第36話 ルイサの歴史

 二百年前について書かれたページを開き、該当箇所を指でなぞりながら、教えてくれる。

 あたしが難しい本の字が読めると知ったから、父はわざわざ文字をなぞってくれているのだ。


「苦しむ民をみて憂慮したファルネーゼ朝の初代王が、聖王家を倒し即位したんだ」

「ふぁるねーぜって、とーさまとおなじ?」


 父の名はグラーフ・ヴァロア・ファルネーゼなのだ。


「そうだよ。私とルリアのご先祖様だよ。……初代王が最初にしたのは――」


 初代王が最初にしたのは、唯一神の教会を国教ではなくし、特権を剥奪したことだった。

 唯一神の教会の行なった暴挙が、一連の大災害の原因だと判断したためだ。


「でも、まだきょうかいあるよね? るりあの名前も、きょうかいの人がつけたってきいた」

「そうだよ。貴族にも民にも信者が多くて、王といえど潰しきれなかったんだ」

「ふむ~」

「精霊が災害を起こしたと信じた人たちにとって、唯一神の教会の教義は都合が良かったんだ」


 精霊は人に管理されるべき。それが唯一神の教会の基本的な教義だったと記憶している。

 自然そのものである精霊を管理するなど人の手には余るというのに。


「ここからはあまり外で話したら駄目なことなんだけどね」

「うむ?」

「王家と唯一神の教会は、表面的には仲が良いが、実際は仲が良くない」


 どうやら政治的な敵ということらしい。

 唯一神の教会は権限を強くしようと画策するし、王家は当然それを抑えようとする。


「王族に対する命名の儀も、二代前の王のときに押し切られたんだ」

「ふえ~。どうして、おしきられちゃったの?」

「外戚ってわかるかな?」

「えっと、おくがた様のお父さん?」

「そう、よく知っているね。王妃の父とか祖父とか兄とか。とにかく妃の出身一族だね」


 二代前の王は外戚の力を借りて、ライバルである兄弟に勝利し即位した。

 即位後、外戚を通じて唯一神の教会は勢力を伸ばしたらしい。


「王も即位の際に後ろ盾になってくれた貴族を無視できないからね」

「ふむー」

「教会の真の目的は戴冠式の際、王に王冠をかぶせる権利を手に入れることなんだ」


 国教だった時代、つまり聖王家の戴冠式では、教皇が新王に王冠をかぶせたのだ。

 その権利の回復は、教会の悲願である。


 それが成れば、形式上、王に権威を与える存在が教会ということになる。

 形式がなれば、時間が経てば実もなる。


 最終的に、教会が認めなければ即位できないという状況になるだろう。


「きんちょー状態なのかー」

「ん。ルリアは難しい言葉を知っているね。そう。緊張状態にある。王家も教会を無視できないし、教会も王家を無視して好き勝手できるほど強くはない」

「なるほど、なるほど」

「まあ、ルリアはまだ子供だから難しいことは考えなくていいよ。歴史の続きを勉強しようか」

「あ、ルイサについてききたい!」

「……厄災の悪女ルイサか。どこでそれを?」

「え、えっと、ええっと」


 困った。

 使用人たちも兄姉も父母も、ルイサに触れることは無かったのだ。

 きっと、あたしに伝えるなと父がみんなに言ったのだろう。


 あたしが知っているのは前世で本人だったからだ。

 転生してからルイサの名を人の口から聞いたのは、命名の儀で大司教から、のみである。


 とはいえ、前世のことや、命名の儀の際の記憶があると言うわけにはいかない。


「ええっと……」

「きゅる」


 小さく鳴いたキャロは、小さな手で、父の開いた本指さしていた。

 そこには「ルイサ」の文字があった。

 父の開いた本は歴史の本である。ルイサの名前が載っていても何も不思議はない。


「これ! ここにかいてる!」

「……本当に……沢山の字が読めるのだな」

「えへへ」


 キャロのおかげで助かった。

 あたしはお礼を込めて、キャロの頭を撫でた。


「それで、とーさま。ルイサって何したひと? どういうふうにつたわってるの?」

「そうだね……。説明しないといけないかもしれないね」


 少し考えた後、父は厄災の悪女ルイサについて説明を始めてくれた。


「ルイサというのは、聖王家の最後から二番目の王の娘なんだ」

「うん」


 それは知っている。


「最後から二番目の王は、弟である最後の王に暗殺されるのだが、その際に五歳だったルイサも殺されたと記録されている」

「むむ? だったらどうして悪女になったの?」

「それがね。暗殺の十年後、唯一神の教会の総本山が消失した事件があったんだ。二百年前の大災害の一番最初の事件だ」


 総本山の消失は記憶にある。精霊を助けるためにあたしがやったことだ。

 クロによれば、ちゃんと精霊は逃げられたとのことなので、後悔はない。


「そして大災害がはじまったあと、聖王家と唯一神の教会の者たちがルイサが大災害を引き起こしたと言い始めた」

「ふえ。しんでるのに?」


 あたしは総本山の消失の際に死んだのだ。


「そう、死んでいるのに。だから、まともな歴史家はルイサが大災害を引き起こしたなんて信じていないよ」

「そうだったかー」

「でも、信じている人はいる。それにルイサが先王の暗殺から十年ほど監禁されて生かされていたという記録もある。信頼性は学者の間でも議論のわかれるところだけど」


 それは事実だ。あたしは生かされていたし、監禁というか家畜小屋で暮らしていた。


「なるほど? どんなきろくなの?」

「侍女や兵士、それに家畜担当者の記録なんだ。名を呼ばれない家畜扱いされていた子供がいるっていう」

「ほむう。かわいそう」


 我ながら可哀想だと思う。


「そうだね、可哀想だ。その可哀想な子供がいたのは、ほぼ間違いないが、それがルイサかどうかはわからない」

「ふむー」

「私は、ルイサはけして厄災の悪女なんかじゃないって思っているよ」

「うん」


 あたしは父の右腕をぎゅっと抱きしめた。

 父は左手で頭を撫でてくれた。


「それでルリア。大切なことなのだけど」

「うん」

「ルイサは、王族で赤い髪と赤い目をしていたんだ」

「あたしとおなじ?」

「そうだね。だから、嫌なことを言う人がいるかもしれない。だが、けして気にしてはいけないよ?」

「わかった」

「もし嫌なことを言われたら、どんな些細なことでも、私にいいなさい」

「うん。わかった」


 でも、ちょっと悪口を言われた程度で父に言いつけるのはどうかと思う。

 大事おおごとになったら可哀想な気もするのだ。


 そんなことを思っていたら、父が念押しするように言う。


「ルリア。告げ口したら悪口を言った子が可哀想とか、大事にしたくないとか思わなくていい」

「そかな?」

「そうだよ。その配慮は大人である父と母がする。ルリアはどんな些細なことでもいいなさい。父も母も些細なことで大事にはしないからね。安心しなさい」

「わかった!」


 政治的なあれこれは、あたしにはよくわからない。

 だから、難しいことは全部丸投げしようと心に決めた。

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