カフェ・ビビッドー終幕

Cosmic Dark Age 0.4



「なんや朝帰りかいな」

 地上に降り立った災戯神すみれ小悪魔らんを、関西弁を話す店主は迎え入れる。平成九年度の遠心科卒業生であるビビッド。彼女が経営するカフェ・ビビッドは、遠心科生の憩いの場となっていた。

「自分ら、おとなしなった思たら、なんも変わってへん。まぁええわ。あんじょう上がほとぼり冷めるまで、うちにおったらええ」

 いまやすみれらんは、とんだ反逆者だ。帰ったら捕縛されて、何をされるか分からない。そうした事情を元遠心科生なら理解してくれるかもしれない。相談にと立ち寄ったつもりだったが、ビビッドは事態が収束するまで匿うと言った。それどころか、とりあえず熱いシャワーでも浴びて温かくしぃやと、こげ茶のウェーブのかかった店主の厚遇ぷりといったらなかった。懐の大きな女性だとは思っていたが、それにしてもやりすぎではないだろうか。門前払いも覚悟していただけに、すみれはすっかり拍子抜けし恐縮してしまった。

「本当にいいんですか……? その……」

「なんや? 世界救ったヒーローがえらい弱気やな。自分らはただ落ちて来る隕石弾き飛ばした。ちゃうか?」

「違くないですけど……」

 だいたい、衛星軌道上に変なもん置く方が悪いんやとビビッドは子供っぽく、それでいて不敵に笑った。それから呪文を唱えるかのように、「核兵器及び他の種類の大量破壊兵器を運ぶ物体を地球を回る軌道に乗せないこと、これらの兵器を天体に設置しないこと並びに他のいかなる方法によってもこれらの兵器を宇宙空間に配置しないことを約束する」とそらんじた。

「なんですか、それ?」

「宇宙条約第四条、や」

 一九六六年一二月一三日に採択された宇宙条約。世界の国の半分以上が批准し、アメリカ、中国、ロシア、そして日本も批准している。軌道上に兵器を置いてはいけません――それを破っている国の方が悪いのだ。だから、すみれらんはヒーローなのだと、ビビッドは得意げに語った。

「隕石は大量破壊兵器じゃない? アホぬかすな。人為的に天体衝退行インパクター・ギャップ作ろ思てるやつがよーゆうわ。抑止力がーとか、防衛予算がーとか、そない難しい話はウチらにまかしときぃ。ウチは自分らの味方や」

 それに、そないよう見えん話を気にするほど世界は暇であらへん、とビビッドは鍋に火をかけた。何も食べてへんやろと。言いながらテレビに電源を付ける。画面の向こう側では、防衛増税がどうのとか、記録的な大雪とか、金利がとか、イーロン・マスクのTwitterがとか、そういったことで大忙しだった。誰も宇宙そらの出来事なんか気にしちゃいない。目の前のことで必死だ。

 宿題は山積みだ。解決したとしても、その側から別の問題が生まれていく。そうやって後回しにされた問題の束で、現在の世界は出来ている。五〇年前、日本では第二次ベビーブームが起こったが、その頃から人口減少――少子高齢化が起ると予測はされていた。現在の世界は、人口爆発に喘いでいるが、三〇年もすれば人口はピークに達して減少に転じる。人口減少によって、労働力不足や経済不況に陥ることは容易に想像できるが、三〇年後の問題を考えるより、目の前にある問題の方が大切で、重要で、だからこそ問題は先送りされる。忘却の過去Postponedだ。そして、空想の未来Predictedもまた明るかったことはない。校長先生の式辞はいつだって「これからますます先行きの見えない複雑になる世界において云々」。

 もう複雑すぎてぐちゃぐちゃだ。だから、全部壊してしまいたくなるのも分かる。けれど、空の色と海の色が似ているように、宇宙と深海の色が似ているように、理想の高さと絶望の深さが似ているように、過去と未来の色もまたきっと同じなのだろう。人は現在を生きているし、現在にしか生きられない。明日の気温よりも、今日のお風呂のお湯の温度の方が重要なのは当然だ。宿題が溜まりすぎたからと言って、破り捨ててしまうのは乱暴だ。一日一つ片づける。それでいい。しっかりと温もった身体で眠る。それが、明日の健康の秘訣だ。

「ビビッドさーん。ボク湯船つかりたいからさ、お湯はっていい?」

 そのうち、調子に乗ったらんがこんなことを言い始めた。流石に厚かましすぎるだろと、すみれは我慢するよう言おうとしたが、ビビッドは乗りかかった船だと溜息を吐いて了承した。

「でも、流石にボク一人でってのもなー。すみれもお湯勿体ないと思うよね?」

「…………? え゛?」

「二人で入ればさ、体積も増えるし。ね?」

「いや……、いやいやいやいやいや」

「ははっ、恥ずかしがってんの? カワい」

「はぁ? ちげぇし。らんの方が可愛いし」

「同じ顔のはずなんだけどなぁー」

「おっぱい私よりデカいくせに!!」

 





*****



大好きなふたりへ



 ビビッドちゃん、真実まなみちゃん。私の遠心力は強すぎるから、生まれてくる子どもたちに、きっと私は何もしてあげられないと思う。そして、生み出されてしまった彼女たちも、私と同じように、何処へも行けないまま、見えない壁に阻まれて、立ち止まってしまうと思う。

 強い力を持つ子たちは、みんなそうなんだ。髪がボサボサになって、服がパサパサになって、肌がカサカサになって、それでも何かと戦わなくちゃいけなくて……そのうち自分が自分じゃないみたいになって、もう訳わっかんないよーって発狂したいけど、遠心力のせいで声を届かせる人は、周りにいないんだ。

 私の一生のお願いです。私の子どもたちを……ううん。そうやって、何処に行けばいいか分かんなくなっちゃった遠心少女たちを守ってあげてほしい。導いてあげてほしい。私に出来なくて、ふたりに出来ること。最期まで我儘ワガママばっかりでごめんね。

 大好きだよ。



高円寺こうえんじしょう



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