第91話 湖に潜んでいた者
朝、あたしが目を覚ますと、まだ雨が振っていた。雲が分厚く薄暗い。
夜明けすぐの、みんながまだ寝ている早朝になぜか目が覚めてしまった。
そんな早朝だというのに、コルコは部屋の中を巡回し、キャロはヘッドボートに直立している。
そして、ダーウはお腹を見せて寝ているし、サラとロアはすやすやと眠っていた。
あたしは、サラの頭を撫でる。
昨夜、サラが怖がっていた雷は、今は止んでいる。
「キャロもねたほうがいい」
これも、いつものようにキャロを掴んで布団の中に入れる。
「きゅ?」
「ルリアもまだねむい。キャロもねたらいい。コルコもこっちおいで」
コルコは無言で、サラの枕元にやってきて座った。
あたしとサラの間に眠るロアと一緒にキャロも抱っこして、二度寝するために目を瞑った。
――ドゴゴゴォォォ
「ぉぉっ びっくりしたぁ」「わゎぅ!」
寝ていたあたしは大きな音で飛び起きた。流石のダーウも飛び起きた。
「…………」
起きてそのまま固まったサラを抱きしめる。
「だいじょうぶだよ。かみなりじゃないよ」
優しくサラの頭を撫でながら、窓の外を見る。
空は相変わらず分厚い雲に覆われており、雨は激しく降っている。
――ドォォォン! ドォォォァン! ドァァァン! ドォォォン!
何度も何度も、轟音が響く。これは魔法による炸裂音。
何かが起こったのは間違いない。
「キャロ、コルコ、サラをたのむ」
「きゅ」「こっこぅ」
キャロとコルコにサラを託すと、あたしは寝台を出て窓に駆け寄った。
ロアはあたしにぎゅっと抱きついているし、ダーウもあたしと一緒に窓に駆け寄った、
「なにが、おこった?」
窓を開けて外を見ると、従者達がヘドロの塊のような生き物に魔法をぶつけている。
「ぶぼべめげげめめけげねねねぇ」
その生き物が大きな声で鳴いた。いやそれは泣き声だ。
幼い子供が、どうしていいかわからなくて泣き声をあげていた。
「りゃあぁぁぁぁ……」
謎の生き物の泣き声を聞いてロアも悲しそうに鳴く。
「なんと、おぞましい声だ!」「命にかけて奥方様たちのいる屋敷に近づけるな!」
「希う! 精霊よ、我に力を貸したまえ! 我が名は――」
従者達は交互に呪文を詠唱し、その生き物を攻撃している。
「ぶええぇぇぇべえええ!」
その生き物をみて、あたしはダーウに似ていると思った。
幼くて、素直で、遊ぶのが大好きな可愛い子だ。
「ダーウ! はしって!」
あたしがロアと一緒に背に飛び乗ると、ダーウは「ばう!」っと吠えて、窓から飛び出した。
二階の窓から地面まで、ふわりとした浮遊感に包まれる、着地の衝撃はほとんどなかった。
そのまま、ダーウは巨大なその生き物に向かって駆けていく。
「命を懸けてでも、止めろ!」
従者長の指揮の元、苛烈な魔法攻撃がその生き物にぶつけられる。
「ずもぼぼぼぼお!」
その子は「どうして虐めるの?」と泣いていた。
全身が傷だらけだ。痛みのあまり、我をうしない、助けを求めて泣いている。
「ダーウ、急いで! こうげきやめてーー」
従者達に向かって叫ぶが、攻撃は止まらない。
「お嬢様! 危険です!」
従者の声は無視し、ダーウに乗ってあたしは一気に近づいていく。
「とまれええええぇぇぇ!」
あたしは、大声を出しながら、クロの言うところの「癒しの風」をその子にぶつけた。
「むぶぼおぉぉぉぉぉ…………」
体表のヘドロのようなものが吹き飛んでいき、中から青い生き物が現れる。
その生き物は、四つの羽をと四肢をもつ竜だった。
体長二十メトルぐらいある巨大な竜だ。
「みんな、こうげきはしなくていい!」
「ですが、お嬢様!」
「ひつようない!」
あたしは従者に攻撃を止めるように指示をして、青い竜の前へと移動する。
「そなた、だいじょうぶ?」
「…………」
青い竜は返事をしない。
「けがは……なおったな? あ、あたまか? あたまだいじょうぶか?」
怪我がないように見えても、頭はデリケートなのだ。念入りに調べなければならない。
あたしが、ダーウの背に立ち上がり、青い竜に手を伸ばして、診察しようとすると、
「……だいじょうぶ」
心外だと言いたげな口調で、その青い竜は返事をしてくれた。
大人しい犬や猫であっても大けがをしたら、怯えて混乱し、パニックになり暴れることがある。
この青い竜も全身が傷だらけで、苦しくて痛くて、我を失っていた。
だから、冷静になれるよう、その傷を癒したのだ。
「だいじょうぶか。ならよかった」
あたしはダーウの背から降りて、竜の大きな頭をぎゅっと抱きしめた。
「つらかったな? がんばったなぁ。いいこいいこ」
「ふ、ふぇぇぇぇぇ」
あたしが頭を撫でると、青い竜は声をあげて泣いた。
◇◇◇◇
青い竜がまだ幼い竜だったはるか昔のこと。凶悪な呪者が暴れ回った。
その呪者は聖女と力を合わせた青い竜の父が命を懸けて討伐したが呪いは残った。
その呪いは、徐々に周囲を侵食していく。
呪者が死して更に強まったその呪いは、当代の聖女の力をもってしても浄化は難しかった。
人族をはじめととした生物、そして大陸を救うため、幼い青い竜は自らを犠牲にすることにした。
「われは立派な竜ゆえ大丈夫なのである!」
張り切ってそう言った幼い竜を当時の聖女は抱きしめた。
聖女はその幼い竜の父の仲間だった。
そして、父が呪者と相打ちになった後は、まるで母のように慈しんでいた。
「ごめんなさい。あなたにこんな役目を押しつけてしまって」
「謝らないでほしいのである。我は立派な竜ゆえ、へっちゃらなのであるからして!」
聖女が何度も何度も繰り返し教えてくれたから、苦しくて辛い目にあうことは知っている。
でも、そうしないと人間達が大変な目に遭うのだから仕方が無い。
尊敬する大好きな父は、命を懸けて人類を救ったのだ。
その後継者たる自分も、父に恥じない立派な竜として振る舞わなければならないのだ。
それに、聖女のことも、人間達のことも大好きだ。
自分が犠牲になることでみんなを救えるなら、これほど幸せなことはない。
「みんな、元気でな? あとは我に任せるのである!」
「きっと、きっといつか…………」
あなたを救う人が現われるから。あなたを抱きしめて慰めてくれる人が現われるから。
聖女はそう言おうとして、あまりにも無責任だと思い直し言えなかった。
そんな未来が訪れるか、聖女には断言することができなかったのだ。
聖女は涙をこらえ、必死に笑顔を作り、最後に幼い竜を抱きしめた。
「えへへ」
幼い竜は尻尾を揺らし、聖女の頬にキスをした。
◇
幼い竜が笑顔のまま呪いを抱えて自分ごと封じられた後、聖女はひざから崩れ落ち号泣した。
「ごめんなさい。ごめんなさい。幼いあなたに……全てを」
何度も口で説明した。包み隠さずにどれだけ辛い目にあうのか何度も語った。
だが、まだ幼い竜が、数百年、数千年の苦しみを、真の意味で理解できたはずがない。
それは聖女も理解していた。だが、人を救うためにはそれしかなかった。
人族のために、自分を母と慕う幼い竜を利用したのだ。聖女自身はそう考えて自分を責めた。
「赦されないことをしました。でも……いつか」
未来の誰か。どうか水竜公を救ってあげて。
自分には出来なかったけど、どうか誇り高き竜を幸せにしてくれる誰かが現われますように。
頑張ったねといって、抱きしめてあげる存在が現われますように。
聖女は精霊と神に祈りを捧げた。
◇◇◇◇
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