お菓子と患者とハーモニー。
『うん、素晴らしいわねクリスティーナ』
『そうね、素敵で美味しいわ、ローシュ』
「ありがとうございます」
ローシュが最初に出してくれたお菓子も、コーヒーとは違う美味しさ、それこそ柔らかいココアの様で好きだったのだけれど。
『柔らかさ、甘さ、そして何よりも美しい。メリュジーヌ様も大層喜んでらっしゃるわ、ねえローシュ』
「はい、頑張った甲斐が有りました」
一口大の塊、中のコンポートが透け、本当に愛らしい。
けれども氷とは違って柔らかい、その柔らかさと同じく優しい甘さの中に、瑞々しいコンポート。
『あ、夏に少しでも冷やして頂いたら、きっと最高ね』
「器ごと綺麗な流水に漬け、食べる時に器から外して頂ければ、ですね」
『しかも作るのが簡単なのよね?』
「はい、東洋の葛も試したのですが、アガーの加工は短時間で済むので。屋台、家庭、果ては国中に伝えられるかと」
『ぁあ、本当に素晴らしいわローシュ』
『けれどアガーの材料、キャロブビーンズの加工が大変なんだそうよ』
『ぁあ、あのコーヒーの様な色合いからココまで透ける様に加工しているんだものね』
「我が国の秘儀を出させて頂きました」
『なのにローシュは何も要らないと言うの、何とかしてクリスティーナ』
『ふふふふ、それはいけないわローシュ、陛下の資質が問われる事になってしまうわ』
「ですので改めて考えさせて頂き、少女を1人、賜れればと」
治癒魔法が使えるから、と魔女狩りの筆頭に立たされていた、可哀想な少女。
メリュジーヌ様がサンジェルマン伯爵家のルイ様に所在を教え、保護したらしい、とは聞いていたけど。
『流石ねローシュ』
「さぁ、何の事でしょう」
『けれど少女1人だけだなんて、遠慮が過ぎるわよ、ねえクリスティーナ』
『そうね、船位はあげても良いんじゃないかしら』
『そうね、そうしましょう。ブリテン王国へ行くのでしょう、ローシュ』
「はい、折角の外遊ですから、若いウチに見て回るべきかと」
『そう、それはいつ?』
「今日にも経とうかと、暫くは陸路を進まないといけませんから、春先にでもブリテン王国へ着ければ良いかと」
『あの馬のリレーは見事だったと伝え聞いてる、試しに馬車でやってみてくれないか。と、サンジェルマン伯爵家はローシュを何だと思っているのかしらね』
「東洋の魔女、だそうですから、ふふふふ」
『もう、笑い事じゃないわよローシュ』
「流石にこの前の早馬の様な事はしませんよ、人と馬車と馬に負担が無い、けれども早く着くのはいつか。軍で演習として行えば良いかも知れませんが、その分だけ人手が必要となり、何よりも目立ちます。なら貴族の享楽と囁かれる方が遥かにマシかと」
『あぁ、また魔女狩りの噂が伝わって来てるものね』
『1度根付いてしまった悪しき考えを取り除くには、とても長い時間が掛かってしまう。出来るだけウチでも防ぐつもりなのだけれど』
「殲滅よりも保護を、そしてウチへ逃げてくれば良いと広める事を、最優先にお願いします。本来の一神教には素晴らしい思想も存在していますし、スパイスは時に薬ともなります。摩擦は出来るだけ控え、どうか
『ありがとうローシュ』
『寂しくなるわ』
「またお伺いする事も有るでしょうから、それまでお元気で居て下さいませ。では、これにて失礼させて頂きます、どうかお菓子を楽しんで下さい」
見送りは不要だなんて、ズルいわね、ローシュは。
《もう少し居てくれても良いんじゃないかな、ローシュ》
「やる事も特に無いですし、お世話になりましたルイ、では」
《待った待った、はい、コレ》
「ちょっと、印章だなんて何を考えてるの?」
《ウチからのお礼、もし困った時はサンジェルマンと名乗ってくれて良いよ、長く生きるとなれば使い所も出るかもだし》
「ありがとうございます、では」
早々に、かくもあっさりと魔女は宮殿を去ってしまった、著書と透明なアガーの精製方法、メリュジーヌ様の宮廷菓子だけを残して。
アガーペゼリーペストリー、アガーと
本来なら水の様な透明度も可能だった、けれども敢えて、この程度の濁りに抑え留めた。
正史には無い事、そしてアガーの精製方法がどうしても飛び抜けた手間暇が掛かり、悪目立ちをしてしまうからと。
船と少女と精製されたアガーだけを得て、魔女は宮殿を去ってしまった。
《ブランシュ、大事な話が有るんだけれど、良いかな》
『はいはい』
《ローシュが去ったよ、話し合いはどうだったのかな》
『そんな、何で急に』
《期限を決め焦らせては結果に響くだろう、と。仲を引き裂く事になるかも知れない、そうした僕の罪悪感を軽減させる為、彼女は苦言を呈してくれたんだよ》
魔女だから、ハーレム形成者だからと、とんでも無い配慮不足だった。
自らを賢いと侮り、より賢い者が現れないと愚かさを認識出来ない、まだまだ僕は若輩者。
『私の為、爵位を投げうっても良いと、ですが私には重荷となります。国の優秀な人間が私への愛の為だけに役職を投げ出す、私には受け止めきれない、あまりに重過ぎます』
彼女へ求愛したのは、侯爵、大臣職のご子息。
子女が居らず3兄弟、その末子、家督を継ぐ予定の息子さん。
《なら嫁いだら良いじゃない、しっかり間を空けて》
『薬草に支えられた地方の子爵家。ですけどもう、ほぼ平民の様な暮らしを続けていて、ココでも行儀が悪いと叱られる程で。そうした平民的な私に魅力を感じただけなのかも知れないなら、私が貴族然としてしまったら、愛が溶けて消えてしまうかも知れない。誠実な彼の愛を、そう疑ってしまう私には、勿体無い方です』
身分差が問題では無い、その差を埋められるかどうか。
平民からでも婿入りし、立派に貴族の家を支えられる者も居れば、押し潰されてしまう者も居る。
シャルル様やイザヴォー様然り、そう教育を受けた者でも、愛故に押し潰されてしまった。
確かに貴族の教えも平民は学べる、けれども文字で、だけ。
完璧な
けれども広める為の簡単な文章ではどうか、完璧なカーテシーが不可能となってしまう。
文字で得られる知識だけでは、どうしても抜け漏れが出る、そして敢えて書かない事も。
その苦難を乗り越えたローシュの事は、ただの来客、そう書には残されるだけ。
一子相伝、口伝のみが許される情報。
全てはローシュを守る為、魔女を守る為。
《なら、勉強をしたら良い、礼節学園が有るんだ。講師として向かい、教え、教えられてきなさい》
今だ、そう思って飛び出す様に宮殿を出たけど。
「コレ以上は、振動で耳が痒くなるのよね」
《分かりますぅ》
木の板バネでのサスペンションの技術は、この特別な馬車だけ。
神の魔法で乗り心地が良くされた、となされているサンジェルマン伯爵家の秘蔵の馬車、その試乗でもある。
なので馬車の管理はジャンヌが、ジャンヌの運転する馬車、凄いが過ぎる。
そして何故、板バネの情報を秘匿するのか、それは移動力が戦闘力に直結してしまうから。
スピードこそパワー、そこに物量が乗ればもうね、破壊力抜群だもの。
「コレでもよ、どう考えてもパリは無理だわ」
《念の為の情報攪乱も有ったのでしょう》
マルセイユを出て、ベール湖を海沿いに回り、アルルからニールへと移動。
馬車でギリギリ過ごせる速度毎、大体30キロおきに街が有るのよね、使い潰さない早馬での移動もこの位。
正史の地理通りに街を建てたから不安だ、って言ってたけれど。
流石慎重一家、念には念を、確認したかったけど領地だ宮廷だで動けずで、代わりに私が確認する事に。
船もアガーも女の子も、それに印章も貰ったものね、この位はしないと。
にしても子供って本当、暖かい。
「“大丈夫?”」
『“はぃ”』
馬車の音が怖いのか、ルツが怖いのか、怯えたままなのよね。
「それにしてもボルドーへ向かうだなんてね、そこもワインで有名なのよね」
《であれば神にも捧げないといけませんね》
《でもその前にブラムから船に乗るんですよね?》
『川から港まで、そして港から海へ、ですね』
『何処も川で繋がってれば良いのにね、ウチみたいに』
「それこそ日本がそうなのだけど、ルーマニアは繋がってると言うか、囲われてると言うか」
《ローシュが宮廷で囲われてしまうのかと心配していたんですが、杞憂でしたね》
《荷造りが要らないからルツさんて本当に便利ですね》
『それこそソロモン神に会いに行けば良いのに』
『ぁあ、確かにそうですね』
「力を持てば、それだけ恐れられて排除される可能性が高くなるんだから、非常時用で最終手段」
《力を貸して貰えないとは思わないんですね》
「賢い神様の筈だもの、悪用しないと分かればお力を貸してくれる筈。さ、問題です、1時間に60キロならブラムに着くのは何時かしら」
単なる足し算なら、330キロだから5時間半。
けど馬を代えたり、トイレ休憩だ食事だ、となるとね。
《はい!》
「はいファウスト」
《休憩無しでも乗り換えが入るから、最低でも6時間以上になるので、今日!》
「はい正解、後で飴をあげるわね」
《はーい!》
ファウストみたいに、この子も打ち解けてくれるかしら。
「ポロポロぼろぼろ、ケツの肉がモゲる夢を見そうだわ」
『赤くはなってないけど、なら無理しなきゃ良かったのに』
《君は飛べるから良いですけど、領地に帰れば私達も民も道を使うんです、どの程度まで整備し村や休憩所を置くか。その為にもコレは必要な事なんですよ》
『皆で飛べれば良いのにね』
「それもそれで空用の法律が必要そうね。はい、ありがとう、おやすみ」
《おやすみなさい》
『おやすみ』
ローシュは女の子と一緒に寝るから、って。
暫く構って貰えないかも。
《何ですか》
『このままだと、暫く構って貰えないよね?』
《でしょうね》
『いつまで?』
《着くまで、じゃないですかね、ブリテンまで》
『えー』
《明朝から船なんですから、早く寝ますよ、おやすみなさいアーリス》
どうにか、出来無いかなぁ。
《“川”川》
『かわ』
「何、あの微笑ましい光景は、何なのかしら」
《そうですね》
「そして凄い速さ」
《人力ですからね》
正史では未だに無い筈のミディ運河を遡上し、水門の設置されている街毎に乗り換える。
ウチの国にもやはり運河を巡らせるべきなのかどうか、穏やかで便利ですけど、侵攻を防ぐ手立ても整えなければいけませんし。
「ウチにも運河、巡らしましょうよ」
《容易く侵攻されないかが心配なんですよね》
「その為の橋での川幅と水門なんじゃない?」
《ぁあ、ですけど問題は開口部ですよね》
「黒海に面するものね、ネオス、何か意見は?」
『最悪は逃げる為にも使えますから、最低でも港近くに1本は欲しいですね』
《となると先ずは人手ですが、頑張って下さいアーリス》
『んー、何かボーっとしちゃうね、コレ』
「もう少し木が育てばね、もっと良い景色になりそうだけど」
『コレもコレで、何か、壊すの勿体無いなって感じだよね』
《だから残っていた、だったら良いんですけどね》
「そこよね、何百年も残ってくれるのが1番なんだけど。あ、ちゃんとウネウネさせるのよアーリス、それこそ真っ直ぐは危ないんだから」
《程良くお願いしますね、船の行き来で事故が有っても困りますから》
「あ、ほら水門よ」
《皆さん、良く観察しておいて下さいね》
基本は一方通行、けれども物資を運ぶ際は水門で水位を調節し、上流へ。
ウチでなら、ココより橋や水門の川幅は小さくても良いかも知れませんね、小舟なら既に湿地帯に住む者達が使ってますし。
「流石ネオス、凄いじゃない」
『あ、いえ、スエズ運河の歴史を教えて貰っていたので』
トゥルーズでの宿で私が提案したのは、王族として教育を受けていた頃の知識を生かしただけのもの。
運河を縦に分断し、小舟の行き来は水門無しで行い、大型船用には水門を設ける仕組み。
この運河でも途中から小舟用の入り口が設けられていた事から、運用方法等を応用したに過ぎない。
そして既存の川を時に利用し、敢えて繋げず、陸に1度荷揚げさせる。
そのまま陸路か、再び船に乗せ運ぶか。
《それにしてもスエズ運河、地中海と紅海を繋げたのは、実は魔王では無かった。ですか》
『はい、ペルシャ湾と地中海も、転移者かも知れないと』
「もうコレ、完全に魔王のせいにして色々とやってそうよね」
『はい、だと思います』
《正史を守る派、正史より実利派、いつか真正面から衝突そうですね》
「嫌だわぁ、正史原理主義なら殺し合いになっちゃうの確定じゃない」
《既に違うと言うのに少しの違いも許さない、最早病気かと》
「ね、ココかしらね、やっぱり」
《コンスタンツァからチェルナヴォダ、フェテシュティ。先ずはそこからでしょうね》
「アーリス?」
『会いに来てくれる?』
「寧ろ現場監督をするつもりなのだけど」
『なら頑張る』
「ネオスにも色々とご褒美を用意しないとね」
『褒美に』
ご褒美と聞いて、思わず淫靡な願いを口にしそうになり、思わず顔を背けた視線の先には少女が。
ココでも更に恥ずかしくなり、真っ赤になっていると。
「あら、この子はまだまだダメよ、ねー?」
《ぐふぅ》
ネオスさんが綺麗に勘違いされちゃったから、笑っちゃった。
「ちょっとファウスト、何を笑ってるのよ」
《いえ、ふふふふ》
《年上を誂うと痛い目を見る事になりますから、止めた方が良いですよファウスト》
《はーい》
《では寝室へ戻りましょうかね》
《はーい》
ルツさんは、こうやって僕もネオスさんも庇ってくれるんだから、それこそ言っちゃえば良いのに。
全部言えば、多分、ローシュ様は分かってくれるはずなんだし。
「ファウスト、ちょっと待ちなさい」
《はい?》
「どうして笑ったの?」
《だって、あのネオスさんがあの子に気が有るワケ無いのにな、と思って》
「けど真っ赤だったわよ?」
《イヤらしいお願いでも考えてたんじゃないですかね?》
「ぁあ、娼婦は流石に勧められないし、困ったわね」
《貢献ポイントも凄い貯まったでしょうしね、良いなぁ》
「アナタは良い子にしてるだけで自然に貯まるから大丈夫、あの子に言葉を教えてくれてありがとうね」
《僕のご褒美、お口にキスはダメなんですか?》
「ダメー」
《僕が幼いから?》
「うん、はい」
《じゃあネオスさんなら良い?》
「んー、もし要求されたら、その前に話し合いよね」
《ですよねぇ、うん、おやすみなさい》
「はい、おやすみ」
《ネオスさん》
『はい、何か』
《もしネオスさんがご褒美にキスをねだったら、先ずは話し合いから、だそうですよ》
『何がどう、と言うか余計な事を言わないでくれませんかね』
《そんな直接的な聞き方はしてませんてば、ご褒美に口にキスして下さいって、そこからですよ》
『あぁ、ですけど本当に余計な事は言わないで良いですからね』
お菓子と患者とハーモニー。
《はーい》
何をして欲しかったんだろうな、ネオスさん。
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