迷い人は眠らない
寄賀あける
1
コーヒーに角砂糖を入れていた
「ボクの領域に誰かが迷い込んだ」
「うん? 今日は予約、入ってないよ?」
「バンちゃん、馬鹿なの? 迷い込んだんだよ。予約客なわけない ―― あぁ、砂糖、いくつ入れたか判らなくなった……一から始めようかな」
「もう五個入れたよ。それ以上入れちゃダメ」
「バンちゃんのケチ……」
敷地をぐるりと囲む
けれどやはりここも、ひとつながりの世界だとアプローチの入り口に立てられた
初めて来た街だ。飛び乗った電車の終着駅だった。職場に向かうはずだったのに、なぜか反対方向の電車に乗った。
駅を出ると霧が出ていて、全てが
どこに行くあてもなく、
アプローチは手入れの行き届いた庭を楽しめる作りになっていた。ある意味『美容室』は別世界への入り口かも知れない。今までの髪型から新しい髪型に変わる、生まれ変わる場所かも知れない。そこへの導入に、この夢の中で見るような花咲く庭は
(わたしも生まれ変わりたい。今のままでは、このままでは……)
生活に埋もれて、自分を見失う。もう見失っている。唯一の心の支えも、もう見えない。
庭によく似合うその建物の屋根は大きく傾斜し、窓があるがきっと二階ではなく、せいぜい屋根裏部屋だ。
白いドアの
こんな音で中に聞こえるのかしら? それより、本当にここは美容室? 美容室って、たいていガラス張りで中が見える。ここにはメニューや料金の表示もない。
「はい、美容室ペレグリンです」
急に声がして佳代子を驚かせる。どこかにスピーカーが取り付けられているのだろうか?
佳代子が戸惑っていると、
「本日はどのような?」
と訊いてきた。
「あ……髪を、カラーをお願いします」
「お客様、ご予約いただいておりますか?」
「いいえ」
「お待ちください。美容師に確認して参ります」
ひょっとして
「お待たせいたしました ―― 幸い本日は予約に空きがございます。お客様さえよろしければ、お通しするよう美容師が申しております」
どうしよう……いまさら料金を聞くなんて恥ずかしい。
「ただし、お客様にご確認したいことが二点ほどございます」
「確認?」
「はい。二点とも美容師についてとなりますが、無口と申しますか……気の
「はい」
むしろ黙っていてくれたほうがいい。
「もう一点、こちらのほうが重要です。美容師の、見た目に少々、
見た目に難? 男性だか女性だか知らないが、
「あの、見た目に難と
「珍しい目の色をしております。しかも、右と左、別の色です」
オッドアイ……話には聞くけれど、会うのは初めて。そんなに嫌じゃない、と佳代子は思った。
「気になりません」
「では、お通しいたします」
「あ……」
やっぱり先に料金を聞こう、どうしても気になる。
「あの。料金はおいくらほどになりますか?」
「当店は一律で
「満足度?」
「はい。仕上がりをご
「そうとう、技術に自信があるのね」
「いかがいたしますか? お入りになりますか、それとも?」
そんな自信家ならば、ひょっとしたら自信を分けてくれるかもしれない。
「お願いします」
そう言い終わるとともに、ドアが内側に開かれる。薄ぼんやりした照明の中、ドアを押さえているのは若い男性だ。
色白で、端正な顔立ち、茶髪にはメッシュが入っている。白いウイングカラーのシャツは、袖にゆったりと
「お入りください」
夢の中を歩くような心持の中、足を中に踏み入れる。後ろでドアが閉まる音がし、急に部屋が明るくなる。
見渡すと部屋は円形で、窓がないのか、
建物の外見とそぐわない気もするが、見上げると光が差し込んでいる。傾斜した屋根にあった窓からの光だろう。
さらに進むと奥に、足元まで見えるほど大きな、美しい縁取りが施された鏡が置かれ、その前に
「お荷物とお召し物をお預かりいたします。少々お待ちください。美容師がじき、参ります」
佳代子が椅子に座ると、グルッと椅子を鏡に向かわせて回し、男はどこかへ行ってしまった。どうやって椅子を回したのだろう。あのデザインで、回転させる機能を持たせるなんてできるとは思えない。そう言えば、高さを調整できるようにも思えない。でも事実、ぐるりと回ったのだから、私には判らない仕掛けがあるのかもしれない。そんな事を考えながら、佳代子は鏡に映る自分を見詰めた。
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