第3話 トイレハンターとへそ曲げトイレ

 黄色い規制線が貼られた公園に赴いた戸入は、すぐに事態の異様さに気づいた。公衆トイレの屋根は破壊され、茶色い噴水が天井から噴き出して辺りの地面を汚している。悪臭を嗅ぎつけたのか、噴水の周りにはハエたちがせわしく飛び回っているのが見えた。


「おう、戸入くん。早かったな」

「平さん、おはようございます」


 公園の入り口に、平がやってきた。


「例の人物だが……もう少しで来るはずだ」

「ははは、遅れ馳せながら只今参上! 我こそはこの「トイレ・最臭戦争アルマゲドン」を食い止めるものなり!」


 戸入の背後から、野太い声が聞こえた。現れたのは……まるで海水浴場から直接連れてきたような、ブーメランパンツ一丁のムキムキマッチョ毛むくじゃら大男だった。パンツ以外に身に着けているのは、肩にかけた細長いショルダーバッグぐらいだ。そんな男が、まるで歌舞伎のように見得を切っている。


「へ、ヘンタイ!」


 振り向いた戸入は、開口一番そう叫んでしまった。


「変態とは何だ! ワレは平さんの頼みで特別に引き受けたのだぞ!」


 その大声に、戸入の腰が引けたのは言うまでもない。太眉を吊り上げた強面が声を張り上げれば、誰だって恐れおののく。


「すまない……ほら戸入、お前も謝れ」

「すみませんでした……」

「まぁよい……」


 パンツ一丁毛深男は腕を組んで、ムスッと不機嫌な顔をしている。

 

「私の友人の親戚でね、トイレハンターをやっている馬級牟ばきゅうむだ」

「馬級牟さん……? 何でそんな恰好なんですか?」

「服が汚れるからだ。以上!」


 おずおずと尋ねた戸入に対して、馬級牟は大声一喝した。戸入はまたもビビッて、「ひえっ」と情けない声を漏らしてしまった。


 とにもかくにも、戸入は平と馬級牟の後に続いて規制線をくぐり、公園に入っていった。トイレに近づくにつれて、言いようもない悪臭が漂ってきて、戸入は鼻をつまんで口呼吸するようになった。


 この公園は区内で唯一、児童が満足に遊べる広さの公園だ。この土地で生まれ育った戸入も、子どもの頃はよく遊んだものだ。この公園が血なまぐさい惨劇の舞台となった、という事実には複雑な思いがある。

 それに……他国の事例を調べてみると、軍隊が出動し、爆撃で周囲の土地ごと焼き払ったケースもあるという。事態を収められなければ、市民の憩いの公園が丸ごと穴だらけにされてしまうかもしれない。

 この男には、何としても事態を収めてもらわねばならない……戸入は拳をギリギリと握り込んだ。


「我はこれを使う。平さんと小童こわっぱはここでお待ちいただこう」


 小童呼ばわりされた戸入は、さすがに少しいらついた。確かにこの顔と体格のせいで、今でも中学生ぐらいに見られることがある。つくづく損な見た目だ。

 馬級牟はショルダーバッグのファスナーを開け、棒状のものを取り出した。それはどう見ても……


「スッポン……? あの詰まったときに使う」

「ただのスッポンではないぞ。熱田神宮の宮司より霊力を授かった、霊験あらたかなスッポンだ」

「そんなワケないでしょ!」


 今まで出したことがないぐらいの大きな声で、戸入は叫んでしまった。


「あー……ごめんなさい馬級牟さん」

「いや、許そう。実はさっきのは冗談なのだ。小童よ、ナイスツッコミ」

「ウソなんですか! 名前を勝手に使われた熱田神宮がかわいそうだよ!」


 グッとサムズアップして見せた馬級牟に、戸入はまたしても大きな声で叫んでしまった。


「まぁ何はともあれ、そこで見ていなさい」

「……今は彼に任せよう。トイレハンターとしての力はホンモノだ」

「その通りだ。さぁて、へそ曲がりなトイレよ、待っておれ!」


 スッポンを担いだ馬級牟は、勇んでトイレに突入した。途中で茶色い噴水を浴びたが、彼は気にせずトイレに踏み込み、問題の個室に入った。


「うおおおおっ! かしこみかしこみももうす!!!!!!!」


 馬級牟の叫び声が、鼓膜を大きく震わせた。戸入はサッと指で耳栓をしたが、今度は鼻が悪臭を吸い込んだ。


「ゲホッゲホッ……鼻と耳と……どうすればいいんですか」

「もう帰りたい……」


 珍しく、平が弱音を吐いている。こんな状況では無理からぬことだ。

 

「モロモロの禍事まがごと罪穢つみけがれあらんをば! 祓えたまえ! 清めたまえ! 」


 ブリブリブリブリ! ブリュリュリュリュリュッ! ブリブリッ!


 馬級牟の声に混じって、聞きたくない音声も大音量で聞こえてきた。馬級牟とトイレのどっちが音の主かはわからない。祝詞のような叫び声とブリブリ音、それらが交互に聞こえてくる。


 しばらくして、馬級牟がトイレから出てきた。特に怪我をしている風には見えないが、代わりに全身が茶色に染まっていて、おまけに数匹のハエを従えている。


「……あの便器は、自らの世話を怠った人間たちを恨んでおった。故に禍津神まがつかみと化したのだろう。だが我の粘り強い説得の末、便器は怒りの矛を収めてくれたぞ」


 馬級牟の言葉を、戸入は一つも理解できなかった。とはいえ、おそらくその口ぶりからして解決には成功したのだろう。


「しかし……便器の力は暴走している。もはや便器自身にも止められないようだ。よって、便器は自身の暴走を止めるべく自爆を決定した。可及的速やかにこの場から離れるように、とのことだ」

「……離れるようにって、最初にそれを言ってくださいよ!」


 戸入による抗議の絶叫が発せられたのと、例のトイレがしたのは、ほぼ同時のことだった。ドーンと大地が震え、まるで火山弾のように、ブラウンのマグマが降り注いだ!

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