イト
絡まった糸を丁寧に解いていく。一本一本千切れないように、慎重に。これが中々難しい。一度絡まった糸は戻すのに時間がかかる。解いたと思ったら別のところで絡まっている。新しい糸にもよりができている。辿っていった糸が途中で途切れることもある。四方八方にのびる糸のその先はここから途方もなく広がっていた。時間がかかるけど、これは必要なこと。
朝、起きると窓は昨晩の冷気で降りて凍てついていた霜が、朝日によって溶けたのか結露している。わずかに残る氷が陽の光を反射してキラキラして綺麗。
居ても立っても居られなくなって窓を開けると、冬特有の澄んだ冷たい風が部屋にはいりこんできた。いつのまにか、窓から見える遠くの山々が真っ白な雪の帽子を被っている。
生命はごく僅かな植物を残して眠りにつく時期ーー冬。
私たち兄弟がこの季節に抱く思いはそれぞれ、レオスは寒さが苦手だから機嫌が悪い。それに、他の季節に比べると私に対しても過保護になる。
「エレーヌ、窓を開けるのはもう少し太陽が上に昇ってからにしなよ。 寒い 」
「水は冷たいから霜焼けしちゃう、気をつけなよ 」
「外套をちゃんと羽織なよ。 なんでこんな寒い日に外に出ようとするわけ? 風邪ひいたらどうすの 」
私はこの季節は嫌いではない。寒さで凍えて震えてしまう夜もあるけれど、そんな時には大抵レオスが潜り込んできてくれて、互いの体温で温め合う。私たちだけの秘密だ。トクン、トクンと私の対の心臓の音を聞いていると自然と安心して眠りにつける。かつてひとつだった私たちだけが体感できる対の温もりはトクベツな時間だった。
季節は巡り巡り、残酷にも時は過ぎていく、エディ兄様の状態は思わしくない。兄様を守るための計画が変更になった。いつ ≪呪い≫ が発現して暴走を起こしてもいいように、被害を最小限にして兄様の器としての生命を守ることに注力することになった。言い換えると、ミィアス国の第一王子の命が助かれば他の犠牲は厭わない。という意味だ。
私たちは ≪エピソード≫ が未完成の時点で、理がくずれると、プシュケーを蝕んでいき少しずつ ≪混乱≫ を起こしてしまう。神により予め定められていた運命が狂っているからだ。均衡が保たれているプシュケーと器が飲み込まれた場合、 ≪呪い≫ が発現してしまう。 ≪呪い≫ は人間に甚大な被害を及ぼす。創り出した者は器が助かったとしてもその後の他の ≪エピソード≫ や運命、人格が歪んでしまう。このことを ≪エピソードの混乱≫ という。
エディ兄様の場合は ≪エピソードの混乱≫ を起こす一本手前だ。今まで兄様の失われた ≪エピソード≫ を探ってきたが、無くなった原因は未だ不明と公式にはされている。私にもはっきりと伝えられていない。
結局は兄様の運命は変えられないのか、≪エピソード≫ が未完成ということは、もう発動するための条件は永遠に揃うことはないのだろう。もしかしたら、母様の死が関係しているのではないかと思っていた。
(母様、私は第三者の視点でしかわからない人ーー。 母様の死が兄様のエピソードと関係ある場合、何故そのことを隠さなければいけないのだろうか? )
≪エピソード≫ を知り得るものは、ただ神とミィアスの王のみ。ーー王も神の代わりに ≪神の力≫ を管理する ≪神の子≫ として夢でみれるのみだった。≪神の力≫ を持つ物が捕えられている神の理を読み取るには膨大な体力と力を消費してしまう。 しかも、次世代の ≪神の子≫ が生まれると力も弱くなっていくため、 ≪エピソード≫ を必ずしも全て読み取れるという確証はなかった。
かつては ≪エピソード≫ を完成し全てを達成させるために、贄を捧げることがあったらしいが、近年ではその事例はない。人為的に欠けた ≪エピソード≫ を補充しようとしても、必ずしも ≪混乱≫ が起こらないという確証が得られないからだ。
一本一本の糸を千切れないように、真っ直ぐに解いていく。どうしても絡まりが取れない場合は、今は解ける時ではないのだろう。昔からのキツイ結び目も、新しい絡まりも幾つも混在していた。
繋がれた糸に今できることをしようと、私はレオスとの衝突があって以降、彼とは積極的に二人きりの時間を作るようにしている。お互いのことをわかっているからこそ、知らないことがないように、隠し事は無し。そんな約束をしたのは記憶に新しい。
そして、私たち双子にも力が暴走して器が壊れないように、力を使えない時に器を守りつつ生き残るためにと武術の実技がはじまった。『闇雲に ≪神の力≫ を酷使してはならない。力を使いすぎるといずれ神に意識を呑み込まれてしまうーー 』そんな教えが残るほど力の使用機会は慎重さを求められる。私たちは力を正しく扱えるように、そして大切なモノを守ることができるように力の制御の方法を習った。
ーー≪神の力≫ を持っていても所詮
年齢を重ねるとどうしても器の力の差はでてきてしまう。それは、私たちは本物の神ではないからだ。レオスの剣捌きは素早く、彼は瞬時に相手の行動を予測して最適な次の行動を予測できるほど頭がきれるので、いつも剣術では負けてしまう。
「エレーヌ、大丈夫? 休憩したら 」
「…はぁ、はぁ。なんでレオスは余裕なの? 全然疲れてないじゃん 」
「…… もしかしたら、将来エレーヌを一人で守れる時がきてもいいように 」
レオスはレオスなりに、将来を考えて既にアクションを起こしている。私が守りたいものがあると伝えた時から、彼なりに色々考えたみたいだ。ちょっと私に対して前より過保護になったのもきっとそのせい。
ノータナーと唐突に約束してしまった乗馬のこと。あれからノータナーは馬に乗れるようになるために、合間を縫って馬術の実技にも積極的に参加しているそうだ。
馬術といっても手綱を握る馬にも種類がある、彼が練習しているのは争いにも慣れていて持ち堪えられる馬。戦闘用の馬には、戦車用の馬もいるが、手懐けるには単騎よりも筋力や慣れが必要だ。≪神の力≫ を持っているといっても、まだ早いし危険だから乗ってほしくはない。
それに、必要以上に怪我をしてほしくないとも考えている。最近は手綱を握り過ぎているのか、手に所々擦り傷や切り傷を作っていた。本人は至って平気な顔をしているので、私も表情には出さないようにしているけれど、正直辛い。これからも戦闘の度に手は怪我をしてしまうだろう。私を守るために契約しているのだから尚更。
(それなのに私のために怪我をしないで欲しいと思うのは我儘だろうか? )
私が今してあげられることは、ノータナーと打ち解けてユディとの関係造りでトラウマを残さないようにすることだけだった。今度手を守るための手袋を贈ろうと、最近はいい革がないか探しているところだ。
糸はいくつあってどれがどこで絡まってしまっているのか、それを探すのにも時間がかかった。解いても解いても、一度ぐしゃぐしゃにしてしまった糸は戻らない。
あっという間に月日は過ぎていく。そして、物語 『オルフェウスの希望』 の主人公ユディが誕生する年が来た。
この年はエディ兄様の力が暴走してしまう年でもある。
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