よりも下に見える。というか、逆にどうやっても50歳に見えることは無い。せいぜい年を高く見積もっても18歳ぐらいだ。それでも違和感があるぐらいには彼女は幼げな顔をしていた。
そんな僕らの様子を見て何か思うところがあったのか、黒髪の少年は考える風な仕草をしながら訪ねてくる。
「…本当に貴方は今まであの山で暮らしていたんですか?」
「え、うん。山を下りたのはこれが初めてだったよ?」
そうはっきり言いのけるイスカルに若干の戸惑いを見せる少年。彼女の顔はどう見ても嘘をついているようにはおもえない純粋さがあった。
少年は今度はこちらの方を向いた。
「そっちの貴方もですか?」
「いや…僕はよく分からないです」
「分からない…?」
「あの山に来るまでのことを何にも覚えてないので…」
そう正直に答える。そもそも自分の名前も定かではない僕に、掟がなんだとか分かっているわけが無い。とは言っても、そんなありえないことを二つ返事で信じるような人間もそうそういないと思うけど…。
「…記憶喪失ってことですか」
「はい…、気づいたときにはあの山に居ましたから」
「そうそう!トレイドが森で倒れているのを見つけたんだよ!」
イスカルも妙に元気強く僕に同調するが、それよりさっきから彼女が敬語を一切使っていないことが気になる。別にこの人と友達とかじゃないよね?
そんな違和感を覚えていると、少年が改まった様子で僕らと同じ目線に屈んでからこう尋ねてきたのだった。
「…すいません、よかったら詳しく話を聞かせてもらっても?」
◇ ◇
「なるほど…、それでトレイドさん達は山から下りて来たんですか」
僕らが自己紹介を交えつつ、今までのの経緯を話すと、少年は納得したかのようにそう言った。
「こんなの信じられませんよね? 記憶喪失だとか、山から出たことが無いとか…」
「まあ、そうですね…流石に話が話ですから…」
少年は頭を痛めたかのように、こめかみの辺りを押さえる。まあ、僕もハナから信じてもらえるとは思っていなかったからしょうがない。
どうしたものかと思案していると、隣のイスカルは何かを思いついたように少年に向かって言った。
「そういえば、アナタって何者なの?」
「ああ…申し遅れましたね、僕の名前はベンブルク・ダン。この村の長、ベンブルク・ベルンの息子です」
「村長の息子ってことですか…なんでそんな人がここに?」
「一応僕も村長であるベルンの息子として、この村の治安を部分的に受け持っているんですよ。今は父は三日後の儀式の準備で忙しいので、トレイドさん達のことを任されたんです」
「儀式って?」
イスカルが首を傾げながらダンに尋ねた。儀式の準備、ということはもうすぐこの村で何か催しがあるということだろうか、それならとんでもない時に僕たちは捕まっちゃったんじゃないか?
「ベンブルク山の神様に五穀豊穣の感謝をするためのもので、山の祭壇に農作物を収めるんです。先程、あの山に人が立ち入ったのは50年前だと言いましたが、その時が丁度儀式の日だったんですよ。その日は村中でお祭り騒ぎするそうです」
「50年に一度の催しってことですか」
「へぇ~なんか楽しそうだね!」
「僕も今回が初めてなので楽しみですよ……おっと、なんだか話がそれてしまいましたね」
途中から儀式の話に持っていかれてしまったが、話の途中だったんだった。
改めてダンと向き合って話を続ける。
「…それで、僕たちはこれからどうなるんですか」
「分からない、としか。最終的に決定権を持っているのは父ですから…僕はあくまで聞き取りに来ただけですし」
「そ、そうですか」
ダンはそう申し訳なさそうに言ってくる。彼としても、年が同じぐらいの僕らに対しては何か思うところがあるのだろうか。これからの僕らの行く先への同情か、それとも悲嘆か。
彼は徐に立ち上がりながら、こう言った。
「それではまた、明日にはここへやって来ますから。」
「明日には答えが出るんですか?」
「…それは僕にも分かりません。父次第、としか」
「…分かりました」
それでは、と言い残してダンは牢を後にしていった。
自分と同じぐらいの年齢だというのに、所作良く仕事をこなして行った彼に少し感銘を受けた。記憶をなくす前の僕は、一体何をしていたんだろうか。家族の仕事の手伝いとかやってたかな…。
そんな風に思いを馳せていると、イスカルが控えめに話しかけてきた。
「ねえねえトレイド」
「どうしたの?」
「さっきはなんであんな変な喋り方してたの?」
「変な喋り方…?」
彼女が一体どの辺りに違和感を覚えているのかが分からず困惑してしまう。
しかし、よく考えてみると一つだけ手掛かりがあった。
「…もしかして語尾に『です』ってつけてたことを言ってる?」
「うん、なんか気持ち悪い話し方だなぁって思って」
「…イスカルにはここから出るまでに敬語について教えるよ」
「ケイゴ?何それ!初めて聞いた!」
そうはしゃぐイスカルを見ていると、何だか牢に入れられているとは思えなくなった。
明日になれば明日の風が吹く、その言葉を信じて嫌なことは一旦忘れてしまおう。
◇ ◇
「父上、罪人の件についてですが…」
ベンブルク村のとある一室…村長ベルンの部屋で、ある会話が為されていた。
「罪人…?禁足地の侵入者のことか」
「はい、聞き取ってまいりましたことをお伝えしようかと…」
「あれならもういい、儀式が終わったら解放しておけばいい」
「…はい?」
父の妙に無関心な態度にダンは違和感を覚えた。
つい最近、山に飛来物が衝突したかもしれない時でも儀式までは立ち入りを固く禁じる程に、決まり事には厳格であったというのに。一介の旅人らの侵入にどうもこうして甘いのだろうか。彼自身、彼らに同情している部分もありそこまでの厳罰は望んでいなかったとは言え、あまりにも拍子抜けだ。
「話はそれだけか、なら下がれ」
「は、はい…」
そうしてベルンはまるでダンをその場から追い出すかのように、話を切り上げてしまった。
部屋から出て、閉じた扉を背にして彼はため息を吐く。
父親が何かに急いでいるようで余裕がないように見えた。何故あそこまでして自分を追い出そうとしたのかが、彼には分からなかった。儀式の準備は、別に彼一人で行っているわけでもない。それに既にほとんどの用意は終わっていたのだ。
そして、彼にはもう一つ気がかりがあった。
「なんだったんだろう、あの石…」
ベルンの書斎の机に隠すように置かれていた坪菫色の石____妙に禍々しく見えたあれは何だったんだろうか…と。
「…何か嫌な予感がする」
そう独り言ちて、彼は自分の部屋へと戻っていったのだった。
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