『空に溶けるアジサイ』
ジメジメとして1年で最も空の低い季節。どんよりとした空模様とは対照的に鮮やかな花々が庭園を彩っている。雨がしとしと降る中、私たちは庭園の見回りという名の散策をしている。リンには毎日見回りを任せているが、彼女の背格好では木々の状態を把握することは難しい。その補完として私もこうして庭園の木々を見て回ることが必要なのだ。
本日の最初の目的地、紫陽花あじさいの遊歩道が見えてきた。このエリアには、数本の道の脇にそれぞれ違ったテーマを持った紫陽花たちが植えられている。例えば、白や淡い黄緑を基調にしたものや、紫陽花として真っ先に思い浮かぶようなものがある。
私たちはそのまま紫陽花の遊歩道へと足を踏み入れる。前を歩くリンは右の分岐を選択して緩やかな傾斜を上り始めた。当然、私もそれに続く。
緩やかな傾斜を上る右の道は
「晴れてたら、お空に続く道みたいできれいなのにねー?」
私の前を歩いているリンがそう少々不満げに呟く。彼女は毎日のようにここを通るはずで、きっと今日のような天気は不服なのだろう。しかし、雨の
「今日のような日はグラデーションを奏でる道が綺麗に見えますよ?」
「そーだけどぉー……」
不満げにそう言い、彼女は立ち止まって私の方へと体を向ける。
「雨が降った後の、ここから――」
リンが濃い桃色の紫陽花を指差す。そしてその指を緩やかな登り坂の上の方、空色の紫陽花の方へと滑らせてゆく。
「――あーいってー……その先に続いてるのー!」
彼女の指が止まった先は空色の紫陽花――ではなく鉛色の空だった。
「アジサイの道が、お空に溶けるんだよー!!」
大きく腕を動かして強く主張する。
……はて、どういうことなのだろう?
私の頭に疑問が浮かぶのと同時にリンが歩き出す。私も思考を巡らせながら歩き出すと地面から顔を出している小石に躓いた。
「うおっ……!」
小石に躓いた右足を着地させ、上体を捻って右手を体の下に持っていき衝撃に備える。左手は傘で塞がれているので、せめて体が濡れないようにと空に向かって掲げる。左足を浮かせてバランスを取ろうとするが、持ちこたえることができずに地面に手をつく。
「だいじょーぶ……?」
「ええ、大丈夫です。怪我はしていませんよ。代償は……右手が泥だらけになってしまったくらいでしょうか」
そう答えながら脚の方に重心を移動しつつ顔を上げる。心配そうな表情のリンの背後に、紫陽花の遊歩道が空へと続いている。
――!!
目線の先には満開を迎えた紫陽花が壁のように見える。桃色から紫、そして空色へとグラデーションする花の壁。そして、その先に見えるのは鉛色の空。 雨上がりの晴れた日に見れば、
「…………。ヤタ様ー、ほんとにだいじょーぶ? とりあえず、これで手を洗ってねー」
やはり何かあったのだろうかと心配そうに、彼女は魔法で出した水球を差し出す。
「はい。私は大丈夫です、怪我はしていませんよ。少し紫陽花に見惚れていただけですから」
水球を受け取って、右手の汚れを洗い流しつつそう答える。
「アジサイ、きれいだもんねー!」
怪我ではないらしいとわかったリンの表情が和らぐ。
「ええ、とても綺麗です。それに――背が高いと見えないものもあるんですね」
「どーいうことー……?」
きょとんとしたリンに、さらに言葉を続ける。
「坂道が空に溶けるんです。紫陽花の道は空へと続いているのですね」
「!」
感覚を共有できて嬉しいらしい。私と同じ景色を見たいからなのか、リンがしゃがんで緩やかな上り坂の頂点を眺める。
「おぉっー! 低いところからだと、全然違う景色になるんだねー!」
「リンが気づかせてくれたのですよ。私のいつもの目線からでは、道が空に溶けることはないですからね」
「それじゃー、雨上がりにまた来ようねー!」
「ええ、楽しみにしています」
立ち上がって辺りを見回す。この辺りには特に異常はないようだ。
「さて、次はどこに向かいましょうか?」
再びリンが歩き出しす。私は立ち上がる前に、先ほど躓いた小石を拾って紫陽花の根元にそっと置いた。庭園を訪れる観光客が、そしてリンが同じ被害に遭わないように。
「次はどこに向かいましょうか?」
この散策では特に次に行く場所は決めない。リンの思うがまま、案内されるがままに庭園を歩くのだ。少考した彼女は、次の目的地を提案する。私はそれに同意して、次の目的地に向かって歩き出した。
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