マーチバース! ~多元音響、ここ(そこ)にあり?~

弥七煌

1章《約束》

第1話「優 勇」

 雑踏どよめく交差点。

 人の波が、ぐいぐい進む。

 喧噪けんそう見下ろすビルの森。

 室外機が、くるくる動く。

 

 ――せわしなさに、目が回る。


 それが、この都市の当たり前。

 二〇一九年二月二〇日、水曜日。

 青の合図が生む車の流れと、赤の合図が生む人の淀み。

 この日も、都市一番の交通量を誇る大型交差点は早朝からすでに活発だった。


(いよいよ今日だ……)


 交差点の人混みの中、物思いに耽る少女がいた。

 名は浮綿ふわた 夢吽ゆう

 学校指定の制服を着るその年の頃は一七歳。ショートボブの青みがかった黒髪が、まだ幼さの残る顔立ちを引き立てる。

 夢吽の見上げる先には、ビル壁に埋め込まれた大型ビジョン。

 映し出されるのはエナジードリンクの広告。その画面の片隅に表示された時刻は八時〇一分。


(ちょうど後一二時間後か…… やっぱりちょっと心配だな)


 と、スカートの右側ポケットが短く震える。

 小型の電話モバイルフォンモバホをそこから取り出し、液晶画面を確認する。


(あいちゃんだ――)


 確認と同時、信号が青に変わった。

 慌ててポケットにモバホを戻し、人の歩く流れに従う。

 ちらりと見えた「お互いがんばろー」のメーセージを思い起こし、夢吽は顔をほころばせた。


(今日は私にとって大切な日。でも、あいちゃんにとっても……)


 上を向いて歩く先、大型ビジョンの広告が、ファイトの文字を表示していた――







(どうしよう……)


 眩しく光る液晶画面。表示する時刻は夜二〇時二〇分。

 夢吽は今、浮き足だっていた。

 ここは、やや古めかしいだけでなんの事も無い雑居ビル。

 夜も静かなこのビルの二階フロアは今、妙な騒ぎの中にあった。


 都市には、夜でも様々な騒がしさがある。

 繁華街の盛況、ライブハウスの叫声…… だが、ここにあるのは、楽しげなものとは違っていた。


「駄目だ、このままじゃみんなやられちまうぞ!」


 怒号、悲鳴、衝撃音…… どれも実に恐ろしげだ。


(な、なにがおきて…… と、とにかく隠れなきゃ……)


 夢吽も、その騒ぎの中にいた。

 二階フロアの廊下。震える足でなんとか立つ。

 左手側には、等間隔に並ぶ中型の窓。そこから差し込む街の光により、この場所はかろうじて明るさを保つ。人によっては怖さを感じる暗さである。

 今一番明るい光は、正面一〇メートルほど先に光る避難口の看板。


(あいちゃんを呼んで…… ダメ、今は…… 今はあいちゃんだって頑張ってるんだから!)


 避難口の光に目を刺激され、夢吽は大きく息を吸い込んだ。


(今は、わたし一人でなんとかしないと!)


 手のひらを握り、キリッと構える。

 

「おま…… なにしてる!」


 右側の部屋のドアが開き、そこから腕が伸びてくる。

 半ば引っ張られる形で、夢吽は部屋に入った。


首藤すとうさん!」

「静かに…… どういうわけか、俺たちがこのビルに集まるのが漏れてたらしい」


 引っ張り込んだ男〝首藤〟が入り口に鍵を掛けながら言った。


「多分外も囲まれてる。どのみち俺たちは顔が割れてる。逃げるよりは戦った方が良いだろうが、君は別だ。ここに隠れていればバレずにやり過ごせるだろう。俺はあっちで奴と戦う」

「……分かりました」


 小さく頷き、小声で応える。

 分かったのは指示された事だけで、正直、状況は解らない。

 なんでここが襲われているのか、なにが目的なのか。そもそも相手が何者なのか、まるで判らない。 

 が、今は考える余裕も、質問する時間も無い。


「よし、じゃあな――」


 首藤の声を聞き、夢吽は何も言わず部屋にあったオフィスデスクの下に隠れた。

 その時だった。


「後はお前さんだけか」


 いつの間にか、部屋の入り口を塞ぐように男が待ち構えている。

 妙な威圧感があった。それは、茶色がかったワイルドショートの髪が逆立って見えるからだけではなかった。

 なぜなら、男の周囲がなぜが〝薄く輝いて〟見えるのだ。


「お前、どうやって中に……!」


 叫ぶと同時、首藤が懐から何かを取り出し、身を乗り出す。

 ナイフ? まさか拳銃…… 夢吽の脳裏に血なまぐさい展開がよぎる。

 しかし、首藤は手にした物を耳元に当てた。

 モバホだ。夢吽はホッと胸をなで下ろす。


(えっ?)


 が、なで下ろした胸は、すぐに強い鼓動で揺れる。

 首藤の姿が、相手の男と同じように、薄い輝きを放っていたのだ。


「行くぞ!」


 気合い一声。首藤がそのまま殴りに掛かる。

 勇ましくはあるが、なぜか余裕が見える相手の男の表情に、夢吽の不安は増していく。


「無駄だ」


 首藤が繰り出す右拳と左拳を、相手は半歩退いて避け、反撃もせず仁王立ち。

 嫌な予感が当たった。

 相手に漂う余裕は、見せかけでは無かったのだ。


「この!」


 相手の顔を目がけた、首藤の右脚蹴りが空を裂く。当たればかなり痛そうな一撃だ。

 だが、それは掌で打ち払われ、簡単に受け流されてしまう。

 バランスを崩し、よろめく首藤を前にしても、相手の男は反撃せずに仁王立ち。遊んでいるようにすら思える態度を見せる。


「くそ!」


 このままでは不利だと感じたのか、あれほど闘志を見せていた首藤が後ろに下がる。

 が、ただ怖くなって引いたわけではなさそうだ。力強く立つ足がそれを物語る。


「いつまで余裕で――」


 股を大きく開き、膝を屈し、落とした腰元に右拳を据える首藤。何かを始める構えだろう。

 ……空気が変わるような気がした。妙な雰囲気とピリピリした感覚が、夢吽の元に伝わる。


「いられるかな!」


 ならば! という意気込みが伝わる一撃が放たれる。それは、拳というより大砲だった。

「無駄といっただろ」


 ……非情、ともいえる結果を迎える。

 放たれた拳と気迫は、事も無げに相手にがっしり掴まれる。


「こちとら、なにを一番気にしてるか解るか? 力を出しすぎない事だ。面倒ったらありゃしない」


 相手の男は、掴んだ首藤の腕をそのままに、自分の体ごと勢いよく下方に引き倒す。


 思い切り床に激突した首藤は、何も出来ないまま組み敷かれる。


「終わりだ」


 今度は、相手の男から、なにか異様な雰囲気が発せられた。

 首藤と同じく、拳を使った動きをするが、ピリピリとした感覚は先ほどの比ではない。


「フレイム・ライム・イズム!」


 倒れた首藤に、爆音に似た衝撃が放たれた。


(首藤さん……!)


 夢吽は目を閉じ、ただじっと息を殺した――

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