第14話 親友としての馬鹿げた覚悟
『アリスさんと連絡が取れないっす』
配信が終わった直後にかかってきた電話。スマホから焦った様子の美智の声が聞こえてきた。
「……そう。やっぱり見てたのね」
『それはユウさんもでしょ。さっきの……絶対思い詰めてるっすよ、アリスさん。ああいうのまともにくらったの初めてだと思うんで』
「そう、でしょうね」
美智も私もあの手の輩には多少耐性がある。ネットではありふれているし、仮に自分がやられたところで大して気にしないだろう。腹は立つだろうが。
しかしアリスは違うだろう。彼女は無垢だ。嫌悪に満ちた罵倒を見知らぬ人間にされて傷つかないわけがない。
『ユウさんからも連絡してください。いまさら日和ってる場合じゃないっす。今のアリスさんを一人にしちゃダメっす』
「わかってるわ」
『絶対っすよ!』
そう言って美智は電話を切った。変態ではあるが、やはり良い友人なんだなアリスと美智は。なら私も友人として頑張らなきゃいけないんだろう。
私はアリスに向けてメッセージを送り、PCを起動した。
§
魔法使いには悪人がいない。
これは魔法使いが聖約によって縛られていることが理由だ。魔法使いは人を害する為に魔法が使えない。
魔法を使っている最中に魔が差せば魔法は霧散し、明確な意思で魔法で悪事を働こうとすれば魔法の資格を奪われる。
魔法使いは善人であることを強いられるのだ。大戦後の世界は、こうした強制された平和の上で作られた。
だから、魔法学園は自ずと特殊な環境になる。悪人が居らず、嫉妬や喧嘩はあれどある一線を決して越えることが無い。越えたら単に退学になるだけじゃなく、魔法の資格を奪われるのだから当然だろう。
きっと、安心して過ごせていたはずだ。
いきなり暴言を吐かれるような世界がいつだって傍にあるのだと、想像すらしていなかったに違いない。
――私はネットが大嫌いだ。
人の汚い部分ばかりが集まる肥溜め。現実で生きられないからネットに逃げ込んだ弱者の巣窟。
改めて考える。
私はアリスがVtuberとして活動することをよく思っていない。
あまりにも世間を知らなすぎるし、どこまでも純粋な魔法馬鹿。しかも自分が天才であることを欠片も疑っていないから、どんな問題であっても自分であれば解決できると思っているし、それを他人でもできる事だと考えてる節すらある。
ちょっと痛い目を見た方が将来的には良いのかもしれないけれど、私は腐っても親友だ。アリスが傷つく可能性があるとわかっていて放っておくなんてできなかった。できなかったのに……してしまった。
ネットの世界は学園という閉じられた世界とは違って、悪意がゴロゴロと転がっている。魔法使いは希少な存在で、憧れでもあり――魔法使いというだけで魔法が使えなかった人からの
問題はそれだけじゃない。
魔法使いの常識と一般人の常識は違っているから、一般人がマジョリティであるネットでは疎外感を覚えることはほぼ間違いないし、個人主義が過熱している現代のネットでは助けてくれる存在もいない。
孤立し、悪意にさらされ、利用しようと企む下種が集う。
お嬢様として育てられた善人たちに囲まれて生きてきたアリスには、かなりキツい環境なんだ。
そう――今回のように、ネットにいれば珍しくもなんともない、単なる巡り合わせで付いた傷が、酷く膿んでしまうような深い傷になってしまうくらいに。
だがはっきり言おう。今後アリスがVtuberで居続けるのであれば今回のことなど些事だ。必ずこれ以上の痛みが彼女を襲うことははっきりしている。
それを知っていて放置してしまったのなら、責任は取らなきゃいけないだろう。だって、親友なんだから。
§
「メッセージはやっぱり見ない、か」
勇気が出なかった。彼女を一人にした。
「そうよね、美智のメッセージも見ないなら私のだって見ないわよね」
そして、そのせいで防げていたかもしれない心の怪我をさせてしまった。
「……なら、仕方ない、わよね」
これは贖罪であり、私のわがまま。
もうこれ以上親友が傷つかないようにする。
私がVtuverとしてのアリスにトドメを刺して辞めさせる。
元の場所に――彼女にふさわしい場所に帰してあげる。
「《
だから、本気で傷つける覚悟を決めよう。
「《――繋がれ、私の魂よ》」
私はあの日、とある仕掛けを施した。
アリスのPCをセッティングするときにリモートアプリを導入。知識が身に付いて突っ込まれたときを考えて、初心者であるアリスを助けるために入れたという建前も用意してある。
そして彼女のアバターであるエリスは私が描いた
《やれるとしたら、アバターに自立思考ルーチンを入れて、自分自身との会話とかかな? でもわざわざVtuverでやる意味はあんまり感じないかも》
秤との会話で思いついた悪事。それは自立思考ルーチンであると偽って、私自身がアバターを乗っ取ること。
私が描いた魔画は、私の魔法が詰め込まれた私の一部。ネットの海に漂って薄まったりしない限り、どれだけ離れていても私との繋がりが消えることは決して無い。
ネット経由ではなく、データ本体をわざわざ彼女のPCに入れてあるのはこの魔法の為。
……もしかしたら、私は魔法の資格を失うのかもしれない。私はこれを悪事だと認識している。明確な意思で悪事を行おうとすれば魔法の資格は消え失せる。
でも仕方ない。アリスが傷ついたことは私に責任がある。喧嘩も、今日の失敗も、私の努力で防げたことだ。
もちろん馬鹿げた覚悟だって自覚はあるよ? たかがネットで罵倒された人を助けたいってだけで魔法失うリスクを背負うって、いくらなんでもないよねぇ。
でもさ、例え魔法を失うとしても、彼女がこれ以上傷つかないことを優先する。それが親友ってやつでしょ。
「《今より、私がエリスである――支配されよ、我が下僕》」
さあ、親友に嫌われに行こうか。
§
争いが苦手だ。
私は競い合うとか、戦って勝利を得るとか、そういうのが苦手。楽しいことをしていたいし、笑い合える時間が良い。
喧嘩が苦手だ。
自分の気持ちをぶつけ合うのは得意じゃない。私はあんまり深く物事を考えるのが苦手で、自分の気持ちも感情のままに話してしまうし、上手な言葉にするのが下手くそだ。だから、いっつも相手の地雷を踏んでしまう。
だから、人付き合いが苦手だった。
子供の頃からずっと、上手くいかなかった。
でも魔法はそんなことを忘れさせてくれるほど、大好きだった。
キラキラと輝くどこまでも続く可能性。まだまだ不可能なことは多いって言われてるけど、その不可能を切り開いて進んでいける輝きが魔法にはあるんだって。
その先が見えるのなら、人生の全てを魔法に捧げていいとさえ思ったんだ。
だから魔法学園に入学した。きっと入学する人達はみんな私みたいに魔法が大好きな人達で、私には思いつかないキラキラを見せてくれるって思ってた。
人付き合いが下手な私だって、きっと魔法が好きな人達なら友達になれる。ううん、きっと親友にだってなれる。
そう期待していた。
でも――私は天才だった。
私にはわかることが、他の人には分からなかった。他の人には辿り着けない場所に私は立ってしまっていた。嫉妬された。別の者だって分けられた。諦める目を向けられた。魔法が大好きでキラキラしてたはずなのに、みんなみんなキラキラを失っていった。
争いは苦手だ。
競い合うなんて嫌いだ。
Aクラス? 天才? 要らない。そんな上に立っている証明なんて要らない。……私が欲しかった学園生活はこんなのじゃなかった。
でも言えない。否定してはいけない。
私が拒絶すれば、私を見て諦めた人達に申し訳が立たない。キラキラを奪った私は、誰よりキラキラしていないといけないの。
天才は天才であり続けなければならないんだから。
ねぇ、ユウ。
実は初めて会ったのは入学式の日じゃないんだよ?
外部入試の日、私は魔法研究で学校にいたんだ。何故か学園長に入試を見てもらってたユウが気になって、覗き見してたの。
私と同じくらいの背丈。びっくりするほどスレンダーで、少し病的な白い肌。
漆黒の髪は棘のように鋭くまっすぐで、襟足で綺麗に揃えられている。
髪と同じ色の目は吸い込まれそうなくらい真っ黒で、刃物のように鋭く、恐ろしい。
第一印象は――死神のようで怖い、だった。
けれど、あの魔法を見た。あの美しい世界を見てしまった。
今まで他の人が使ってきた魔法は、殆ど再現出来るものだった。先生たちが使う魔法ですら、いつか届くって確信が持てた。
でも、ユウの魔法だけは違ったの。
一目見た時に、絶対に届かないって分かっちゃったの。
ねぇ、ユウ。
エスカレーターで上がって同じ顔ばかりのAクラスに、外部入学で入ってきたユウが来た時の私の期待と恐怖、ユウにわかるかなぁ。
私に向けられた感情の色に、負の感情が混ざっていなかった時のほっとした気持ち、わかってくれるかなぁ。
流石に、最初の言葉が私の胸の大きさについてだったのはびっくりしたけどね。おっぱいでっか、って初対面の人に言うのはセクハラですよ~。
でもユウは私の胸が好きなんだなってわかったからよかったのかも? 押し付けると感情の色がピンクになるし、悪い気がしないし。死神みたいなんて印象、あっという間に消えちゃった。
ね、ユウ。この学園でAクラスになれるのって凄いことなんだよ? ユウは単なるクラス分けって思ってるみたいだけど、みんなの憧れのクラスなんだよ?
そんなところに無自覚でいられてしまうなんて、なんて鈍感なんだろうって思うけど、でも嬉しいんだ。Aクラスとかそんなこと関係なく、私と一緒に居てくれたってことだから。
本当に、本当に嬉しいことなんだよ。ユウと出会えたことが、私の人生の福音なんだよ。
一緒に居られるのなら、どんなことだってしようって、魔法を二の次にしたってかまわないって初めて思えた人なんだよ。
だから、だから――。
§
「えへへ……失敗しちゃったなぁ。ユウと一緒に居たかっただけなのになぁ」
ユウへの感情が恋心であると自覚したのは四月の内。我ながら友情が恋に変わっていくのが早いと思う。ちょっと気恥ずかしくて、それでいて楽しい。恋ってすごいんだなって、ママが私に言っていたことは本当だったんだなってそう思えた。
みっちゃんに相談をした。なんとも困った顔をされた。みっちゃんはあれでいて凄く常識的で、女性同士の恋愛は痛みを伴うと忠告してくれた。でもね、それでもよかった。たとえ痛くたって、ユウと一緒に居られるならそれでいいって。
でもそれをユウが受け入れてくれるかはわからない。もし拒絶されたら? そう考えるととても怖い。親友で居続けてくれないかも。一緒にはいられなくなる? ……嫌だった。だからズルを教えてもらった。
ネットで配信者としてユウと一緒に活動する。それもまるで恋人のように。
みっちゃんはユウはかなりネットに深い人間だと言っていた。そういった活動をするとユニコーン(?)とか色々湧いてくるから、より活動範囲が狭くなって逃げ場が無くなっていく。ユウならば魔法絵師としての人気とか、炎上とか、色んなリスクを考えて必然的に私以外との交友を減らすだろう、と。
そしてネットでユウと私が恋人であると考えられていれば、それに意識が引っ張られるじゃないか、と。
最初は顔出し配信者で提案、きっとそれは断るだろうから次にVtuberを。依頼をユウにすればママとVという絶対的な絆が生まれる。そのあとはママと一緒に配信する、という体で世間に彼女との仲を信じさせていけば良い。
みっちゃんはなんて凄いんだろう。こんなこと私には考えつかない。そしてとてもとてもズルい。すっごい。みっちゃんはそれは本当に褒めてるっすか? と首を捻ってたけど、すごいよ。
だけど事は簡単には運ばなかった。
まず一緒に活動するってことを伝えられていなかった。これは単なる私のミスだけど、かなり大きなミス。前提がズレてしまったことで私はソロでの活動を余儀なくされた。
次にユウがかなりのネット嫌いであったこと。みっちゃんもこれは想定外だったみたいで、困惑していた。いつもネットのネタについてこれるし、嫌な顔もせず突っ込んでくれるからこっち側だと思っていた、と言ってた。
私は詳しくないからわからないけれど、ユウは休み時間になるとずっとスマホを弄っているし、部屋にはかなりしっかりしたPCがあった。ネットが嫌いと言いながらずっとネットに触れているのはどこか矛盾している。
何か理由があるのかもしれない。私はユウのことが好きだけど、まだまだユウのことを知らないのだから。でも嫌いな場所に居続けなきゃいけない理由ってなんだろう。きっと辛いだろうに、なんでやめないんだろう。
……矛盾、かぁ。
§
『いい? アリス。矛盾は心の特権よ。矛盾しながらも毎日を生きることができるのは素敵なことなの』
それは小学生のころにクラスの子と喧嘩したときの話。
学校の授業で矛盾という言葉を習って、習ったばかりの言葉を使いたくて仕方ない私は嘘を吐いた同級生に指摘して喧嘩になった。
『特権?』
『そう。特権よ……パパの受け売りだけどね』
ママはよくパパの受け売りと言って色んなことを私に教えてくれた。パパのことはほとんど覚えていないけれど、ママが凄く楽しそうにパパのことを話すから、パパは素敵な人なんだろうなって思っていた。
『うーん……でも矛盾してたら怒られるよ、先生とか嘘を吐くのは悪いことっていってたもん』
『ふふ、そうね。嘘はあんまりつかない方が良いかもしれないわね。でも矛盾と嘘は別物なのよ』
『そうなんだ。なんだかむずかしい……』
嘘と矛盾の違い。高校生になっても判断が未だに難しいところがある。大人になったら見分けがつくようになるんだろうか。
『ママは矛盾が嫌いだったけどね~。言ってることとやってることが違うじゃない! って怒っちゃう』
『む~! ママも怒るんじゃん!』
『でもママはよく矛盾したことをしていたわ。矛盾を許していたパパは逆に矛盾なんて全然していなかった』
『そうなの? 嫌いなのにしちゃうの?』
『そう。嫌いなのにしちゃうの。したくないって思っててもしちゃうのよ。ふふ、この時点で矛盾してるわね? でもパパはしなかった。ね? パパって凄いでしょう』
そのあとはずっとパパがどんなに素敵だったのかをママは語り続け、私は寝ちゃった記憶がある。
§
「……ふふ」
ママの惚気話を思い出したら少し笑えた。パパのお話をするママは好きだ。パパのことが本当に大好きなんだなって伝わってくるから。
私だってそんな恋をしよう。全力で捕まえよう。そう思って……私の下手くそな言葉で喧嘩した。
「……はぁ」
心が真っ暗になる。目をつむると先ほどの罵声ではなく――ユウの声が
『どういう意味? 私が手を抜いてたから負けたって言いたいの?』
ユウ。
『……っ! 馬鹿にしてっ! 手なんて抜けるはずがないでしょう! 私を貴方みたいな天才と同じ扱いしないで――!』
ユウは、天才なんだって、気がついてよ。
『うるさいうるさいうるさい! でていってよ!』
あの魔法を使えば私なんて簡単に追い抜かせるのに、なんで使わないの。
私と本当の意味で一緒に居てくれるのは、貴方だけなんだよ?
お願い。
私を一人にしないで。隣にいて。私だけを天才だなんて思わないで。
お願いだから。
お願い、だから――。
『――ふむ、案の定というべきか。聖陽アリスよ、塞ぎ込んでいるな』
「……え、だれ?」
一人の部屋に響く声。今日はママもいないから、誰もいないはずなのに。
『これは失礼、姿をお見せしよう』
スリープ状態のPCが明るくなり、そこからあまりに強すぎて部屋の色が吹き飛ぶほどのまばゆい光が生まれる。とっさに目をつむっても焼け付いた光で視界がちらつく。
『おっと、すまない。我が
揺らぐ視界を何とか戻して、ぼやけた
ツインテールの金髪を
『初めまして、聖陽アリス。我は宙才エリス――君の夢を終わらせに来た者だよ』
※作者より
なんか書きたいこと書いてたら普段の倍くらいに文字数跳ね上がってしまいました。お許しください!
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