第19歩 結末を見届けるため、いざ宇治へ

 紫式部と小野篁の墓所から、歩いて大体四十分ほど。今出川駅から地下鉄で京都駅に行き、JR奈良線に乗車。ここから宇治までは二十分ほどだ。思ったより近いな、と有可は思う。

「しかし……そなたも物好きよな。今は生き霊であると自覚したのだから、一気に飛んで行く事もできるというに。わざわざ歩いたり電車に揺られたりしながら行こうとは」

 呆れた様子で、シートに深くもたれたわらびが言う。そんな彼女に、有可は「だってさ……」と呟いた。

「そりゃ、たしかに空は飛んでみたいけど。例えば俺が生き霊でない生身の体に戻った時に、生き霊だった時のクセで飛ぼうとして墜落、なんて事になったらまずいだろ?」

「ふむ。生き霊状態と生身状態の境界がなくなってしまうのが怖い、と。つまり、そういう事か?」

「そんなとこ」

 有可が頷くと、わらびは「なるほど」と言ってから意地悪そうに笑う。

「では、今後は気を付けねばならぬであろうなぁ。一度でも生死の境を彷徨った者は、霊的な能力を得る事があると聞く。生身に戻って以降、儂のような式神は勿論、御坊達のような霊も見えるようになるかもしれぬぞ。ひと目のある場所でうっかり生身の人間と勘違いして霊とお喋りしたりせぬようにな」

「うわ……霊が見えるようになるって、そんなんありか……。気を付けるよ……」

 顔を引き攣らせた有可に、わらびはまた笑う。それから、ふと真顔になって、有可に問うた。

「ところでユウカ……一つ、気になっている事があるのだが……」

「? なんだ?」

 不思議そうに首を傾げると、わらびは言い難そうな顔で口をもごもごと動かして見せる。

「その……そなたは、己が今生き霊となっている事を自覚した。生身に戻ったらやりたい事も、薄らとではあるが持った……と思う。だと言うのに、未だ生身に戻る様子が無いのは……まだ、生きるのがしんどいと思うておるのか……?」

 その問いに、有可は即座に首を振った。否定を意味する、横にだ。

「いや。今はさ、早く生身に戻りたいって思ってる……と思う。勉強して、あの手紙を自分でちゃんと読んでみたいからさ」

 そう言って、膝の上に載せた鞄にそっと触れた。中には、わらびから渡されたあの手紙が入っている。中にクリアファイルが入っていて助かった、と思ったのはここだけの話だ。お陰で、折れたり破れたりする心配が無く持ち運べる。

「たださ……結末を見届けるまでは戻りたくない、とも思うんだ。……ほら、俺、過労で倒れたみたいだし、意識不明って事は、今、体は病院だと思うんだよね。京都か愛知か、どっちかはわからないけど。ひょっとしたら、体に異常は無いからって理由で、愛知県内の実家にいるって可能性もあるけど。どこにしたって、戻ってすぐに様子を見に来ることなんてできなさそうじゃん?」

 数ヶ月寝たきりという事はまず体が動かないだろう。そして動けたとしても、意識不明から目覚めてすぐにどこかへ行くなど、家族も医師も許してはくれないだろう。

「それにさ。さっきわらびが言ってたように戻ってから霊が見えるようになるかもしれないけど……ならない可能性だってあるだろ。起きたら全部夢だと思って忘れる可能性だってある。そうなったら……結末がわからないままになりそうだし。悔しいじゃん、そんなの」

 そう言う有可に、わらびは「そうだな」と言う。いつになく、優しい顔だ。今なら聞けるかも、と有可は思う。

「……わらびこそ、なんで来たんだ?」

「む?」

 首を傾げるわらびに、有可は「だって」と言う。

「わらびが安倍晴明に頼まれたのは、〝困っている人々を助けてやってくれ〟だっただろ、たしか。あの橋姫はたしかに怖いけど、やってる事は特に効果が無い藁人形を打つ事だけだから、困ってる人自体はいない。なら、わざわざ宇治まで行って、橋姫をなんとかする必要は無いって事になる……よな?」

 すると、わらびはまず「うむ」と頷いた。

「身も蓋もない事を言ってしまえば、高龗神から頼まれたままだからのう。藁人形を打ち込むのをどうにかできぬか、と。神からの頼み事をないがしろにしては、後が怖い」

「……うわ、本当に身も蓋もない……」

 唖然とする有可に、わらびは苦笑する。そして、「加えて……」と付け加えた。

「儂も、ユウカと同じように、この話がどう転ぶか……結末が気になる。そして、それより何より……橋姫も、京都──京に住む人に変わりはない。そうは思わぬか?」

 言われて、有可は目からウロコが落ちる思いがした。そうか、橋姫だって元は公家の娘であったのだし、京に住んでいた可能性が高い。そして、今も京都府内にある宇治に住んでいると思われるわけで。

「……言われてみりゃ、そりゃそうだ」

 口元でニヤリと笑って、席を立つ。わらびも、立ち上がった。それと同時に、電車が宇治に到着した旨を告げるアナウンスが、車内に響く。二人は電車から降りると、まっすぐに改札へ向かって歩き出したのであった。

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