第10話 父との和解
大司教が帰った後、あたしは乳母に自室に運ばれた。
運ばれながら、色々考える。
大司教はむかついたが、わかったことが沢山あった。
唯一神の教会は健在だ。気をつけなければならない。
そして前世のあたしは厄災の悪女と呼ばれているらしい。
ルイサの転生者だとバレないようにしたほうがいい。
それに兄と姉がいるらしい。会ってみたい。
父は殿下と呼ばれていた。つまり王族らしい。
髪色と目の色から判断するに、あの王家は今も続いているということだ。
だが、その割に衣装もあまり良くないし、調度品もいまいちだ。
どうやら、父は王族の割に質素な生活をしているらしい。
「むむ~」
「ルリアお嬢様、難しい顔をなさってますね。おしめかえましょうね」
「む~」
ちょうど漏らしていたところだったので、おしめを交換してくれるのはありがたかった。
「お嬢様は、本当にお泣きになりませんね」
人は言語化できない事態に陥ると泣くのだ。
言葉に出来ないほどの痛み、苦しみ、悲しみ、喜び。感情が言語化能力を超えたとき涙が出る。
きっとそうだと思う。確証はない。
その点、あたしには前世があるので、話せないとはいえ、頭の中で言語化できてるから泣かないのだと思う。
そう考えたが、話せないので、
「んだー」
と言って、乳母におしめ交換のお礼に変えた。
ふと横を見ると、「…………」子犬が寝台の柵の隙間から、心配そうにじっと見つめていた。
「きゃっきゃ」
「……」
子犬は無言で尻尾を振っている。
いま吠えたら、乳母に別室に連れて行かれると警戒しているのだろう。
おしめ交換が終わってしばらく経つと、大司教を屋敷の外まで見送った父がやってきた。
子犬は素早く寝台の下に潜り込んだ。
父に見つかれば、子犬は確実に別室に連れて行かれるからだ。
「おお、ルリアはいつも可愛い……いや、益々ルリアは可愛いくなるな」
「だぁ(ごめんね)」
心の中で父に謝った。
父はたしかに私を虐めた王家の奴等と同じ髪色と目の色だ。
だからずっと警戒していたし、威嚇していた。
「だ~」
だが、大司教から、唯一神の教会から守ってくれた。
信頼していいのかもしれない。
そう思ってから、父の顔を改めて見たらとてもいい男に見えた。
「どうしたのだ。ルリア。いつもより大人しいではないか」
「命名の儀で知らない人にお会いになってお疲れなのでしょう」
「そうか。……ルリア。何か嫌なことを言う者がいるかもしれない。だが、父が守るからな」
父の大きな腕に抱っこされていると安心する。
考えないようにしていたが、優しかった前世の父も王族だった。
つまり父と同じ髪と目の色なのだ。
銀髪青目にもいい人も悪い人もいる。
そんな当然のことを、知っていたのに、考えようとしていなかった。
十年間、銀髪青目の奴等に虐められていたとはいえ、公正では無かった。
「だぅ(ありがと、ちち)」
「可愛いなぁ」
「んだー(ごめんね、ありがと)」
母とは違う父の匂いに、心が安らぐ。
父の匂いに包まれて、優しく揺らされているうちに、安心して眠ってしまった。
◇◇◇◇
眠ったルリアを抱っこしながら、ルリアの父グラーフは執事に言う。
「アマーリアを呼んでくれ」
「畏まりました」
少し経って、ルリアの母アマーリアがやってくる。
アマーリアはすぐに寝台の下をのぞき込む。
「レオナルド。いらっしゃい」
「…………」
「レオナルド?」
「子犬の名前よ」
アマーリアに捕まったら別室に連れて行かれると思っている子犬は、呼びかけに応じなかった。
「そんなことより、この子の名はルリアに決まった」
「そうなのね。いい名前ね。ルリアちゃん」
アマーリアは寝台の下をのぞき込むのを止めると、ルリアの頬を撫でる。
それからグラーフの顔を見た。
「何かあったの? 怖い顔」
アマーリアはそういって、グラーフの頬を優しく撫でる。
「大司教が、ルリアのことを不吉だと言ったんだ」
「……まあ。厄災の悪女ルイサ?」
「そうだ。王族に生まれた赤い髪赤い目の少女は不吉だから教会に預けろとな」
「信じられないわ。あなた、当然――」
「もちろん断った。あいつらは信用できない」
アマーリアはグラーフに抱かれて眠るルリアのことを撫でる。
「ルリアはこんなに可愛いのに」
◇
厄災の悪女ルイサの話は、広く国民に知られている。
だが、広く知られている話は正確ではない。
聖王家が滅びる前に、唯一神の教会と口裏を合わせて偽りの物語を広めたからだ。
その偽りの物語はこうだ。
生まれたときから邪悪な存在だったルイサを教会は封じてきた。
だが、成長し力をつけたルイサは暴走した。
教会は総本山と教皇や高位聖職者を犠牲にし、なんとか厄災の悪女ルイサを倒した。
だが、死して強まったルイサの呪いは、国に大きな災害をもたらしたのだ。
◇
「唯一神の教会と聖王家にだけ都合のいい話を信用するのは愚か者だけだ」
「そうよね。唯一神の教会が精霊に対する暴挙に及び、神と精霊の怒りをかったのだと私は思うわ」
アマーリアが言った歴史が、この国の正史だ。
だが、その正史を修正しようとする勢力は、唯一神の教会を中心に未だに根強い。
修正論者は「正史は現在の王家であるファルネーゼ家にとって都合が良すぎる」と主張していた。
聖王家をクーデターにより倒したことの正当性を主張するため。
そしてファルネーゼ家と対立した唯一神の教会の力をそぐために、ありもしない暴挙をでっちあげたのだと考えている。
「丹念に資料を読めばわかることを……愚かな」
ファルネーゼ家とも、聖王家とも、そして教会とも利害関係の無い人物の記した資料。
クーデターが起こるずっと前に書かれた王宮貴族や地方貴族の日記の類い。
そういうものを読めば、聖王家や唯一神の教会が、精霊に対する暴挙に及ぼうとしていたことはわかる。
「歴史学の教育など、民は受けていないのだから仕方がないわ」
「教育を受けている貴族たちの中にも信じる者がいる。嘆かわしいことだ」
大きくため息をついた後、グラーフは声を潜めてアマーリアに言う。
「……教会がルリアに何かしてくるかもしれない」
「何かって何かしら? 攫おうとしたり?」
「いや、さすがに王族相手にそこまではしないだろう。だが、噂を流されたりするかもしれぬ」
噂を流されるだけなら、まだいい。
政治的な圧力などをかけてくる可能性は高い。
「アマーリア。お互い社交界ではこれまで以上に言動に気をつけよう」
「わかっているわ。ルリアを守るためだもの」
「ギルベルトとリディアにも、よく言い聞かせねば」
ギルベルトはルリアの兄、リディアはルリアの姉だ。
「そうね、二人ともしっかりしているけど……子供だもの」
「使用人に対しても、気をつけるように言っておこう」
「それは女主人たる私の仕事よ」
「だが……まだ本調子では無いだろう?」
「もう、すっかり元気」
「いや、しかし、だが……体に気をつけるのだ。無理はいけない」
そんなことをいいながら、父母は唯一神の教会からルリアを守るために何をすべきか相談したのだった。
◇◇◇◇
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