冥界渡り。

 目の前には。

 見た事も無い程に若くなったローシュが。


「お帰り」

《ローシュ》


 抱き締めた感触は同じ。

 そして何よりも、嫌がられない。


「ただいま、は?」

《ただいま帰りました》


「はい、お風呂に行って」

《はい》


 もっと若くに、それこそローシュが嫌な思いをせず、ココに来ていたなら。

 本当に、こうしていられたのだろうか。


 クーリエが居なかったら、ローシュに知恵と経験が無かったら。

 愚かだったなら。




「アルモス、暫く休憩にするから、ヴニッチ夫妻は部屋食にしてあげて」


 何か、少し焦りが。


『何か有ったんですね?』

「侵攻速度が早過ぎたのよ、暫くスプリトに滞在するわ、ヴニッチを密かに労ってあげて」


『分かりました』

「じゃ、何か有ったら直ぐに連絡して、指輪を渡しておくわ」


 私は信用ならないのだろうか。

 いや、なら、魔道具を扱える様になる指輪は渡さない筈。


『はい』

「大丈夫、後で説明するわ」


『分かりました』


 確かに信頼は得られている。

 なら私やヴニッチが知るべきでは無い、何かが向こうで起こっている。


 信頼を得られているなら、だからこそ、仕事をこなし待っていよう。

 きっと私達の手には及ばない何かが起きているのだから、決して邪魔をしてはならない。




『ルツ、ルツってば』


《アーリス》

『大丈夫?何処か痛い所は?』


《いえ》


『じゃあどうして泣いてるの?』


《愚かな、若いローシュと諍いを起こして、君に取られたんです》


 もし傷が無いローシュが来てたら、どうなってたか、王様とも話してた事が具現化されたんだ。

 そっか、やっぱりダメなんだ、それじゃ。


『どう諍いになったの?』

《不安から彼女の気安さを咎めて、言い争いになり。家に閉じ込めたんです》


『だけ?』


《その愚行を彼女は喜んで受け入れて、でも、結局は1人にさせられず。連れて行った王城で君と話している所を嫉妬し、また家に閉じ込め。そうしてる間に国が危機に陥り、些細な失敗から、私は死んだ》


『そして僕が貰った』

《自分自身が不器用過ぎて、だからこそ私は私を嫌になり、束縛を強めるしか思い浮かばない自分を嫌になり。なのに束縛を喜んで受け入れる彼女を受け入れられなかった、そうして不安になり、負の連鎖を起こした》


『本当にそうなってたと思う?』

《あの失態が無ければ信じなかったでしょう、ですけど私は失敗した、失敗した》


『でもローシュは生きてるよ?生きてたら何とかなるんじゃない?何とかするのがルツじゃない?』


《どうして私を信用するんですか?》

『だってローシュを愛してるって分かってるし、失敗しても挽回出来る策を考えられるって知ってるし、50年以上童貞だったんだから仕方無いよ』


 ちゃんと守ってきた砦なんだもん、価値が有るって王様も言ってたし、僕もそう思う。

 それこそ記憶が戻ったローシュなら、ちゃんと分かってくれる筈。




『ふぇ、ローシュ様、アーリスさんまで薬を飲んじゃったんですかね』

「冥界渡りの薬だなんて、何て事を」

《そこまでお前さんを思っての事さね、大丈夫、アーリスの坊やは引き摺られただけだ。縁続き、地続きで引っ張られたんだろう》


『そんな、それだとローシュ様も』

「アンジェリーク、ルツの傷は大丈夫なのよね?」


『はい、後は輸血だけですぅ』

「魔道具のドアの指輪を渡すからお願い、準備をしてきて」


『ココでするんですか?!』

「下手に動かして邪魔したくないの、それにココの女領主は」


『“あの、何か、お手伝いを”』

「“待って、そこで待ってて”」


『“はい”』


 ローシュ様は隣の部屋へ行ってしまった。

 私やアーリスさん、ルツさんを守る為、今は1人で。


「“もう案内は終わったの?”」

『“はい、逃げ出すにせよ自決にせよ、身内以外は城から出しました”』


「“そう、子供達は?”」

『“自害した、と、それで納得してくれました”』


「“侍従は残っているの?”」

『“はい、乳母2人に侍従が2人、後は全て出しました”』


「“なら、コチラへ、アルモス候を頼りなさい”」

『“このドアは、いえ、ありがとうございます”』


 少しして、ひとの足音や声が聞こえた。

 子供や怪我をしているのか、少し足を摺って歩く音、赤ちゃんの機嫌の良い声も。


「“さ、行きましょう”」

『“はい、ありがとうございます”』


 どうしよう。

 私1人になっちゃった。


『あ、セレッサ、そうね、アナタが居てくれてるから大丈夫よね』


 それに妖精さんも。

 けど、剣を持ってくれば良かった。


 有るかな、ココに。


「アンジェリーク?」

『ひゃい!あ、お早いですね?』


「直ぐに他の村に移したから、大丈ばないわ、コレ忘れてた」

『ウチで拷問させますよ?』


「あぁ、そうね、そうしましょう。ちょっと待っててね」

『大丈夫です、この位は運べる様になりましたから、ローシュ様は付いてて下さい』


「ありがとう、けどセレッサにも手伝わせてあげて」

『はい、お願いしますねセレッサ』


 頼られると嬉しい。

 私も、セレッサも。


『おっ、何だこの女は』

『あ、王様、ルツさんを刺した人です。しかも刃物を捻ったからただの侍女じゃないかもって』


『よし、拷問だな』

『はい、お願いします、それと輸血も向こうでするので』


『大丈夫かおい』

『冥界渡りのお薬、飲んじゃったんです』


『兵を送らせる、準備してろ』

『はい』


 直ぐに準備したつもりなのに。

 疲れてたのか、引っ張られての事なのか。


『姉上』

「何を来ちゃってるんですか、王様」


『心配して何が悪い、黙って付き添わせろ、王命だ』

「大丈夫、ただちょっと、凄く眠くて」

『ローシュ様ぁ』


「大丈夫、直ぐに、連れて帰って来るから」


 そうしてローシュ様も深い眠りに落ちてしまった。


『王様、任せて下さい、コレは私の仕事です。王様は王様の仕事をお願いします』


『はーぁ、おう。兵は場内を索敵、残ってたら生かせ、コッチで拷問に掛ける』


 王様はしたい事が出来ない。

 皆さんを見守りたいだろうけど、王様の仕事は沢山有るから。


 私は女王様にも王様にもなりたくない、ローシュ様が言った通り、普通が良い。

 ローシュ様も、早く普通に過ごせると良いのに。




「ルツ、迎えに来たわよ」


 私の声が全く聞こえていないのか、コチラを見向きもせず、ただ川面に向かって泣くばかり。

 声も無く、ずっと。


《愛してます、本当に好きなんです》


 話したかと思うと、水面へ話し掛けている。

 水面には私の姿が。


「ルツ」

《記憶が、失敗が、何もかも無くなってくれたら》


 思わず手が出そうになった、けれどもこのままでは川に落ちてしまうと思い。

 コチラを振り向かせて、ビンタした。


「その考え、大嫌いなの」


 元夫に言われて完全に嫌になったのよね。

 自分の失敗を忘れて欲しくて、記憶が消えて欲しいって、何度も言われて嫌になった。


《ローシュ》

「失敗を生かすんじゃなくて消そうとするアナタは大嫌い、そのまま悲嘆に暮れて死ねば良いわ」


 まだ、ウブな頃の私を求めてくれるんなら良いけど。

 失敗を受け入れず、生かそうとしないルツは、ルツらしくなさ過ぎる。


《忘れてくれませんか?》

「他の事なら考えてあげても良いけど、ルツが本当に望む事だけにして、そして欲望はハッキリ伝えて」


《私だけを見て欲しい》

「50年以上童貞だったウブな人が、私を満足させられるなら」


《私だけで満足して欲しい》

「その為には何をすべきか、3つ答えてくれたら考えるわね」


《私を愛して無いんですか?》

「ルツを愛してるけど、アナタが本当にルツなら愛せないわ」


《未熟な私は受け入れられないんですね》

「未熟さを放置するなら無理ね」


《アナタの知るルツとは、何ですか?》


「頭が良くて、素直で。私を口説く人」


 この問答に納得したのかどうか。

 目の前に居たルツらしき何かは消え、水面にはルツとアーリスが沈んでいる。


『どちらか』

「ならアーリスね、ルツなら帰って来る方法を知ってる筈。アーリスは巻き込まれただけ、アーリスは国の要、起きてアーリス」


 愛や恋で大局を見誤ってはならない。

 確かに凄くルツには惹かれている、それこそ最初から、だから私は見誤らない様にしなければならない。


『ローシュ』

「アーリス、帰りましょう」


『うん』




 あの問答を聞いても、アーリスを選んだとしても。

 寧ろ正解だとしか思えない。


《私にはローシュだけなんです》


『なら彼女の手を引いて、最後まで振り向かない事』


 そうして背を押され、ふと気が付くと私は後ろ手に誰かの手を握っていた。

 けれども振り向いてはならない、ローシュかどうか疑ってはならない。


「ルツ、少し待って」

《すみません、少し早かったですかね》


「少し、ココは歩き難いから」


 そう言われ視線を落とすと。

 土がむき出しになり、所々に骨が埋まり、ぬかるんでいる。


《確かに、雨上がりの散歩は久し振りですね》

「そうね、土を積んで整地だなんて、やっぱり道路整備は重要よ」


《温泉地は完璧に整備しましょう、すっかり邪魔者は居なくなってくれたそうですから》

「出るのかしら、お湯」


《アナタの提案したダウジングで、水脈が分かったそうで、今は採掘中です》


「ごめんなさい、もっと知識が有れば」


 愚かなローシュを愛せたのか。

 私の未熟な想像力では、愛してしまうとお互い身を滅ぼすかも知れない、と。


 けれどもアーリスが居れば、王が居れば、クーリナが居れば。

 ローシュは自然と、今と変わらないローシュだった筈。


 無いながらも知恵を絞り、不器用ながらも協力し、改善させていった筈。

 確かに今とは違う道筋かも知れない、けれどもココや未来の為に何かをしていた筈、それが彼女の本質。


《アナタが信じなくても、アナタは優しい、善人です。人の事は言えませんが、不器用で真面目で、何処か完璧主義で。だから私を許せない、アナタはアナタ自身を許せない、実は凄く似てると思うんです》


「容姿が似て無いわ」

《状況は同じかと、良くモテてますし》


「アナタが?」

《今はもうアナタの方が、ですよ。この年で結婚してない男には問題が有ると思われる、ですけどアナタは離縁を経験している、ある意味では成功しているアナタの方がモテるんですよ》


「それで嫉妬?」

《そうですね、私は思ったよりも何も持っていなかった、アナタに差し出せるモノが殆ど無い。繋ぎ止める技術も知恵も無い、何も無くて怖かったんです、不安で自信が無くて考える事を投げ出してしまった》


「なのにまた口説く」

《甘えが有ったんだと思います、アナタは優しいから、致命的な失敗さえしなければ何とかなる。浮気さえしなければ、仕事だとの口実が有れば、小さな失敗は見逃してくれるかも知れないと。無意識に、無自覚に、甘えてました》


「そこは本当に無理、嫌」

《ですよね、元夫と同じ事をしたんですから、すみませんでした》


「私、こうした話をした事が」

《有りました、最初の方に。ですけど自分とは無関係だと思ってたんです、文句無しにアナタを愛してますし、何も惜しまず捧げられると思ってましたから》


「けど、惜しむ処か」

《何も持っていなかった、なので焦ったのだと思います、本当にどうしたら良いか分からなかった》


「知ってるけど、理解してたとは言い難い」

《はい、そこは愚かだと思います、バカですね》


「怖かった?」

《恐ろしくも綺麗な酸の海だと思っていたら、飲める温泉だと知り入ってしまって、気が付くと大雪が降って出られなくなってしまった》


「服は雪に埋もれたの?」

《遠くに投げ捨てて雪に埋もれ、しかも魔法も使えない、詰みました》


「と言う心境」

《ですね》


 だからこのまま死ぬか。

 お互いに全てを忘れるか。


「どうしたい?」

《愛させて欲しいです、その次に愛して欲しい》


「やらせろって事?」

《私の愛を受け入れてる前提で、ですね》


「そんなの直ぐに絆されるに決まって」

《だから凄く我慢してるんです、絆されず惚れて欲しい、好いて愛して欲しいんです》


「愛してる?」

《はい、他は有り得ません、けど他が有り得ないからアナタが良いワケじゃない。アナタだから良い、アナタだけが良いんです》


「口説いてるって言うか、ずっと求婚なのよね」


《アナタが望む言葉や、中間を教えて貰えませんか?》


「素直に、飾りっ気無しで、良い所を言うとか?」

《髪の触り心地が好きですよ、スルスルとクセになる触り心地で、本当は結い上げずに下ろしたままにしてて欲しいんです》


「人に会う時は無理よね」

《なのでずっと閉じ籠もっていたいです、時間を考えず、ずっと触っていたいので》


「結構、エロいわよね」

《50年分は溜まってますし》


「本当に他に性欲が」

《湧いた事は無いですね、服の上から触られる事は有っても、警戒心や嫌悪感で心地良いと思った事は無いですし》


「襲われちゃったの?」

《酒宴の席で巫山戯て、お陰で男色家だと広められてソッチからも誘いが来て、ですけどどっちも同じ様に快は無かったですね》


「不快では無いの?」

《不快と思う程は触らせて無いので、特には》


「襲う素振りを」

《嫌じゃなかったので、逆に苦しかったです。流されたいと思いながら抗っていたので、体と心と頭がバラバラになりそうでした》


「ごめんね」

《いえ、また襲って下さい、襲い返しますから》


「そこは素直に襲われなさいよ」

《じゃあそうします》


「ヤって落ち着くとかは」

《何回、何時間掛ければ、少しは落ち着くと思いますか?》


「1人でだと、1日で何回」

《帰ったら教えますね、それとも目の前で見せましょうか》


「エロい」

《なんせ50年分ですから》


「少なく見積もって、よね」

《ですね》


「私で良いの?」


《アナタこそ、選ぶ権利はアナタの方が多いんです、私で良いんですか?》


「そら、好みですから」

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