第3話 父の憂鬱

 まるで眠りながら母乳を飲むルイサを見て、母アマーリアは微笑んだ。

「……あなた、この子をお願いね」

「まて、アマーリア! 逝くな!」

「少し……疲れちゃったみたい」


 そういって、母は大きく息を吐いて目をつぶる。


「むぎゅ……(母はアマーリアというのかぁ)」

 いい名前だなぁと思いながら、お腹いっぱいになったルイサも眠りに落ちた。


 ◇◇◇◇


 ルイサと母が眠りについた後。

 ルイサは乳母に抱っこされて赤子用の寝台に運ばれた。


 その一方、最愛の妻が死んでしまったと考えた父は崩れ落ち、床に両手をついて、慟哭した。 

「うぅ……どうして……神よ、精霊よ。どうして……私からアマーリアを奪うのですか」

「…………殿下」

「うおおおおおおおおお」


 医者の呼びかけにも父は反応しない。

 医者は四十台前後にみえる目元が優しい女性だ。


「殿下! しっかりなさいませ! 殿下!」

「うぉぉぉぉ」

「殿下! 奥方さまは……眠られただけです」

「おぉぉ…………お?」


 父は涙でぐちゃぐちゃになった顔をあげる。

 そして、慌てて、母の顔を見る。


「殿下。奥方さまの呪いが解呪がなされております」

「……どういうことだ?」


 父は混乱した様子で医者を見る。


「妊娠中からはじまったアマーリアの不調は呪いのせい。そうだったな?」

「殿下のおっしゃるとおりです」

「そなたでは解呪できぬと診断をくだしていたな?」

「はい、そのとおりです」

「国一番の治癒魔術師でもあるそなたでも解呪できぬ呪いがなぜ解けたのだ?」


 妊娠中、突然アマーリアは呪われたのだ。

 医者は呪いを解けず、治癒魔法も効かなかった。


 出産は危険過ぎると医者は言った。

 母子ともに、命を落とすことになると。

 万に一つ、もし無事産み落とせたとしても、確実にアマーリアは死ぬことになるだろうと。


 父は何度も何度も出産を諦めるように、懇願した。

 だが、アマーリアは死んでも産むのだといって聞かなかったのだ。


「アマーリアの状態はどうなのだ?」

「峠は越しました。ひとまず大丈夫でしょう。すぐにお亡くなりになるといった状態は脱しております」

「死なないのか?」

「もちろん体力は落ちていらっしゃいますから気をつけなければいけません」


 自身も出産経験のある医者は念を押すように言う。


「健康な状態でも出産は非常に体力を使うのです。奥方様は呪われていました。解呪がなったとはいえ、気を付けなければなりませんよ」

「ああ、わかっている」


 父は素直にうなずいた。


「…………神よ、精霊よ。…ありがとうございます」


 医者は祈りを捧げ終わった父に近づくと耳元で囁いた。


「殿下」

「……どうした?」

「一瞬、お嬢さまが治癒魔法を使ったように私は感じました」


 父が、乳児用寝台ですやすや寝ているルイサを見る。


「まさか、そんな……ありえるのか? 赤子だぞ」

「普通はあり得ません。ですが、私が息子を産み初乳を与えたとき、息子から精霊魔法の気配を感じました。もちろん発動には到りませんでしたが」


 つまり、生まれたばかりの乳児が精霊魔法を使う可能性はあり得る。

 そう医者は暗に言っていた。


「ふむ。そなたの息子は……」

「はい。今年から宮廷魔導師を務めております」

「知っているぞ。これまでの最年少記録を大幅に塗り替え、十歳で宮廷魔導師になった天才だな」

「畏れ入ります」

「天才であるそなたの息子でも発動に到らなかったと……」


 呪いは、怪我や病気とは違う。

 呪いをもたらすのは「呪者」と呼ばれる悪しき者どもだ。


 呪者は、自分より弱い精霊を捕食するので精霊の天敵と呼ばれることもある。

 そして、呪者がかけた呪いは、その呪いより強い精霊魔法でなければ解くことができないのだ。


「……このことは他言無用で頼む」


 父は医者に口止めをする。

 国一番の治癒魔術師が解呪できなかった呪いを解いた赤子、しかも王族。

 政治的な意味あいが強すぎる。成長する前に殺されかねない。


「わかっております」


 医者は深く頷いた。

 すると、父は一層声を潜める。


「他言無用に頼む」

「既にわかっております、とお返事いたしました」

「父上にも、もちろん兄上にもだ」

「陛下にも、王太子殿下にも、でございますか?」

「そうだ。陛下にも報告はしないで欲しい」

「……畏まりました」


 医師は一瞬息をのんだ後、深く頭を下げた。


 その後、父はこの部屋にいた者全員に口止めをした。

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