第59話 やってきてしまった守護獣と男爵邸

  ◇◇◇◇

 ルリアとサラが自室で眠りについた頃。

 別邸の近くの森には、精霊王のクロがいた。


『そなたたち。どうしてきちゃったのだ?』

「めえ?」「ぶぼ?」「もぉ?」

 そしてクロの前には、本邸近くの森からやってきたヤギと猪、牛がいた。


 三頭の中でもっとも小さい牛でさえ馬の二倍は大きく、猪は小山のようだ。

 そして、リーダーである黄金色のヤギは、牛や猪よりさらに大きい。


『それにしても、よく……ばれなかったのだな?』

「めめえ~(姿を隠す魔法があるゆえ……造作もなきこと)」


 どや顔で自慢しているヤギたちは、極めて優れた魔法の使い手だった。


 普段から姿隠しの魔法を使い、気配を隠して暮らしているほどだ。

 だからこそ、巨大なのにこれまで誰にも見つかることはなかった。


 そんなヤギたちにとって、別邸までこっそり移動することは難しくなかった。


『ルリア様に会いたいのはわかるのだけど……』

「ぶぼぼ(嫌な予感がするから来て正解であった)」


『猪よ。嫌な予感ってなんなのだ?』

「もぉ~(この森からは呪いに近い、不穏な気配がする)」

『全然しないのだ。牛は適当言っているのだ?』

「めめえぇ?(適当なんてとんでもない)」


 ヤギは可愛く首をかしげて誤魔化している。


『ルリア様の側にいたくて、我慢できなくなる気持ちはわかるのだけど……』

「めえ~」「ぶぼぼ」「ももぅ」

『まあ、本邸近くの森より広いし、見つかりにくいかな?』

「めめえ」

 ヤギの「任せろ」という言葉を聞いて、クロはなんとなく不安になったのだった。


  ◇◇◇◇


 クロがヤギたちと出会う数時間前。

 太陽が西の空を真っ赤に染めながら沈みつつあった頃。

 サラの父である男爵は二階にある自室で一人苦しんでいた。


 呪いではあるが、症状は赤痘のそれだ。

 高熱が出て、全身に腫れ物ができるのだ。

 喉や口内にも腫れ物ができるので、息が苦しくなり、何か口にする度強烈な痛みに襲われる。


 使用人がランプの燃料を入れに来ないせいで、日没に従い部屋の中がどんどん暗くなっていく。


「だ、だれか……、だれかおらぬか」


 暗い部屋の中、男爵は使用人を呼ぶ。

 だが、誰も来なかった。

 来るわけがない。感染力の高い赤痘だと思われているのだから。


 マリオンがそうだったように、使用人は部屋の前にご飯を置くだけ。

 扉を開けることもしない。

 それが、男爵には許せなかった。


 発症したばかりで、まだ体力のある男爵は喉の痛みを無視して大声で叫ぶ。


「誰か来ぬか! 儂が呼んだらすぐに来い」


 男爵の声は使用人室にも届く。だが、使用人は全員無視をした。

 だれも、赤痘になど罹りたくないからだ。


 男爵家の使用人は、マリオンが乳母となり屋敷を離れがちになった五年前以降に雇われた者だ。

 昔からマリオンに仕えていた者たちを排除するために男爵が入れ替えたのだ。


 おかげで、男爵が浮気しても、サラを虐待しても、愛人を連れ込んでも止める者はいなかった。

 当然、使用人たちの男爵家への忠誠心など、ほとんどなかったのだ。


「な、なぜ誰も来ぬ……」


 使用人どころか、最愛の愛人すら来ない。


 愛人のお腹の中に子供がいるから、近づけないのは当然だ。

 だが、そんなことすら忘れて、男爵は怒り狂っていた。


「ふざけるな! ふざけるなよ! 俺はディディエ男爵、この屋敷の主人だぞ!」


 しばらく叫んで諦めた男爵は這うようにして寝台から出る。

 まるで骨が折れているかのように、全身が痛かった。


 男爵は這うように移動して、部屋の扉を開く。

 廊下に、粥の入った皿と水の入ったコップが床に直置きされていた。

 そして、廊下には頑丈な木の柵が取り付けられており、外に出られないようになっていた。


 赤痘患者となった男爵を外に出さないために、家臣たちが取り付けたのだ。


 檻を恨めしげに睨み付けると、粥と水を持って部屋に戻る。


「……ぐう」

 水を飲むだけで、口の中が痛い。

 口の中には、数十個の口内炎ができているせいだ。


「だが食べねば……死ぬ」

 泣きながら男爵は粥を食べる。味がしない。ただただ、痛くて苦しかった。

 柔らかく冷めた粥ではあったが、男爵は半分も食べられなかった。


「なぜ、俺が赤痘などに……」

 呪いをかけたことなど忘れて、男爵は呻いた。


 その苦しみはマリオンが味わったのと、同じ苦しみだったのだ。



  ◇◇◇◇

 一方その頃。マリオンの離れにて。

「マリオン様。大丈夫ですか? 食べられますか?」

「ありがとう。娘と会話してから体調がいいのです」


 赤痘専門の治癒術師に介抱されながら、マリオンも粥を食べていた。

 数時間まで苦しめられていた口内炎は、すべて消えた。


「痛くないというだけで……これほどおいしく感じるのですね」

「それは何よりです」


 マリオンの食事中も、治癒術師は診察を続けている。

 治癒術師は、子供の頃に赤痘に罹り死にかけたという若い女性だ。

 その際、隔離され治療を受けられず死にかけたから、赤痘の治癒術師を志したという。


「飲みこんだ後も、痛みはありませんね?」

「はい」

「顔の腫れものも引いておりますし、熱もありません。私には完治しているように見えます」 

「本当ですか? ならば、娘に……」


 嬉しそうなマリオンに治癒術師は笑顔で優しく言う。


「もちろんすぐにお会いになれます。ですが、隔離期間というのがありまして……」


 症状が消えてからも、二、三日は隔離したまま経過を見るのが決まりなのだ。

 治ったように見えて、また症状がぶり返す可能性があるためだ。

 ただ、その期間は濃厚接触者の隔離期間よりは短い。


「数日。三日か、四日。このまま推移したら、娘さんにお会いできますよ」

「はい。ありがとうございます」


 マリオンは嬉しそうに、涙をこぼす。


「まだ、油断してはいけませんよ。無理しない程度に、しっかり食べてゆっくり休んでください」

「はい、ありがとうございます」


 治癒術師に依頼をしたのは高位王族の大公爵だ。それも大司教経由での依頼だった。


 加えて、大公爵から「重病人ゆえ、丁重に頼む、どうか助けて欲しい」と直接言われた。


 これは責任重大だと、気合を入れて訪れたら、もう治っていたのだ。


「大公殿下にもいい報告ができそうです」


 治癒術師は笑顔で、ほっと胸をなでおろした。

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