情動

腕(kai_な)

 

私がものごころ付いたときから、料理人は分厚い鉄を薄く伸ばした鍋をかき混ぜていた。

鍋の中には枯れ尽くした花束と薄く光るレジンがともども煮立っていた。

そこからは密林みたいな湯気がふき出していて、料理人の顔は湯気に隠れて、その湯気の向こうにはっきり浮かぶ私の顔があった。

私は言う、「決して焦ることのないように」と。そこで私はキッチンの暖色を巻き込む転倒をしてみせる。

終末のような転倒とともに暖色は鍋のようにどこまでも薄く引き伸ばされて徐々に寒色の気色を帯び始めた。

そこで湯気の向こうの私は消えた。しかし料理人の顔は依然として見えない。

もやのかかったような料理人の注目は鍋の中に注がれているようだった。

その中ではレジンが慎重に固まっていて、更にその中ではラナンキュラスと芍薬がいきいきとして花開いていた。




アスファルトを流して固めただけの簡素な道路を小さな軽トラックが走っている。道路のそばには菜の花がただ広く群れて、黄色い花を風に振っていて、私はといえばその光景を道の横に外れて建っている赤い屋根の家の屋根上に立って眺めている。

軽トラックは桃色の大きな荷物を乗せて走っている。

桃色の大きな荷物はあまりに大きくて、トラックは眼の前の道路が大きな影になって、視界が限られているようだった。

トラックのタイヤは小刻みに触れて軽い蛇足走行を始めた。

桃色の大きな荷物は落ちる気配を微塵も見せない。蛇足のたびにぶよぶよとしたが、それも不安定ではなかった。

軽トラックの窓ガラスが一瞬閃いて私に運転手の顔が見えた。

長い髪を後ろにまとめて無精髭を生やしたその人物は前方をじっと睨んでいる。

途端に、軽トラックのマフラーが吐き出す真っ黒い煙が反転し、白煙となった。そこに密林が浮かんだ。

私は気づけば屋根から飛び降り軽トラックの蛇行運転を走り追いかけていた。

軽トラックの揺れる後ろ姿の残像が増えてトラックはいかにも膨張していた。

その時、軽トラックが道路の段差に跳ねた。

臓物じみた桃色の大きな荷物が大きく上に伸び上がり、私に覆いかぶさる。

桃色の柔らかなる皮膚はぷつりと避けてそこから透明のレジンが祝福のように溢れきった。

レジンの凝固を感じながら私は走る、腕を振って運動する、腕の残像が増えて腕はいかにも膨張していた。カビのような祝福を帯びながら。

私の速度は軽トラックと並んだ。

排気ガスが満ちて、私に近づいた。私が近づいた。

そこに密林が花開いた。その上私を飲み込んだ。いきいきとして、精力のたぎりほとばしるような密林は木と土の匂いがむんむんとしていた。


そして私は転倒した。木の根に躓くでもなく私の足は地を離れていた。

引き伸ばされる大木、ツタ、土、葉、生き物、自然、土台、律、それらすべてがまるごと引き伸ばされて、破壊の曼荼羅の様相を帯び始め、テレビの中の砂嵐に変容を始め、それでもなお引き伸ばしは中断の意を示さずにやがて引き伸ばしまでもが引き伸ばされた。


私は言う、「決して焦ることのないように」と。

引き伸ばしは軽トラックに轢かれた。ポニーテールの男は無表情に前方だけを睨みつけている。引き伸ばしはタイヤ痕のスティグマを押された。

軽トラックの助手席側には料理人がいて、鍋の中身をかき混ぜていた。

料理人にとっては幕引きさえも料理である。

料理人の顔は依然として見えない。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

情動 腕(kai_な) @kimenjou0420

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ

参加中のコンテスト・自主企画