第2話『持たざるふたり』

「ヤタ様、おはよー! 今日は早いねー!」


 マグの中身も半分ほどになり、皿も空になってそろそろ小屋に戻ろうかと考えていると、後ろから聞き慣れた声が聞こえてきた。


 むらさきがかった青髪の上に、檸檬れもん色のキャスケットを被った元気のよさそうな少女が小屋から出てきた。暗めの灰色の長袖ながそでに、紫の花のワンポイントが入った黄色の半袖はんそでを着たような服。そして空色のミニスカートを穿いている。

 彼女は竜胆りんどう花梨かりん、人間の女の子に見えるがそうではない。彼女は竜族りゅうぞく――正確には竜人族りゅうじんぞく末裔まつえいなのだ。


 かみかくれて見えないが、実際つのっぽい何かはある。頭をでると人間にはないみょうな出っ張りがあって、それがかろうじて角の存在を主張している。逆に言えば、それくらいでしか人間という種族でないのを確認できないし、実際のところ庭園を観光しに来た人に人間と間違えられている。当の本人はあんまり気にしていないみたいだが……。


 彼女の両親いわく、彼女のように竜人族の主な特徴である角、つばさ尻尾しっぽが同時に発現しない(彼女の角は発現していないに等しい)のはかなりまれで、竜人族最大の居住地である龍刃島りゅうじんとうですら数百年例がないらしい。


 そういう特殊な事情があって、現在は親元を離れてここで暮らしている。

 彼女のために断っておくが、決して厄介者やっかいものあつかいされているという訳ではない。むしろ大切にされているからこそ今ここで、鴉野山からすのやまで暮らしているのだ。


 もちろん親子の仲は良い。時折むすめの様子を見に、ここにやってくる。両親と彼女が話している様子はいつも温かく、楽しげな雰囲気ふんいきに包まれている。


 そんな彼女は、私のことを「ヤタ様」と呼ぶ。


 最初の頃はそう呼んでいなかったのは確かなのだが、いつからかそう呼ばれるようになった。最初のうちは、様付けで呼ばれるほど私はえらくないのですが……と困惑こんわくしていたのだが、リンがそう呼ぶのを気に入っているようだったので特に何も言うことはしなかった。

 そのうちその抵抗感ていこうかんうすれて、今ではすっかりそう呼ばれるのに慣れてしまった。


「おはようございます、リン。天気が良かったものですから、外で軽い食事をしていただけですよ」

「朝ごはん、食べちゃった、のー……?」


 空の皿が見えたのだろうか、リンの元気がしぼんでゆく。


 いつも一緒に朝食をっているので、裏切られた気分にさせてしまったでしょうか。それは良くないことなので、何とかして立て直さなければいけません。


「いえいえ、これはほんの軽い食事ですよ。流石さすがに私もこれだけでは足りません」

「たりない……? 一緒に食べれるのー?」

「ええ、一緒に食べましょう。私の分も、リンの分もこれから作りますよ」

「やったー!」


 リンに先程の元気が戻った。


 しばらくは、こうしてひとりで食べるのは自重じちょうしましょうか。食べるにしても、もう少し時間を早めて、見られないように注意しなければいけませんね。


「それじゃー、デザート採ってきていーい? いっしょに食べよー?」


 あごに手を当てて小考する。


 これは流れ的に絶対に断ってはいけないのですが、少々問題があります。小屋のバスケットはもう一杯で置く場所はない……いや、別に採ってきたのを食べきれば特には問題にはならないはずです。


「ふたりで食べきれる量ならいいですよ」

「はーい!」

「ところで、何を採ってくるのですか? 葡萄ぶどうなし林檎りんご無花果いちじくはバスケットに入ってるので……」

「おうちにないのが食べたいよねー? うーん……」


 今度はリンが考える。


 庭園には様々な果物くだものが採れるのですが、何をチョイスしてくるのでしょうか。


「そーだねー……見てきてから考えるねー!」


 答えになっていない答えが返ってくる。


 恐らくリンの中ではいくつか選択肢せんたくしが上がって、選べなかったのでしょう。特に聞く必要もないですし、戻ってくるときにそれがわかる方がきっと良いはずです。


「そうですか、それでは楽しみに待ってます」

「はーい! それじゃ、たのしみにしててねー!」


 そう言うと、日課の見回りをしに秋めく山に向かって駆けていく。

 リンの姿が見えなくなるまで見届けると、コーヒーが残ったマグと空になった皿がったトレーをもって小屋に戻る。

 庭園の見回りをし、季節の果物を採って帰ってくるリンの朝食を作るために。


  △===▽


 おうちを出てからしばらく歩くと、最初の分かれ道が見えてくる。

 昨日は右の方を通ったから、今日はこっち。左の方を選んで、そのまま歩く。


 ただの散歩をしているんじゃなくて、これはちゃんとしたお仕事。てーえんの見回りという、大事なお仕事をしている途中なのだ。

 このお仕事は毎日2回、それぞれ1時間くらいの時間をかけて、てーえんの道を歩いて、植物に変なところがないか確認するというもの。てーえんの植物に変なところがあったら、さっき話してた背の高いおにーさんに報告しなければならない。


 そのおにーさんは誰かと言うと、名前は確かヤタさ……あれ?


 名前が出てこない。いつも、名前でその人のことを呼んでいないからそうなってしまう。それでも、どこかにはその名前をしまっているはず。頭の中を探し回ってみる。


 ……ヤタ、す……すい。そう、ヤタスィ。その人の名前は、ヤタスィ。


 何とか思い出すことができた。

 続いて、苗字の方を頭の中から探す。


 苗字の方は、バラが入ってたと思うからー……。あれ、どんな感じだっけ?


 名前の方もそうだけど普段呼ばない部分だし、結構長くて覚えにくかったからなかなか思い出せない。


 バラ、バラ……ローズ、だったっけ? うーん、もっと長かったような……?


 しばらく考えてみたけど、結局これだ! っていう感じのは出てこなかった。だけど、苗字にバラが入っていて、素敵な感じだったことはおぼえている。


 苗字を思い出すのは失敗してしまったけど、あたしはその人のことを「ヤタ様」と呼んでいる。ずっとそう呼んでいるから、あたしの中でヤタスィという人の姿は、ヤタスィではなく「ヤタ様」という名前で結びつけられている。


 ……うん、ヤタ様はヤタ様だねー。


 あたしからみたヤタ様は、いつも静かで落ち着いていて、とっても優しい。失敗した時も優しくしかってくれて、怒らない。そもそも、怒っているところを見たことがないし、怒られたこともない。注意されたりしたことはあるけど、その時も優しく注意してくれる。


 ヤタ様は人間で、人間は魔法を使える種族だと教わっている。

 だけど、ヤタ様はちょっと変わっていて魔法が使えないみたい。魔法を使っているところを1回も見たことがないし、ヤタ様も『私には使えないものです』と自分で言っている。


 そんなヤタ様は、このお山全部を持っていて、その中にこのお庭、てーえんを作った人でもある。

 あたしがここに来る前から、ヤタ様はこのお山にいろんな植物を植えていって、てーえんを少しずつおっきくしていった。 

 あたしがここに来た時には、全部がてーえんじゃなくて普通のお山の場所もあった。その時は、今よりももっとちぐはぐで変な感じがした。


 今は、お山のほとんどがてーえんになっているから、そんなに変な感じはしない。それでも、全部がてーえんになっているわけじゃなくて、お山のてっぺんとかは自然のままで残っている。そういうところは、お庭にするのが難しいみたい。


 あたしたちは、そんな不思議な場所、お山のてーえんの中に住んでいる。

 前に、ヤタ様がなんでこんなに不思議な場所に住んでいるのか聞いたことがある。

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