第118話 グラーフの混乱

  ◇◇◇◇


 ルリアと別れたグラーフとアマーリアは宰相の元へと移動した。

 宰相は非常に低姿勢だった。まず丁寧に謁見のが早まったことなどを詫びたのだ。


 それから、極秘の書類をとってくるといい部屋を出て行った。

 そして、宰相は戻ってこなかった。


 三十分ほど待たされて、グラーフは呟いた。


「……宰相はルリアと私達を離したかったのか?」

「……ルリアに恥をかかせる為に?」


 アマーリアの目に怒りが浮かんでいた。

 並みいる重臣達の前で、五歳児を一人で王に謁見させるなど、ありえないことだ。


「……もしそうならば、ただでは済まさぬ」


 グラーフがそう呟いた直後、侍従の一人が謁見の時間だと呼びに来た。


「ルリアは?」

「既に謁見の間におられます」


 その答えでグラーフは宰相の悪巧みを確信した。

 ヴァロア大公を舐めたことを後悔させてやる。そう心に決めて謁見の間に向かった。


 謁見の間の前には既にサラとマリオンがいた。


「……殿下」

「なにやらよくないことが起こっていそうだ」


 心配そうにしているマリオンにそう返すと、グラーフはサラの頭を撫でる。

「だが、大丈夫だ。練習通りにすればいいからね」

「はい」


 サラの緊張をとるために、グラーフは微笑んで優しくそう言った。

 すぐに中から呼ばれ、扉が開かれる。

 中に入って、グラーフは一瞬固まった。

 ルリアが王の膝の上に座っていたからだ。


「グラーフ。少し立て込んでいてな、通常の謁見では無くなってしまった」


 王は機嫌良さそうに笑顔で言う。


「そなたら、グラーフが来たゆえ、道を空けよ」


 王の言葉で、重臣達が左右に別れて、いつもの位置に戻っていった。


「グラーフ、それにアマーリア、ディディエ男爵夫人とサラ。こちらに来なさい」

「はい」


 グラーフが考えたことは、ルリアを人質に取られたということだ。

 最悪の場合、ルリアだけでも取り返さなければなるまい。


 その場合、敵は二十人の近衛騎士。

 普通に戦えば後れを取るつもりはないが、ルリアを守りながらとなると難しくなる。


 頭の中で戦いを組み立てながら、グラーフはゆっくりと歩みを進めた。


 左右に近衛騎士が立っている位置まで来て、グラーフは跪く。

 その少し後ろで、アマーリアとサラ、マリオンがカーテシーをする。


「グラーフ。そなたは相変わらず油断せぬのう? 皆もっと前に来い」


 王はやはり自分が警戒していることに気づいている。


「いえ、そのようなことは」


 そういいながら、グラーフは一歩前に出る。


「ルリアを人質に取られたとでも思ったか?」


 王がそう笑いながら言ったとき、グラーフは死を覚悟した。

 今朝、急に呼び出されたが、それは粛正時に兵を整える準備時間を与えない為の常套手段だ。


 さらに戦闘能力が高いグラーフを確実に仕留める為に、ルリアを人質に取ったのだろう。

 ルリアだけでは不十分だと考えたのか、アマーリアたちも同時に呼んで枷にしている。


(我が父ながら、なんという周到さだ)


 グラーフは呆れると同時に、感心していた。

 猜疑心の塊のような王がここまで準備したのだ。抵抗も無意味だろう。


「陛下。お戯れを」


 あと一歩近づいたあと、近衛騎士に一斉に襲われれば逃げることはできない。

 確実に自分を暗殺できる布陣だ。


 自分の命と引き換えにルリアやアマーリア、サラたちの助命を願うしかない。

 だが、王がそれを受け入れてくれるか。


 屋敷にいるギルベルトやリディアも無事逃げてくれるだろうか。


「グラーフ。よいぞ。そのぐらい警戒しておかねばなるまいよ」


 だが、王からは全く殺気を感じなかった。あくまでも笑顔で機嫌が良い。


「はい。大切な娘ですから」

 王の真意がわからない。


「グラーフが警戒するからな。ルリア。グラーフのところに戻るがよい」

「わかった」


 王は驚いたことに、人質であるはずのルリアを放した。

 ルリアは元気にぴょんと王の膝のうえから飛び降りると、こちらに走ってくる。


「……ルリア」


 グラーフは跪き、視線をルリアににあわせて、抱きしめた。


「陛下になにもされなかったかい?」


 隣に立つアマーリアにも聞こえないぐらい小さな声で囁いた。


「だいじょうぶ。優しかったよ」


 会話の内容よりルリアの声音の明るさで、グラーフは安堵した。

 緊張が解けたグラーフに、王は笑顔で言う。


「さて、とっとと面倒な手続きから、済ませておこうか。侍従長」

「はい。ヴァロア大公の猶子にして、ディディエ男爵が嫡子、サラ・ディディエ。前へ」


 侍従長にそう言われて、サラは一歩前に出る。


「もっと近くへ」

「はい」


 サラはさらに一歩前に出る。

 緊張のあまり右手と右足が同時に出ている。だが、笑う者は誰もいない。


「なるほど? さっきあたしを馬鹿にして、めちゃくちゃおこられたからな?」


 ルリアがぼそっと呟いた。


「きっと、サラのために怒ったのだなぁ」


 ルリアはサラを馬鹿にさせない為に、王が怒ったと考えているらしい。

 だが、そんなことを王がするわけがないとグラーフは考えていた。


「侍従長」

「はい」


 侍従長は王に紙を手渡す。


「これよりサラ・ディディエをディディエ男爵に叙そうと思う。異議のある者はいるか?」


 通常このような問いかけはない。叙爵は王の専権事項だからだ。

 つまり、王が問いかけるということは、反対しろというのと同義。


 そのうえ、サラは獣人だ。

 獣人を叙爵することに反対する貴族は少なくない。


 グラーフはそいつらが反対意見を述べたときに、反論する準備をする。

 だが、異議はあがらない。重臣達も少し困惑しているようだった。


「陛下、畏れながら……」


 そうおずおずと言ったの獣人の叙爵に反対派の急先鋒でもある内務卿だ。

 内務卿は王が反対しろと言っていると理解したに違いない。


「おお、内務卿。意見を聞こう」

「はい、まず獣――」

「ちなみにだが、サラはルリアの乳母子めのとごで友達だ。そうだね? ルリア」

「そう! めのとご! なかがいいんだよ! ね!」


 ルリアが元気に返事をする。

 王に対してふさわしい口調ではないが、咎める者は誰もいなかった。


「ルリアはどう思う? サラが男爵になった方が嬉しいかい?」

「うれしいというか、サラはだんしゃくになるんじゃないの?」


 ルリアは首をかしげながら、そう言った。

 サラが男爵になるのは当然で、聞かれるまでもないと思っているようだ。


「そうだね。……で、内務卿、なんだったかな?」

 王はにこやかに内務卿を見た。


「サラ・ディディエ卿は幼いながらも聡明であり、まさに男爵位にふさわしいかと!」


 内務卿が賛成して、グラーフは驚いた。

 獣人に爵位を与えることは伝統に反する等と、文句をつけると予想していたからだ。

 グラーフは反論のために爵位を与えられた獣人の過去の記録を調べて用意していた。


「ほう? 他の者は?」

「賛成です!」「まさに男爵位にふさわしい!」


 重臣達からは賛成の声しかあがらなかった。


「うむ。そなたらの中には、獣人だからと反対する者がいると思っていたが?」

「滅相もない!」


 重臣達は全力で否定する。


「うむ。全員が賛成のようだな。サラ・ディディエ。そなたをディディエ男爵に叙する」


 王の言葉を受けて、ガチガチに緊張したサラは、ぎこちなく跪いた。


「ありがとうございます」

「マリオン・ディディエ。男爵は幼い。成年まで代理として男爵領を治めよ」

「御意」

「グラーフ。アマーリア。猶父猶母として、ディディエ男爵の後見人となるがよい」

「畏まりました」「仰せにままに」


 こうして、王はディディエ男爵領について決めていく。


「ディディエ男爵。面倒が起きれば遠慮無く余に申すがよい」


 王がそういうと、重臣達はざわめいた。

 実質的に王自ら後見人となると宣言したようなものだからだ。


 そして、王自らが後見人になるなど、王族以外にはあり得ないことだ。

 つまりサラを王族に準ずる扱いをすると宣言したようなものだ。


「ありがとうございます」


 王の真意に気づかずに、サラはお礼を言った。

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