ワイン風呂。

 港街の朝は早い。

 夜明けの1時間前に教会の鐘が鳴り、各所に灯りが付き、煙突から煙が立ち昇り始める。


『ココの朝ごはん、早そうだね』

「だからお風呂に行きましょう」


 タイル貼りの浴室へ行き、備え付けのバスタブに魔道具の水瓶から水を注ぐ、そして同じく魔道具の大きなヤカンからお湯を注ぐ。

 コレだけで秘密裏に快適に過ごせる、本当なら宿の者にお湯張りをお願いするんだけど、既に昨晩頼んだから許して欲しい。


『向こうって洗い場が無いんでしょ、何かヤダね』

「本当なら暖炉の前で水桶で水浴びなのよ、まだ平安時代に生まれた方がマシだわ」


『今より前なんだっけ?』

「そうなのよ、なのに野蛮とか言われてて。“死ねば良いのよ、下品な手食い野郎共が”」


『“はいはい”早く温泉が出ると良いね』

「あ、出そうなの?」


『まだ揉めてる、誰が掘るか。出ないで労力が無駄になるかもだし、出たら出たで功績を上げられても嫌だから人選に文句を言ったり』

「けど地図では栄えてるのよね?」


『うん、しかも名前がバイレフェリックス』

「フェリックスのお風呂、あー、じゃあちょっと神様に」

『ローシュ、ワイン風呂の事を良いかな?』


 ベナンダンティと話してて、急に私にだけ見えるからビックリしちゃったのよね。

 ワイン樽をお風呂にする話と、ワインを入浴剤として使うって話、相当気になってくれてたみたいで。


「バッカス様、ふふふ、どうぞ」

『アレは飲めなくなったワインかな?』


「いえ、多分、アレは飲める品だったかと」

『何て贅沢なんだろうか』

『バッカス様、後ろを向かないでね、ローシュは裸なんだから』


『はいはい。それで、ワイン風呂の事で神託を授けようかなと思って、僕に捧げろって』

「ぁあ、良いですね。アーリス、候補者は?」

『死んでも良いのと、格上げさせたいのが居るけど』


『神託を授けるんだから僕が守るよ、それとダイダロスもね』

「なら2名を格上げさせて、死んでも良いのに手伝わせて、不慮の事故に遭って貰う。とか」


『うん、僕もそう思ってたんだ、邪魔したから死んだって事にすれば僕にも箔が付くし』

「ですね、宜しくお願い致します」


『いや、コレは僕らの為でも有るから。それよりだよ、どうしてもっと早く』

『バッカス様、コッチ見たらダメ』

「すみません、記憶の引き出しが多いもので、本気で忘れてただけですわ」


『他にも良い事を思い出したら宜しくね、特にワインについて』


「なら、プロセッコのスパークリングワインが凄く有名、なのは?」

『良いね、凄く良い、嬉しいね』


「その、どんなお気持ちで?」

『必ず当たる占い師に、子が優秀に育つ、と告げられた人間の様な気持ちだね。君は僕ら神の占い師だよローシュ、ふふふ』


 住民は勿論、品物、地域に関してまで喜べるのは神様か王様位よね。


 だから、だから可愛がってくれるのかしら。


「あの、では、視察に行ってみても?」

『是非是非頼むよ、ココの領主は大丈夫なんだけど、プロセッコは若い領主に交代してね。前のがちょっとアレで、困ってるんだ』


「成程、ただ、スペランツァ女王の」

『手が回らない場所の助力を請われてるから大丈夫、神殿の封鎖も解かれたし、伝わる頃には神殿から神託が行く様にしておくよ』


「では、先ずはココの領主様にご挨拶すべきでは?」

『そこは逆でも大丈夫、忙しい子だし、面倒事を嫌う大雑把な子だから』

『ウチの王様みたい』


『そうそう、じゃ、宜しくね』


「だそうよ?」


『何か、2人きりを邪魔されたからムラムラする、してから出ようね』




 湧き出るお湯をワイン樽に入れ、私に捧げよ、と。


《そう、夢で、デュオニソス様に言われ》

『成程な、うん、任せたわ』


「陛下、この様な若輩者に」

『それな、だからお前が手伝ってやって、2人を』


「2人?」

『もう1人はダイダロス様からご神託を授かった、コレは出るな』


「いや、ですがそもそも神託なのかどうか」

『お前、温泉の事を知ってたか?』


《温泉?ぁあ、隣国に有るとか言うお湯の湧き出る泉ですか?》

『ほら、はい、神託だわ。ダイダロス様からのも同じ反応だったんだ、文句が有るなら審議に掛けるが、作業を遅れさせ神がお怒りになったらお前は治められるのか?』


「いえ」

『よし、じゃあしっかり頑張れよ、既に案が出てかなりの日が経ってるんだ。コレ以上遅らせたら、次は死人が出るかも知れない、慎重にさっさと進めろよ』


「はぃ」

『よし、頑張れよフェリックス』

《はい》


 そうしてダイダロス様からご神託を得た、とされる道具職人の娘さんと2人で温泉なるモノを探し出し、掘り出す事に。


『ダウジング』

《ダウジング?》


『水脈を探し出せるそうで、お城の文献にも有ると王が言ってました、キャラバンからの情報だそうです』

《成程》


『こう、揺れが大きい場所が、そうなんだそうです』

《成程》


『多分、アナタが使うべきかと』

《分かりました》


 揺らさない様に歩くのが少し難しかった、けれどヴァラディヌムからモミの木ブラド村までの間で少し揺れて。


『先ずはこのまま左へ』


 獣道なのか子供の遊び場なのか、細い道を抜けると確かに水の湧き出る場所が。

 ただお湯と言うより、他より冷たくはない水、程度。


《温かくは無いし、無味で無臭ですけど》

『水と混ざってるのかも知れません、水源を分けられるか、更に探ってみましょう』


《はい》




 ダイダロス様に神託を頂く前から、温泉を掘る話は有ったらしい。

 本来ならこの場所はもう少し整地されている筈だった、なのに。


「揺れっぱなしじゃないかね?」


 この愚か者が、ヴァラディヌムの3人の領主が揉めていたせいで荒れたまま。

 多分、神々が怒ってらっしゃるからこそ、無名の私達に神託を授けたのだろう。


『やってみたら如何ですか、探し当てられたなら王にしっかりと進言させて頂きますが』

「ほう、ならばやってみよう」


 手を挙げたまま維持するのは、実は凄く大変な事。

 慣れない作業は疲れるのに、しかも初めてなら余計に。


『揺れてますが』

「もう良い、お前に任せる」

《はい》


『いえ、今日は引き上げましょう、本来なら整地されている筈だと王から聞いてますので。今日は草刈りを、辻褄を合わせた方が宜しいのでは』


「ぁあ、そうさせる」


 バカだから加減してやってくれと言われたけれど、ココまでとは。


《助かりました、ありがとうございます》

『以降は疲れたら合図を下さい、休憩させますから』


《ありがとうございます、日頃は刺繍ばかりなので、どうにも慣れなくて》

『その巨体で刺繍ですか』


《あ、後は草刈りですかね、こう、大鎌を振るってます》

『両極端な、狩りには行かないんですか?』


《動物は目が良いので、私は直ぐに見付かっちゃうんですよ。それ以外は不得手は無いんですけど、特に得意な事も無く、雑用係ですね》


『雑用係は必要ですし、逆に私はコレしか上手い事が無いので、何でも無難にこなせるのは少し羨ましいです』


《何か困り事でも?》

『こう、小さいので、大きい物を作る時が大変なんです。アナタの様な体だったら良かったのに』


《折角知り合ったんですし、何でも言って下さい、大概の事は出来ますから》




 温泉1つ、マトモに採掘出来ないもんかねぇ。


『で、挽回しようとして、アレが死んだ。と』

《すみません、どうしても自分で探し出したいと》

『奪って作業して窪みに落ちて死にました』


 姉上なら大笑いしそうだなコレ。


『邪魔してる自覚は有ったんだろうよ、な』

「すみません、父を抑え切れず」


『神聖な場を死で穢してくれたよなぁ』

「申し訳御座いません」


 本来なら死で穢した罪は死で、ただコイツはそこまででも無いし、前よりは良い様に扱えるだろうし。

 資源としてはまぁまぁ、なら。


『そのまま引き継げ、だが以降はお前の妻の家に管理させる。父親の事を伝え、コイツらを支え、あの地をしっかり面倒見ろよ』


「温情を賜り、ありがとうございます。決して父の様な者を出さぬ様しっかり伝え、この2人を支援する事をデュオニソス様とダイダロス様、王に誓います」

『おう、頑張れ。ただ不慣れな事も有るだろうから、他2人の領主にも助力して貰え』


「はい」


 死人が出たんだから弁えてくれりゃあ良いんだが。

 そう賢かったら争わない、なら、このまま領主交代が続くかも知れないなぁ。




「どうも、バッカス様からお伺いして、コチラに来たのですが」


《えーっと》

「ロッサと申します、ご心配でしたら神殿かスペランツァ様にお手紙を書かれれば宜しいかと」


《その、仮に本物の巫女様だとして》

「お手伝いに、それとワインの試飲に参りました。あ、手土産ですわ、どうぞ」


 コレは。


《ベナンダンティの軟膏》

「奥様へ、ご苦労なさってるかと」


 軟膏から視線を戻すと、バッカス様が彼女の後ろで微笑んでいて。


《あぁ》


 こう、良く女性が倒れるとは聞いてはいた。

 けれども自分が。


「ちょっ」

『わぁ、大丈夫、じゃなさそうだね。真っ青だ』

《すみません、どうにも最近、眠れずで》


「ぁあ、先ずは長椅子へ、それと奥様を」

《すみません、マティを》


 妻が遠くで自己紹介をしている声を聞きながら、僕はただ、横になるしか無かった。




《マティルデ・ド・サヴォイアと申します》

「ロッサと申します、バッカス様に困ってらっしゃると聞いたのですが」


《すみません、否定のしようがありませんわね》

「コチラをどうぞ、手荒れに効く軟膏です」

《マティ、その入れ物はベナンダンティのだ、大丈夫》

『あ、横になったままが良いよ、倒れて怪我したら大変だし』


《そうよアナタ、横になってて》

《すまない》

「軟膏以外にも色々と必要そうですね」


《有り難いお申しなのですが、生憎とウチではもてなす余裕も無く》


 以前の領主が無茶苦茶な統治をなさってて、本来ココとは無関係な私達が尻拭いをしなければならない。

 それなのに以前の領主の事を愚痴愚痴と言いに来る者、有りもしない借金が有ると言って集りに来る者、世話をしてやったから世話をしろと来る者。


 もう、本当に仕事の邪魔。

 適当な記録の埋め合わせだ、辻褄を合わせだ、としなければならないのに。


「お手伝いに伺いました、神殿かスペランツァ女王にお手紙を出して頂いて構いませんよ」


《マティ、コチラへ》

《はい》


《彼女の後ろに微笑むバッカス様が見えたんだ、頼んでみよう》


《ですけど、もし》

《先ずは厄介な客人を追い払って貰ったり、書類に関わらせない様に様子見をしよう》


《分かったわ》




 トリエステとモンファルコネの間を管理するのが、ココのサヴォイア家の当主ルートヴィヒ。

 平穏なドイツやオーストリアに近い場所の辺境伯だったが、政権交代の際にこの地区、プロセッコ地区を任される事に。


《向こうでなら細かく分かれていたそうですが、一括管理が妥当だとしてお任せしたんだそうです》

「スペランツァ様から?」


《いえ、ソフィアからです、サインのし過ぎで腱鞘炎だそうで、名だけスペランツァ女王ですね》

「あら、休ませないと治らないけど、それこそ針が良いのかも」


《お伝えしておきますね》

「お願い。それにしても結局は伝書紙を使ってしまったわね」


《サヴォイア家の名が気になったので、どの道、私が手紙を出す事は分かってらっしゃったかと》

「クーちゃんの有名な貴族名鑑に入ってるのね?」


《ハプスブルク家と同等の知名度だそうですが》

「無学でも知っているのがハプスブルク家、サヴォイア家は勉学の基礎が無いと知名度は低いの」


《成程、書き足しておきますね》


「向こうとは違い近親婚は避けてくれてる、けど、砂漠側の一神教と本来は同じ思想の近親婚だった筈なのよね。財を守る為に近親婚を推奨していた、片方は一族の掟としたけれど破綻し、片方は一大勢力の宗教へ」


《ですがココでは近親婚は避けられおり、そうした宗派は既に向こうとは違う、全く同じは不可能なんですが》

「本当なのかしらね、医学と医療の為だ、なんて」


《何割か、なのでは》

「そうよねぇ」


 ココでは国同士の諍いが殆ど無いからこそ、近親婚における妊娠率低下の実験が行われ、各国に標本と記録が存在している。

 そして医神の神殿や治療院に置かれているが、ウチ程の徹底した周知をしている国は少ない、寧ろ貴族の方が気を付けていると言った状態が殆どだが。


 民も本能的に避けているのか、そうした報告はココでも殆ど無いらしい。


 そして既にカビから作り出された薬も存在し、衛生観念も同じ時代の向こうに比べて300年は先んじている。


 そこは許せても、宣託を司る巫女は許せない。

 魔法も、権力も、自身の信じる宗派が支配出来ていないのも許せない。


 ローシュが予想した通り、自身が信じるモノが否定され、自身さえも否定された様で屈辱を感じたと。

 代弁者とされる転生者が、そう自白した。


《あの、宜しいかしら》

「どうぞマティルデ、何でもお申し付け下さい」


《少し、お客様を、お願いしたいのだけれど》

「はい、喜んで」




 ローシュ、人の扱いが上手いなって時が有る。

 特に老年の男性。


『前の領主はもう、本当に酷くてなぁ』

「良く耐えてらっしゃいましたね、粉挽き代に、焼き窯代。私の知る地域の者は直ぐに反乱を起こして領主を捕らえ、晒し首にしてましたよ」


『アンタ、凄い所から来てるんだねぇ』

「はい、なので皆さん穏やかで、とても驚いてますわ」


『国境には面してるが、お隣さんスロベニアがこの地を分け与えてくれたって伝え聞いてるからね、そう心配はしてないんだよ』

「それだけスロベニアを信じてらっしゃるのですね」


『オーストリアもだ、今はちょっと荒れてるらしいが、下のユーゴスラビア王国よりマシだと聞いているしねぇ』

「ぁあ、お噂は、ですが詳しく知らなくて」

《アンタどっちから来たんだい》


「オーストリアからウーディネ、あの子のお嫁様探しに」

《ロッサ》

《何だ、良い年をしてまだ結婚してないのか》

『そらこんだけ器量が良いのが居たら堪らんだろうに』


「生憎と私は彼と結婚してまして、それに彼は親類、姉の孫なんです」

『だが血はどうなんだい、そこまで近そうじゃないなら別に良いだろうに』

《ちょっとアンタ、この人結婚してるって言ってるだろうに》


『王侯貴族は妾を持っても構わないんだろう、若いからって子種が有るとは限らないんだ、しかも相性が悪いと生まれてくれん。ウチの馬がそうだ、だから良い年になったら国を跨いでも遠くまで行かせて、孕ませて帰って来るんだよ』

「ぁあ、馬、確かに血筋に左右されるそうで」

《近い血で交配させ続けると途絶える、とエポナ様が仰ってたと、ココらじゃ馬の交配は記録を残す様にしてるんだよ》


「馬は大事ですからね、私もお世話になってます」

《アレだ、海沿いの馬が早いのは海のお陰だからな、綺麗な塩水を飲ましてやってるんだ》

『あんまりだと勝手に飲みに行くしな、馬は賢い、エポナ様も賢い女神様なんだけどねぇ』


《前の領主がな》

『両方が妾を囲って仕事はしない、その癖に子が出来ないと騒いでたらしい』


「それで若い夫婦をご心配なさってるんですね」

『まぁ、前よりマシかどうか、子や孫に様子見に行けとせっつかれてね』

《そうそう、忙しいのは分かるが、ワシらもこうするしか無くてね》


「落ち着くまで、1日1つ情報を差し上げますから、それでどうにかなりませんかしらね?」


『まぁ、本当の事なら助かるが』

《だとしても家には帰れねぇよ、ココに居ろって五月蠅いんだ》

「ならお手伝いして下さいません?私が代理として家を回って説明致しますから、付き添いをお願いしたいんです」


《代理っても、アンタ何処の貴族様なんだい?》

「お隣の、フランク王国のサンジェルマン家をご存知ですかしら」

『まさかお隣さんからか、けどそれでどうしてオーストリアから来たんだい?』


《だから嫁探しだと言ってるだろうに》

「貴族に限らず良い子が居れば、元はオーストリアではハプスブルク家のお世話になりましたので、ココではスペランツァ女王様にご助力をと思いまして」


『どれがついでだか分からんけど、有名な貴族さんとも繋がりが有るとは、なら家名をさっさと言えば良かったろうに』

《それこそ嫁探しだろうよ、器量も良いんだ、名に釣られて適当なのが言い寄って来たんじゃ大変だろうさ。お前の馬だって駄馬に種付けさせられそうだったんだ、そう言う事だろうに》


「まぁ、そこもですし、名を売る為にお手伝いをしに来たワケでは無いのと」

『この家の為、かねぇ』


「それも、ですね」


 こうだから、多分、ルツは凄くモヤモヤしてるんだと思う。

 年が近いもんね、このお爺さん達と。


『まぁ、じゃあ明朝に馬を連れて来るかねぇ』

《お前のとウチので引かせるかな》

「ありがとうございます」


 綺麗に丸め込んじゃった。

 嘘は無いけど、勘違いは多そう、けど突っ込まないのは賢い。


 詳しく知り過ぎると殺されてたらしいからね、ココの民。

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