第23話 浸食される魔法陣

「おお!? なんだなんだ!?」


 子羊を抱えたままやってくるカナリア。


「何これ! 特ダネ!?」


 ヘイウッドがカメラにおさめる。

 二人が騒いでも、住人たちは呆気にとられたままだった。

 ウィルは魔石が力を取り戻したのを確認すると、怯む事なく杖を掴んだ。中心から杖が取り出されると、魔法陣からゆっくりと光が引いていく。すると、何かが吸い取られるような感覚も次第に消えていった。


「ほれ、お前の杖だ」


 魔法使いから手渡されるにしては、これ以上無いほど雰囲気に欠けるやり方だった。渡し方もややぞんざいで、トウカは目を丸くして受け取った。キラカも何も言えないまま、透き通るようなオレンジ色を見ている。

 ウィルはすぐに視線を魔法陣に向け直した。


「しかし、やっぱりこの魔法陣だとアンシー・ウーフェンに向かってエネルギーを集めてる事になるなあ。どうなってんだ」

「ウィル、この魔法陣見たことあるのか?」

 カナリアが子羊にウィルの服を噛ませようとしながら聞く。

「無い」

「無いのかよ!」

「まあ聞け」

 ウィルは執拗にマントを食もうとしてくる子羊から離れながら続ける。

「詠唱もそうだが魔法陣ってのはいわば命令書だ。何を為したいかを記号や文字で示して魔法を発動させる。だから、どの記号でどういう命令がされてるかがわかれば読める。お前にわかりやすいように言うと、システムとかコードみたいなもんだ」

「えっ、ますますわかんねぇ」

「お前は理解しとけよ自称メカニック!?」


 そのゴーグルのシステムはどうやって作ったんだ、と聞きたくなる。

 ごほんと咳払いをして気を取り直す。地面に杖で書かれた魔法陣は、いまはただの線に過ぎない。


「基本はこんな風に直接書く事だ。この規模での運用ははじめて見たが、原理は同じだ」

 魔法陣の円を軽く靴でこすり、消しておく。

「おそらく今回の場合は、魔法陣を列車と、人が歩くことで繰り返しなぞらせ、半自動的に、永続的に活性化させている。それこそこの規模だと、世界中からエネルギー……俺の言い方だと魔力が集められてる。中心に向かってな」


 ウィルはトウカが持つオレンジ色の魔石を指さした。


「それが何か変なのか?」

「だってお前、そもそもアンシー・ウーフェンはバカでかいエネルギー源なんだろ。これだと、エネルギー源を維持するために、それ以上の力を必要としてることになる」


 だが確かに魔法陣は、周囲から魔力を中央に集める為のものだった。

 何かが間違っている事もない。


「ふうん? でもそれって、エンジン動かすのにガソリンが必要みてーなことだろ?」

 カナリアが首をかしげて言った。

「……それだ!」


 ウィルが指を鳴らしながら指さした。

 トウカ達にとっては初めて聞く言葉だったが、二人は理解する。


「そうか。アンシー・ウーフェンはエンジンか。そう考えると、かなり効率のいい永久機関だったわけか」

「そーそー。オレの言いたかったのはそういうこと!」


 「本当にそうか?」という顔をして見返すが、何も言わないでおく。


「活性化した魔法陣を使って世界中から魔力を集め、アンシー・ウーフェンを活性化させる。そこから採取したエネルギーで再び列車を回し、魔法陣を活性化させる……。だがこの腐れ谷の様子を見ると……はあん。なるほど。こりゃとっくにキャパオーバーしたんだな」


 首をさすりながら、推測を立て、推理を組み立てていく。


「最初こそともかく、食糧や資材の供給が安定したことで人口が増加。例え金銭が必要でも、娯楽や楽しみに回す分までとなると、ますます足りねぇ。おかげで大地の回復に回すエネルギーが足りなくなって、結果的に大地は瓦解……」


 そして、世界はいまや滅亡の危機に瀕しているというわけだ。

 それこそじわじわと壊死しかけている、と言ったほうがいい。


「魔法使いがいなくなったっていうのも、おおかたこの世界の魔力が全部アンシー・ウーフェンに使われてるせいで、魔法が使えなくなったんだろう」

「杖も残ってるしな!」


 ウィルは頷く。


「さて、これで言い分の信頼度としてはこいつらの方に大きく傾いたわけだが……」


 ちらりとトウカとキラカの二人を見る。こちらに傾いたと言われても喜ぶわけではなく、じっと黙り込んでいる。

 先に口を開いたのはトウカだった。


「ウィル。この杖は、これが本来の姿なのか?」

「ああ、そうだ」

「そうか……。では、まずは力を取り返してくれた事には感謝しよう」


 トウカは胸に手を当て、頭を下げる。

 だが次の瞬間には、鋭い目でウィルを見上げる。


「そのうえで、杖を勝手に奪った事は不問にしてやろう」

「そりゃ良かった」


 にやっと笑う。


「それと、もうひとつお前の推測を聞きたい。もしこのまま魔法陣が発動し続けていると、どうなると思う?」

「ふむ。そうだなあ」


 ウィルは頬を掻きながら、少しだけ虚空を見る。


「魔法陣を維持する為のエネルギーに循環されてるのはともかく、食糧や他の資材の出現まで全部まかなってるわけだろ。いまはまだいいが、二、三百年でこの状況となると、そのうち陣の中まで魔力が果てるぞ」

「そうすると、どうなるんだ?」

「要は内部の魔力を使うってのは、とうとう自分の体力まで使い果たすようなもんだ。だがこの魔法陣は、ここまで自動化されてるからなあ。これ以上無いスピードであっという間に疲弊しきって、それこそアンシー・ウーフェンの心臓部まで食い荒らすだろうな」

「……」


 トウカとキラカが真っ青な顔で互いを見た。


「まあ、その前になんとかしようっていう……、どうした?」


 二人どころか、ヘイウッドまでが青ざめた顔をしているのに気付いた。


「あ、あなた、知らないの? レンベーグの村のこと……」

 信じられないというような顔をする。

「レンベーグの村?」

 知らんわ、と思わず言ってしまいそうになる。

 続きを引き受けたのはトウカだった。

「あそこの近くは、環状線の近くまで腐れ谷の拡大が急速に進んでたんだ! だから、俺たちも偵察を送り込んで……」

「えっ」

「えっ?」


 ウィルとカナリアの二人は、同時に同じような声を出した。







「な……、なんだ、これは……」


 鉄道警備隊は、それだけしか言えなかった。

 目の前に広がる光景を、すぐには信じることはできなかった。

 レンベーグの村は、環状線の途中にある駅だった。村とはいえ主要な駅のひとつで、ここで生活している人々も少なくない。


「バカな! 昨日ここまで来た時は、環状線の外までで……」


 ここ数年、環状線の近くまでひどくゆっくりと進んでいた。環状線のレールすれすれの所にまでせまった腐れ谷に対し、ここの住人たちをオースグリフの街に移す算段も進んでいた。鉄道警備隊の部隊の一つが定期的に様子を見に来て、ようやく住人たちの移動をはじめようかというところだったのだ。

 だが腐れ谷は環状線のレールを越えた瞬間、まるで決壊するように中に入り込み、染みのように広がった。レンベーグの村はあっという間に腐れ谷に飲み込まれ、周囲の草原は枯れて大地を晒し、砂にまみれていた。そうして今度は「深部」がぐっと迫り、前日まで草原だったところは黒く変色していた。

 人々は一晩で起きた異変に震え、泣きわめき、鉄道警備隊の姿を見ると縋り付いた。怒りながら食ってかかった者もいた。隊員たちはそれを抑えるのに精一杯だった。


「隊長……これは……、これはいったい、どうしたら……!」


 隊員の一人が震えながら訪ねる。


「……え、駅長に報告しろ」


 隊長は震える声でそれだけ言った。


「早くっ!」

「はいっ!」


 隊員はもんどり打つように列車に戻った。列車の中も騒然としていたが、それでも列車を止めるわけにはいかなかった。乗客たちの怒声と叫びが響く中、隊員はどくどくと自分の心臓が波打つのを聞いた。転びそうになりながら運転席に飛び込む。そこにある連絡用無線を取り落としながらオースグリフの駅へと連絡を取った。







「はァああ!? それじゃなに! 私たちはどうなるの!?」


 ヘイウッドは叫んでウィルの肩を掴み、がくんがくんと揺らした。

 キラカも時間が無いと言っていたが、トウカの襲撃ではなくまさにこの事だったのだ。既に事態は収拾のつかないところまで進んでいた。

 だが大方の予想を超えて手に負えない範疇になってしまっていたらしい。世界の崩壊は既に年単位の話ではなく秒読み状態で、目の前に迫っている。


「この様子だと魔力が枯渇して竜の秘宝とやらも腐れ落ちて終わりだろうな」

「なんでアンタはそんな悠長なの!?」

「そりゃあなあ……」


 少なくともウィルは、この世界が崩壊しようと関係は無い。

 この世界の人間ではないからだ。


「でも現状閉じ込められてるわけだし、せめてなんとかしないとオレ達まで一緒にここで死ぬことになるぞ」

「そうだった!」


 ウィルはハッとして絶望する。


「うーん。でも、なんかどっちについても八方塞がりだよなあ。アンシー・ウーフェンが止まっちまうと、今度はいろんな供給がストップしちまうし」

「だがどちらにせよ、すべてが腐り落ちて心臓部ごとおじゃんになるのは避けたいところだ……」


 そうすると魔法陣の活性化を止めるしかない。

 一番手っ取り早いのは、外側を走る列車を止めてしまうことだ。魔法陣をなぞる列車を止めてしまえば、一時的に魔力の奪取は食い止められる。


「魔法使いもいたみたいだし、案外、竜もまだいるんじゃないか? 立ち去ったんじゃなくて、アンシー・ウーフェンで働かされてるとか無い?」

「お前が想像してんのはあそこのバイトだろ」


 酒場の名前になったりタペストリにまで描かれているほどなのに、竜については昔話レベルに留まっている。しかし魔法使いが実際に居たのならば竜も、という発想は間違ってはいない気がした。


「……ここに居た竜というのは、どんな竜だったんだ?」


 誰にともなくウィルが尋ねると、トウカとキラカは互いを見た。

 トウカが目線を戻して口を開く。


「この国は、竜とともにあったという話は知ってるか?」

「ああ」

「それは言葉の通りだったというんだ。竜は一年のはじまりに産まれ、終わりとともに死んでいく。そうしてまた新たに生まれ変わる」

「ほう……?」


 続けろ、とウィルが目で示す。


「竜がこの国を立ち去ったのは、この国が……この環状線と駅が出来た前後だと言われている。それを契機に、この国からは寒さや暑さと呼ばれるものが無くなった」


 ウィルは新聞に書かれた日付を思い出した。

 数日前が確か十二月十六日。

 その割には寒くもないし、暑くもない。気候としてはちょうど良いくらいだ。それはこの腐れ谷にあっても変わらなかった。


「竜がいた頃は、その成長に合わせて四つの『季節』と呼ばれるものがあったというんだ。産まれた時の温かな季節、青年となった暑い季節、成熟して老齢となった涼しい季節。だけど、その竜が死ぬ時だけは違った。その季節はひどく寒くて冷たくて、大地が白く覆い尽くされる季節だけは別だったらしい。竜は死んで、食糧もとれない。トカゲたちも眠ってしまうし、人間達は寒さに震えながら竜が生まれるのを待つしかなかった。死の季節だったと言われているんだ」

「……」

「寒さとやらに包まれる竜の死を、受け入れがたかったんだろうか」


 トウカは言ったが、ウィルは目を見開いて打ち震えた。


「……ふ……」

「ウィル?」

「ふ、は、……あっははははは!」


 突然笑い出したウィルに、その場にいた面々は驚いたような顔をする。


「な、なんだ。なにがおかしい?」


 尋ねたトウカの肩を、ウィルはガッと掴む。


「当たり前だ、こんなに笑える事はない!」

「何を」

「いいか、良く聞けトウカ。俺はただの魔法使いじゃない」


 黄金の瞳に、見上げるトウカの姿が映り込む。


だ」


 いまは存在しない冷たい風が、どこかから吹いてきたような気がした。

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