ソレが言葉となって、感情になって溢れ出てくるのは時間がかかったけれど。不安はこの一年ちょっとで、堪えきれないほどにまで成長していた。それはエレーヌに向ける感情が少しずつ変化しているからだ。





 確実に僕の中でソレは芽吹き、根を張り、そして僕のプシュケーが色を変えてしまうほどに、じわじわと蝕んでいった。ソレが言葉となって、自制できないほど溢れていく。ハッとして気がついた時にはもう、普段は自分の中で浄化できている気持ちも全てエレーヌへとぶつけてしまっていた。






 相手がエレーヌだから、全てを打ち明けられる。こんな感情を抱いている僕も僕だと受け止めて欲しい。エレーヌなら赦してくれる、そんな安心感があった。でも、僕のプシュケーはちょっと不安定だから、傷つけてしまう前に、暴走を起こしてしまわないように止めてほしい。







ーー思えばソレが芽吹いたのには、エレーヌのせいだ。エレーヌが僕のプシュケーの中に種を蒔いた。それは、嫉妬と不安がごちゃ混ぜになって生まれた。何故なら、エレーヌのことで知らないことがあるのが僕は耐えられなかった。




 僕がエレーヌに向ける感情は僕らは昔ひとつだったことに由来する。僕が思っているより遙かに僕らは縁で結ばれていた。だから、エレーヌの人間関係が広がるたびに、どうしようもなく苛ついて心配になってしまう。








 エレーヌが目を覚ましてから、僕の世界に再び太陽が戻ってきた。それは明け方の暗闇から空が温かな色で染まっていくように広がる、灯火。僕の希望だ。


 

 でも一方で、彼は誰時と言われるように、それが何なのかまだ判別がつかないような、危うさを持っていた。




 エレーヌが目覚めたことで起こる出来事。僕の知らないエレーヌ。もし、誰かがエレーヌのことを独り占めしたら?ーーまだ起こるかもわからないエレーヌのことを考えて、その誰かが羨ましいと思ってしまう。




「やっと僕のはんぶんが戻ってきた。 僕の目を見てくれる 、僕の名前を呼んでくれる 」



 エレーヌの両目に輝きが戻ってきたとき、これまで以上の喜びを感じると同時に、僕の不安の目覚めでもあった。






 エレーヌが目覚めて、僕の名前を読んでくれるたびに、荒れていた僕のプシュケーは清らかになった。そうして、安らかに正しく歩んでいく僕の時間と共に、プシュケーは平穏を取り戻していった。だけど、エレーヌが次第に僕以外と過ごす時間が増えていくと陰りが生まれてきた。




 眠っている時は、僕だけのエレーヌ。僕が独占できた。僕のそばにいて、相槌はついてくれないけれど、一緒にいることはできる。見える範囲にいて、エレーヌの全てを解ることができる。僕の知らないエレーヌはいない。




 でも、起き上がったエレーヌは自由に行動ができる。僕が部屋を訪ねると、いつも寝台にぐったりと横たわっていたはずのエレーヌがいない。それだけで僕の心臓はバクバクと波打ってしまった。



( エレーヌがいない…… 遠くに行ってしまったらどうしよう? 変なのに捕まったら最悪だ )



 エレーヌは厄介なやつに惹かれやすい。その上、みんな独り占めしようとする。僕はその危険を察知できた。エレーヌが誰かに取られるのが嫌だから。僕のはんぶんを奪おうとするやつが気に入らない。これが僕の力だと思うほど、エレーヌに関することには敏感だった。






 この一年でエレーヌの周りには、より多くの人が集まった。エレーヌに特別な感情を向けているのが不思議とわかってしまう。これも僕だからできること。






 いちばん嫌だったのは、エレーヌが ≪血の契約≫ をしたことだった。天秤の審判を受けさせるだけでも反対だった。エレーヌのプシュケーは清らかだからそれに惹かれて、また集まってしまう。天秤に証明されたとなれば、エレーヌのプシュケーの美しさが国内外に広がってしまう。エレーヌが知られてしまう。




「…… エレーヌに天秤の審判を受けさせるなんて! 僕は反対。 ねえ、なんとかならない? 」




 僕を部屋まで迎えに来た宰相に苦情を言うが「陛下の判断ですので 」と意見は突っぱねられる。父様の下で忠誠を誓っているようにみせているこいつも嫌な気配がする。エレーヌに向ける目が物語っていた。






 嫌な予感はすぐ当たってしまう。天秤の審判が終わると、エレーヌは父様たちと話があるからとエディ兄様と僕だけが先に部屋にもどされた。僕のプシュケーはほんの少し右寄りの水平で止まっていつも通りだったから、大して気にしていない。でも、隣のエディ兄様は天秤が左に傾いたことを気にしている。審判を受けるたびいつも。



 

 エディ兄様になんて声をかけていいのか、触れようとした手は宙ぶらりんのまま、アーティ叔母様に背中を押されて祭壇の部屋から退出するように促される。この時横目に見た僕らと入れ違いで部屋に入ってきた、暗い髪の色にしてはやけに目を引く目の色を持つ少年に、ぞくりと全身が震えてしまう。これは、何への恐怖だろう。








 部屋にひとりきりで、ぼうっと天井のレリーフを見上げて審判の結果で落ち込む兄様のことを考えていた。




 急に何故か呼吸がおかしくなった。僕は何もされていないのに、僕の器を弄られている気がした。血が誰かと結ばれてしまうような。全身の血の巡りを変えられるような恐怖が駆け巡り、寒さで凍える器とは対称に頭が熱くて割れそうだった。




 なにかの ≪エピソード≫ が発現したのかと身構えたけれど、瞬時に頭をよぎったのはエレーヌのことだった。これはエレーヌを失いそうなときの怖さと似ている。その恐怖が別の脅威になったのは、ノータナーを紹介されたときだった。





 

 ≪血の契約≫ 血で結ばれた主従関係。唯一エレーヌと血の繋がりをもっていたのは、僕だけだったのに。特別なのは僕だけでいいのに。増えてしまった。ノータナーは、主従を越えてエレーヌをどこかに攫ってしまいそうな危うさを感じる。首枷が外れたら、手がつけられない獣のように。これは勘。形は違えど正式に血で結ばれる関係を持っている僕だから少しあいつの気持ちがわかってしまった。





ーーもし、エレーヌが辛くなるようなら攫って二人だけの世界へと逃げてしまおう



 そんな有り得ない考えが、一瞬だけ浮かんでは直ぐに消えてしまった。






 それからというもの、エレーヌのそばを片時も離れないノータナーを毎日みるだけでも、僕は苛立ってしまう。あいつだけでも少し苛ついた日々に追い討ちをかけるように、僕の気持ちを知ってか知らないうちにエレーヌは、エディ兄様が体調を崩してからより一層、僕の知らないところで思いもよらない行動をする。






 凪いでいた海に、雨雲がもくもくと増えていき、突然の嵐に見舞われた。そのときの雨が、僕の不安の種を無意識のうちにぐんぐん成長させた。


 




 エディ兄様を助けたい。その気持ちは僕にも勿論ある。エレーヌはそれ以上のことをしようと動いていた。それも、僕に内緒で。ーー種が発芽した。





 エレーヌから、西の塔に住むあいつの気配がする。あいつのことを責めると悲しそうな顔をしてしまうから、言わないけれど。僕はざわざわしているプシュケーを抑えるのに必死になった。ひとりにされたくないから、我慢できた。ーーでも、一度芽吹いたソレはぐんぐん僕のプシュケーに根を張ってきていた。






 

 ある日、エレーヌの雰囲気が変わった。髪が伸びたとかそんな些細な事ではなくて、もっと内面の変化。 ≪エピソード≫ が正しく発現して乗り越えることを ≪エピソードの克服≫ と言う。≪克服≫ すると ≪神の力≫ が強くなり、プシュケーも磨かれると習った。僕は生まれた時に一度発現したらしいから、どんな風に変化が起こるか記憶になかったけど。




( もしかして、エレーヌが ≪エピソードの克服≫ をした? )


 置いていかれるような気がした。




 今までもこれからもずっと一緒にいるはずなのに、手を離されてしまったみたいだった。僕はぽつんとひとりきり。エレーヌが目を覚さなくなった、あの日と同じくらいの絶望。






 深い孤独が暗闇から手を伸ばしてきている。ーーその手は、誰かの手に似ていた。僕のプシュケーはソレに囚われてしまった。


 


 




 

 エディ兄様の病状が回復しない。宮殿の空気もピリピリしている。嫌な感じだ。少しでも、エディ兄様が纏っていた暖かさで自分のなかにある苛立ちを鎮めたくて、会えない分エディ兄様が使っていたモノに触れる時間を増やした。

 




 アーティ叔母様から受けるはずだった帝王学も先生が変更になるそうだ。アーティ叔母様にはエディ兄様や研究で余裕がない。僕も出来ることはしよう。まずは、兄様の資料を読み漁った。


 


 何かあった時にも対処できるように。エレーヌは力が強い分穢れに弱いから、穢れに慣れている僕が力をつければ守れるだろう。エレーヌが見えない何かに備えて準備しているなら、僕も。


 


 エレーヌの計画はそのうち教えてくれるだろう。言わないなら聞き出そう。だって、エレーヌから宰相の気配がする。これまで、関わりがなかったのに。よりにもよって、出自も力も不明な厄介な奴に。



 

 授業を受ける前に、久しぶりに二人きりになれて、エレーヌと同時に知識を深めることができる安心感から、僕の気持ちを隠すことができなかった。エレーヌが心配そうにみている。今まで、ひとりで相談もしてくれなかったのに。ちょっとだけ、面白くない。




 

 今日の先生が部屋に入ってきた瞬間。わかってしまった。シェニアとエレーヌに何かある。授業はシェニアを探ろうとしたけど出来なかった。その代わりに、抑えきれない感情が沸々と沸騰していた。







「どうして、僕になにも言ってくれないの? 」




 せめて少しだけ、我儘を。相談しないで突っ走ってしまう、行動を止めようと不満を。一言だけにしようと思ったのに、止められない。なんでも一人で背負いこむ、僕のはんぶんへと抑えきれない感情が、どんどん溢れてくる。







 


 本当は、エレーヌを取ろうとするやつを一人でも減らしたかった。僕のはんぶんは僕のだ。僕との時間がいちばん大切と思って欲しかった。これからもずっと。誰にも取られたくない。この絆だけは離すもんか。




 


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